小ぎれいでさっぱりとして口当たりもお行儀もいいロックにはもう飽き飽きした。過不足なく盛り上がり終わった後には何も残らないスポーツのようなライブにはもううんざりだ。君がそんなもので満足できるのだとすれば、君が日常の中で抱えている苛立ちや怒り、切なさや悲しさが、所詮その程度の平板でありきたりのものでしかないということなんだからな。違うだろ、君が理由もなく目を覚ましている夜中の2時頃にどこからともなく湧き上がる説明のつかない衝動はもっと異様でグロテスクでどうしようもないものだろ。
だからロックは本来カッコ悪いものなのだ。肥大した自意識が出口を求めてやみくもに暴発する様子は滑稽だし醒めた目の第三者的に見ればイタいとしか言いようがない。だがそのイタさを小ざかしく先回り的に避け続けた結果が行儀のいいスポーツ・ロックなのだとしたら、僕たちの聴くべきロックはむしろそのイタさをものともしない正面突破の方向にこそ見出されなければならないだろう。ロックは見るものが傍観者的な薄笑いを浮かべる余裕などないくらい圧倒的で確信に満ちた自意識をたたきつけなければならないのだ。
いなたい白ジャケット、ベタなMC、けれん味たっぷりのボーカル、このスクービー・ドゥのパフォーマンスも第三者的にはかなりイタい。しかしイカ臭い初期衝動をこれだけ不敵にたたきつけることのできる確信の強度には揺るぎがないし、それを裏づける音楽的骨格も驚くほどしっかりしている。黒っぽいグルーヴの上に構築されたスピード感のあるビート・ポップといえば正統派モッドだが、スカしたスタイル先走りのモッドであるよりは腰にくるダンス・ビートとしての実用性の高さがこのバンドのカッコよさ。ステキだ。
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