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LIFE ON OTHER PLANETS Supergrass 8梅

会社に入った頃は今から思うと本当に取るに足りない些細なことで毎日悩んだり困ったりしていた。もちろん今でも毎日悩んだり困ったりはしているけど、その困り方、悩み方は確実にレベルアップしてきているし、何より、まあ、この程度の困り方、悩み方は何とかなるだろうという自分なりの「見極め」みたいなものができるようになってきたような気がする。そのおかげで仕事は随分やりやすくなったし、少しずつ自分の力で何とかできることの範囲が広がって行くのは楽しい。

それが自信ということの意味だろう。もちろん「慣れ」もあってそれは「自信」と区別することが難しいし、「慣れ」は往々にしてマンネリとかプロセスの自己目的化につながって行くからその辺は常に気をつけていなければならないのだが、経験に裏打ちされた本当の自信は自分自身を知るという意味で重要だ。どこまで行っても自分の知らないことの方が知っていることより多いのは当たり前だが、自分が何を知っていて何ができるかということを知るのは必要なことだと思う。

スーパーグラスの4枚目のアルバムはそんな自信に満ちあふれている。何の小細工もハッタリもなく、ただ驚くほど正統的なロックの核を磨き上げることでリスナーの耳をキャッチし、アルバム1枚を最後まで聴かせてしまう。前作の時も書いたが、ロックンロールというどん詰まりのメディアでこの21世紀に何が表現できるかというある意味で最も先鋭的なトライアルへの強い意志がこのバンドをドライブしているのだ。この自信がいつか「慣れ」にならないよう祈らずにいられない。
 

 
I To Sky JJ72 6竹

よく言われることかもしれないが、素晴らしいデビュー・アルバムを発表したアーティストの真価は往々にしてセカンド・アルバムで決まる。例えばファースト・アルバムだけで半ば伝説化してしまったストーン・ローゼズの場合、セカンドを出すまでに5年もの歳月が経過してしまった。できあがったアルバムは重厚な正統派ブリティッシュ・ロックだったが、長すぎるブレイクは彼らをバンドとして決定的に損なってしまった。そこにあったのは奇跡のようなバンド・マジックの残滓に過ぎなかった。

まあ、それは極端な例だとしても、目の覚めるようなファースト・アルバムを出しながら、2枚目では見る影もなく凡庸なステロタイプに堕してしまうアーティストは数え切れない。そういう意味ではこのJJ72も、ファーストでの現れ方が鮮烈だっただけに、そこからどのような展開をするのか難しい位置にいるバンドだったはずだ。とにかく今いる場所から一刻も早く抜け出さなければならないと訴えていたあの性急なハイトーンのボーカルが、その切迫性を維持できるか、僕はひそかに心配していた。

結論から言えばこのアルバムは際どいところにある。音楽的にはより緻密になり柔軟になった。ボーカルも上手くなったし表現力も増したと思う。しかし何かを求めて突き抜けて行くような勢いとか力といったものはここには見出し難い。何より気になるのは曲がゴシック的に構築され過ぎて、どうしても狭い箱の中に自閉して行くような息苦しさを感じさせてしまうことだ。いくつか新しい展開を見せる曲もあるが、このバンドはこれでOKと素直に言いにくいアルバム。もう1枚つきあうしかなさそうだ。
 

 
1-2-3-4 The Jeevas 7松

インドの入ってないクーラ・シェイカーだというレビューをどこかで読んで聴いたのだが本当にその通りで笑ってしまった。もちろん「インド入ってる」クーラ・シェイカーも僕は好きだったし、どうもクリスピアン・ミルズのインド趣味はあれで終わりになった訳ではないようだが(このジーヴァスというバンド名も仏教用語らしい)、こいつが本気でインド抜きの70年代ロックをやったらどれだけのものができるかという興味深い試みがあっさり実現してしまったのがこのアルバムなのだ。

いやあ、これはすごい。1曲目のリフが鳴り出した途端大爆笑だ。本当に好きなんだなあと思わせるこの入れこみ具合もただごとではないが、しかし重要なのはこれが21世紀型のロックンロールとして今の僕たちの耳に確かに届いてくることだろう。もちろんクリスピアン・ミルズにはそんな大それた戦略性のようなものはなく、ただ好きな音楽をガツンとやっているだけなんだと思うんだが、だからこそそれがただのパロディではなく、とても生き生きとした彼自身の音楽になり得ているのだ。

この感触はどこかで覚えがあると思ったら、ローザ・ルクセンブルグのセカンドがそうだった。あれは今でも僕のオールタイム・ベストの1枚だが、やってる本人たちにオマージュとかパロディとかいう意識がまったくない点ではこのアルバムも同じような痛快さがある。ロック音楽はスタイルという意味では既にずっと以前に進化の袋小路に迷いこんだ恐竜のような存在だが、このアルバムはロックの新しさとはそんな議論とまったく別のところにあるのだと教えてくれる。本当に気持ちよすぎ。
 

 
SEA CHANGE Beck 8梅

非常に内省的で静かな印象のアルバムだ。僕はベックさんの熱心なリスナーではないので知らなかったのだが、ベックさんの作品には実験的で「陽」の作品系と内省的で「陰」の作品系とがあって、このアルバムは後者に属するのだそうだ。まあ、そんなことはどうでもいいんだが、僕にとって面白かったのはこのアルバムもまたまったく「正しい」作品だったということだ。そしてそれは本作とは別の作品系に属することになっている前作を聴いたときの印象とまったく同じだったのだ。

もちろんこのアルバムが大変よくできていることは間違いがない。僕のサイトの採点なら軽く8点台だ。だが、この、ベックさんがアルバムを出すたびにほぼ自動的に8点台という「正しさ」は何だろう。「陽」でも「陰」でも、とにかくこの人の作品はいつもケチのつけようがないくらい「正しい」。決して正統派の「ロック」という訳ではないのに、そのたたずまいは常に圧倒的に「正しい」。それはこの人が音楽に対する真面目な愛情とそれを形にする才能を兼ね備えているからに他ならない。

そしてその「正しさ」を抑圧的に機能させないだけの力量も持っている。だからこそ彼の音楽はここまで受け入れられている訳だが、この「オートマチックに正しい」情況は決してアーティストとして幸せなことではないのではないかと僕は思う。僕がこの人の作品を評価しながらも「大好き」的に入れこめないのはおそらくその「正しさ」のせいだ。だれにも評価されるが熱烈に愛されることの少ない音楽は淋しい。ベックさんがそうかどうかは分からないが、この人の音楽はもっと開かれていい。
 

 
CRUEL SMILE Elvis Costello & The Imposters  
一期一会 V.A.  
GLITTER TUNE The Collectors  
BEAT OFFENDERS V.A.  
ANOTHER SKY Grapevine  
ザ・ベスト 小泉今日子  



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