ニック・ケイヴは過剰なアーティストだと思う。そこには常に適量を超えた情動がある。アーティストとリスナーの間には普通明確な一線があって、リスナーは安全地帯からアーティストの「あがき」や「のたうち」を一方的に楽しむいわば特権的な存在なのだが、この人の歌声やフリーキーなサウンド・プロダクションは、その一線を越えて僕たちを彼の抱えるカオスの中に引きずりこもうとする。この人の音楽を楽しめるかどうかは、結局彼の過剰を受け入れてその息苦しさを積極的に共有できるかどうかということだ。
だが、この人の中心にあってその過剰さを生み出しているものは、もしかしたらある種の欠落なのかもしれないとこのアルバムを聞いて思った。静かなピアノ・バラード集だった前作にあってすら、この人の声が持つ暗い吸引力は際立ったものがあった。近作ではそうした作風に加え、往時を思い起こさせるようなハードで重たいナンバーもあり、否応なく巻きこまれる感じはさらに強い。音楽的にいいとか悪いとかいうのとは別の次元の問題として、そこにはある種の暴力性のようなものがあり、それに抵抗するのは難しい。
ブラックホールが光さえもを吸収してしまうように、この人の中心にはきっととてつもない空洞のようなものがあって、近くを通るすべてのものがそこに吸いこまれて行くのだ。いくら食べても満たされない空腹のような欠落が、暴力的なまでに過剰で攻撃的な表現をこの人に強いているのだとしたらそれは業の深い音楽だと思う。分かりやすい音楽ではないし、気軽に聞き流せる音楽でもないので聞き手を選ぶが、こういう暑苦しい友達が一人くらいいてもいいかなと思ってしまう。アルバムとしての水準はもちろん高い。
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