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NOCTURAMA Nick Cave And The Bad Seeds 8梅

ニック・ケイヴは過剰なアーティストだと思う。そこには常に適量を超えた情動がある。アーティストとリスナーの間には普通明確な一線があって、リスナーは安全地帯からアーティストの「あがき」や「のたうち」を一方的に楽しむいわば特権的な存在なのだが、この人の歌声やフリーキーなサウンド・プロダクションは、その一線を越えて僕たちを彼の抱えるカオスの中に引きずりこもうとする。この人の音楽を楽しめるかどうかは、結局彼の過剰を受け入れてその息苦しさを積極的に共有できるかどうかということだ。

だが、この人の中心にあってその過剰さを生み出しているものは、もしかしたらある種の欠落なのかもしれないとこのアルバムを聞いて思った。静かなピアノ・バラード集だった前作にあってすら、この人の声が持つ暗い吸引力は際立ったものがあった。近作ではそうした作風に加え、往時を思い起こさせるようなハードで重たいナンバーもあり、否応なく巻きこまれる感じはさらに強い。音楽的にいいとか悪いとかいうのとは別の次元の問題として、そこにはある種の暴力性のようなものがあり、それに抵抗するのは難しい。

ブラックホールが光さえもを吸収してしまうように、この人の中心にはきっととてつもない空洞のようなものがあって、近くを通るすべてのものがそこに吸いこまれて行くのだ。いくら食べても満たされない空腹のような欠落が、暴力的なまでに過剰で攻撃的な表現をこの人に強いているのだとしたらそれは業の深い音楽だと思う。分かりやすい音楽ではないし、気軽に聞き流せる音楽でもないので聞き手を選ぶが、こういう暑苦しい友達が一人くらいいてもいいかなと思ってしまう。アルバムとしての水準はもちろん高い。
 

 
THE RAVEN Lou Reed 8梅

気がつけば僕ももう37歳だ。今年は38歳になる。親戚の子供からはもう随分以前からおじさんと呼ばれている。会社だってもうすぐ入社15周年になる。僕自身としてはそういう「オヤジ」な自分にまったく無自覚なのだがこないだ久しぶりに里帰りしたら母親に寝グセを指摘されたついでに「あんたちょっと薄なってるんとちゃう?」と言われてしまった。この際はっきりさせておこう。オレはもう若くない。オレは毎日すり減っている。オレは松浦亜弥と藤本美貴の区別がつかない。オレは年をとってしまった。

僕がロックにしがみついているのは自分が毎日少しずつ死んでいるからだ。年をとること自体はそんなにイヤじゃない。今の自分はこれまでの自分に比べても悪くないと思えるしそうやって自分の最先端を走り続けることは僕にとって切実な問題だから。でも、それにもかかわらず年をとることは怖い。毎日少しずつ僕の身体に忍びこんでくる死の影が僕は恐ろしい。だから僕はロックの悪あがきを愛するのだ。不格好で無軌道な生への執着を僕は求めるのだ。それがロックを聴くことの意味だと僕は思っている。

だが、このルー・リードはもはや死を恐れていない。老いること、衰えることにルー・リードは頓着しない。なぜなら彼にとって彼の生は執着するまでもなくそこにあるからなのだろうと思う。生は生きている限りそこにあり、死んでしまえばもはやそこにはない、だから急ぐことも焦ることもないのだと、彼はその骨の記憶に刻みこんだのだ。だから彼の音楽はこんなにも自由で、どこまで行ってもルー・リードでしかあり得ないのだ。ロック・アルバムとして聴くにはしんどいがこの声がある限りこれはロックだ。
 

 
A SHORT CUT TO TEENAGE FANCLUB Teenage Fanclub  
THE BOX SET Ride  
16/50 1997-1999 Supercar  
BEACH PARTY Scoobie Do  



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