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WORDS OF WISDOM AND HOPE Teenage Fanclub & Jad Fair 7松

永遠の名作「BANDWAGONESQUE」でティーンエイジ・ファンクラブを認知した僕にとって、それ以降の彼らの作品はまさに転落の歴史であった。もちろん彼らは常人には真似のできないハイレベルなポップ・ソングを書き続けてきたし、その音楽としての完成度は類を見ないものであった。しかし、あの名作を充たしていた不穏な空気、ポップなのに少しだけ不純物が混じっている微妙な感覚みたいなものはその後の作品ではどんどん希薄になり、彼らの音楽は純粋になって行った。

僕にとってはそうした不穏さ、不純物感覚こそ彼らの本質だったから、そうした彼らの「純化」の過程には激しい違和感があった。それは97年のアルバム「SONGS FROM NORTHERN BRITAIN」のレビューに書いたし、2000年のアルバム「HOWDY!」のレビューではそれを踏まえてある種の苦い訣別宣言までした訳だ。「僕自身が怒れる時代を過ぎ、その怒りを内的に沈潜させて雌伏する00年代に、彼らにだけ怒れる若者であり続けることを求めるのはアンフェアだ、そうだろ」と僕は書いた。

だけどこれはどうだ。ハーフ・ジャパニーズのジャド・フェアと組んだこのアルバムでは、見事なまでにかつての「不穏さ」が鳴っているじゃないか。それはもちろんジャド・フェアの不穏なボーカルによるところが大きい訳だが、TFC側からこのアルバムを聴いている僕としては、むしろこれからもこの組み合わせでやって欲しいと思えるくらい、彼らの中に眠っていた「穏やかならざる」一面を引き出す触媒になっていると思った。レギュラー・メンバーにならないかな、いや、マジで。
 

 
ECLECTIC 小沢健二 5松

こんなに悲しいアルバムは聴いたことがない。久しぶりに会った友達はいつの間にか随分大人になっていた。そして僕の知らない「愛」について語ったけれど、僕にはそれをうまく理解することができなかった。もちろんそういう「愛」がこの世界のどこかにあるだろうということは僕にも分かる。それはしかし僕に生々しい実体を伴って迫ってこないし、それより僕にはもっと他にするべきことや考えるべきことがある。僕は忙しい日本にいて明日も明後日も働かなければならないのだ。

このアルバムは息苦しい。とても狭い場所に閉じこもってとても小さな声でささやき合っているような気がしてくる。ねえ、小沢君、僕が君の歌に惹かれ、君の歌に動かされたのはこんな密室の情事のような息苦しい濃密さを求めてのことではなかった。君の音楽はとても高い密度を持ちながら、最終的に何かを突き抜け、狭い場所でのできごとなんかどうでもよくなるくらいのスピードと強度を同時に獲得していた。君の歌は、もっと広い場所で鳴らされなければならないのではないか。

もちろん僕は君が変わってしまったこと自体を嘆いているのではない。君が僕たちの日常からのデタッチを深め、自分だけの深く狭い場所に自閉して行くように思えてそれが悲しいだけなのだ。何の頼りもないだだっ広い荒野で君は奇跡のようなイノセントを歌い、それをただ強い意志それだけで僕たちの耳に届けた。僕は君から多くのことを教わったように思う。だけど今はっきりしたのは君は君のために君の歌を歌うということ。それは疑いなく正しい。だけどこれは悲しいアルバムだ。
 

 
BETWEEN THE SENSES Haven 6竹

生物の教科書に載っている細胞の模式図を見たことがあるだろう。あんな細胞は身体のどこにも存在しないのだそうだ。個々の細胞はそれぞれの機能に従って様々な形をしており、あんな抽象的で典型的な細胞はあり得ないらしい。同じように無色透明な「ロック」という音楽も存在しない。どのレコードもアーティストの名前が刻印されたそれぞれ無二の作品であり、ロックというのはそうした作品群全体にある共通した要素を見出して総称するための抽象概念に過ぎないのだ。

このアルバムを聴いたとき、僕はそんなことを考えずにはいられなかった。ジョニー・マーがプロデュースした元気のいいギター・ロック。その前評判から普通の人が想像する通りの音だ。ある種の人には郷愁を誘う音かもしれない。演奏も達者だし曲もしっかり作りこまれている。でも僕はこのアルバムを聴いて、とても抽象的な「ギター・ロック」を聴いているような気がした。「ロック」という科目があればその教科書に「ギター・ロック」の模式図として掲載されるような。

もちろん僕たちが聴きたいのはだれが作ったかも分からない抽象的な「ギター・ロック」ではない。僕たちはそこで鳴らされる唯一無二の個別性をこそ聴きたいのだ。ギターを通してぶちまけられるひとりひとりの過剰や欠損の物語をこそ分け合いたいのだ。そういう意味ではこのアルバムは過不足なくできあがり過ぎているのではないだろうか。それはこの2002年にあってはいささか牧歌的に過ぎるかもしれない。丁寧に聴けばいい曲も多いのだからあと一つの強引さがあれば。
 

 
HOLES IN THE WALL The Electric Soft Parade 7梅

デフレというのは困った状態である。身の周りだけを見れば物価が下がるのは悪いことではないが、物価が下がるということはモノを売っても今までのようには儲からないということであり、その埋め合わせのためにいろんな費用が削られたり節約されたりする訳だから、それによって給料が下がったり仕事をなくしたりする人が出るということで、その結果世の中全体がどんどん貧乏になる悪循環に陥る訳なのだが、しかし、そんな時代にもきちんと儲ける人はいるのが面白い。

ユニクロとか、100円ショップの大創とか、要はそういう縮小志向の時代に何が求められるかということをきちんと考えて商売のできる人たちがデフレの勝ち組とか言われる訳なのだが、それは結局ある種のミニマリズムであり、物事の本質に直接切りこむ歯切れの良さと率直さなのだと思う。もっともデフレの勝ち組も勝った途端に無駄なモノをいろいろと抱えこみ始めてダメになってしまうケースが結構あったりするんだけどね。やはりそこでは歯切れの良さが失われてる。

どうしてそんな話をしているかというと、このエレクトリック・ソフト・パレードがとてもデフレ向きのバンドだと思ったからだ。この歯切れのいいギターサウンドはどこかで聴いたぞと思ったら、ザット・ペトロール・エモーションってこんな感じじゃなかったっけ。厳しい価格競争にも生き残れるだけのタフさというかお買い得感があるのは曲のベクトルがしっかり前を向いているからなのかもしれない。この先の化け方がむしろ問題のような気もするがとりあえず買える。
 

 
WHEN I WAS CRUEL Elvis Costello 8松

コステロの活動は89年のメジャー復帰作「SPIKE」から明確にそれまでとレベルの違う第二期に入っているが、それ以降に発表された5枚のソロ・アルバムの中でも(「ALL THIS USELESS BEAUTY」含む)本作は出色の出来だ。第二期の顕著な特徴はリズム面での冒険とスポンテイニアスな曲作りへの取り組みなのだが、これまでポップな曲群とそうしたアブストラクトな曲との相性は決してよくなかったし、それがアルバム全体の印象を散漫にしていた面もあったことは否めないと思う。

本作は「ロック・テイスト溢れる、本領発揮のラウドなバンド・サウンド」というキャッチ・コピーがついているが、実際には典型的なロックンロールの曲はそんなに多くない。むしろ曲そのものとしてはかなり難解で古典的なロックのフォーマットからは逸脱している作品の方が多いと言ってもいいかもしれない。しかし、全体の印象としてこのキャッチ・コピーは決して間違っていない。つまり、コステロはそのような曲さえもロックとして通用させる力を獲得したということだ。

基本的には「BRUTAL YOUTH」からのラウドでややざらついた音の感触なのだが、「BRUTAL YOUTH」が全体にストレートな曲でまとまっていたのに比べると、今作はグッとレンジが広がっているのに、アルバム全体としての統一感はむしろ高いと言っていいかもしれない。課外活動に精を出した分、ソロ活動での妙なためらいがなくなって、この人本来のわがままさ、アーティスト・エゴがいい形で結実しているということだろう。「Smile」はどうでもいいがアルバムは間違いなく名作。
 

 
THE LAST BROADCAST Doves 7松

タイトルを聞いてジャケットを見た瞬間これはマズいと思った。何だこのSF趣味は。脳裏をよぎったのはジュリアン・コープだ。だがそれは杞憂だったようだ。思えばデビュー作だった前作は暗いアルバムだった。陰鬱で息苦しい暗闇の奥から、どこかこもったような音で屈折した熱情が鳴らされていたように思う。だが、僕はそれに高い点をつけた。その重苦しいアルバムのうねるようなドライブが確かなビジョンに裏づけられていたからだし、スタイリスティックに完結していたからだ。

そのビジョンとはある種のストイックさだった。端数をすべて切り捨ててもどうしようもなくそこに残る「芯」のようなものを彼らは寡黙に示した。その佇まいが時として暗く映ろうとも、その美学はモッズのスピリットとどこか通底していた。だからこのむやみに大仰なタイトルやアートワークを目にしたとき、その寡黙な男の美学はどこかへ行ってしまったのかと僕は心配になったのだ。しかしそこで鳴らされていたのはまぎれもないあのダヴズの音楽だった。

音作りはかなりカラフルになり、モチーフはポップになっている。暗いところから光の当たる場所に出てきた訳だが、その展開がバンドの強い足腰に支えられてまったく無理なく一つのアルバムとして完成している。タフになりながら自分たちの表現の「芯」はここでもきちんと守られ、メリハリを利かせた中にバンドの成長を刻み込む理想的なセカンド・アルバムだ。レビューし終えても棚にしまいこまずにプレーヤーのそばに置きたいアルバムだ。ファーストもまた聴きたくなった。
 

 
ABOUT A BOY Badly Drawn Boy 7竹

正直言ってこの人のことはほとんど知らない。何年か前にこの人のアルバムがNMEの年間ベスト50に入っていたので聴いてみたのがつきあいの始まりだったが、そのときの印象はかなりひねりの入ったポップ職人といった感じだった。ベックとの相似を指摘されたりもするそうだが、その意味は分かるような気もした。音が似ているとかスタイルが似ているとかそういうことではなくて、結局自分の頭に浮かぶ音楽しか信じていないというところが共通しているように思われたのだ。

今作は同名の映画のサントラで、そういえば最近全然映画もビデオも見てなくてこの映画も当然見ていないのだがそんなことはどうでもいい。全編の音楽をBDBが担当しているので、まあインストも入っているにせよ彼の新譜だと思っていいだろう。これを聴いて僕はかなり意外だった。ポップなメロディのかけらをあちこちにちりばめながら、そう簡単にはいい気持ちにさせてやらない的拡散を見せていたファーストに比べると、この作品はすごくストレートにポップで美しいのだ。

僕はベックの音楽を聴くたびに何となく殺伐としたものを感じる。ある種の大量虐殺を見ているような気になるのだ。だがBDBのこのアルバムは彼の資質がベックとはまったく違う方向にあるということを示している。この作品がサントラだという事情を別にしても、彼は美しいもの、端整なものが、哀しみや淋しさといったものを際立たせて行くということを自覚しているはずだ。それを僕たちはロマンチシズムと呼ぶのだが、それはアメリカ人のベックには分からないことかもしれない。
 

 
LABOUR OF LOVE V.A.  
EL FOR CAFE APRES-MIDI V.A.  
ムーンストーン オリジナル・ラヴ  
HIGHVISION スーパーカー  
A LONG VACATION 大滝詠一  
NIAGARA TRIANGLE VOL.2 佐野元春/杉真理/大滝詠一  
戦争に反対する唯一の手段は。 V.A.  



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