logo 2001年10月の買い物


RINGS AROUND THE WORLD Super Furry Animals 8竹

高層ビルの上の方の階にいると地震とか強い風とかで結構揺れるらしい。そうやって衝撃を吸収することで全体の強度を保っている訳なんだけど、建物でも組織でも何でも、そういう緩衝のための遊びとか柔軟さとかをうまく取り込んだ構造になっている方が、細部までガチガチに固めるよりも長持ちするしいろんなできごとにもうまく対応できる。ロックもそうだと思う。「柔構造のロックンロール」という言い方があるとすれば、それはだれよりもまずSFAに捧げられるべきだ。

これまで僕は彼らのことを「骨折より脱臼を狙う関節技」とか「ロック拡幅工事」と形容してきたが、ここではそうした周縁からのロックへの眼差しがぐるっと一周して正面にたどり着いたような余裕すら感じる。ロックとはこうでなければならないという「決まり」をいったん無効にした後で、そこに残ったものが結果としてとても「正統な」印象を残して行くのは決して偶然でもなければ皮肉な逆説でもない。なぜなら正統は自由の中でこそ継承されるべきものに他ならないからだ。

もちろんそれはこの作品が「本格派」のロック・アルバムであるということではない。そうではなくて、今、「正統」ということの意味自体が変わり始めているということなのだと僕は思う。20世紀にあって彼らはあくまで「傍流」のバンドだったが、ようやく彼らのしなやかさ、豊かさが、「柔構造のロックンロール」として世界と共振する時代になったんじゃないかと思うのだ。21世紀は決してバラ色の時代ではなさそうだが、そういう時代にこそ「柔構造」が有効だとSFAは教えている。
 

 
HOW I LONG TO FEEL THAT SUMMER IN MY HEART Gorky's Zygotic Mynci 8梅

田舎に住んでいる人には悪いが僕は田舎が嫌いだ。純朴とか朴訥とか土の香りとか温もりとかそういう言葉も大嫌いだ。いや、もちろん語弊があることを認識して書いているので、田舎にもいいところはあるんですみたいな反論は勘弁して欲しいのだが、何だかそういう「ナチュラル志向」みたいな考え方の中には人間が性善であることへの無前提かつ無批判な信頼があるような気がするし、それが僕の居心地を悪くさせるのだ。ここにイヤなヤツは一人もいないぜ、的な。

もちろん人間にはさまざまな側面がありだれもが心のどこかに底の見えない暗い淵を抱えている、それは知っているしだからこそ人間は人間なんだけど、それでも、いや、それだからこそ人間の本質が善であることに信頼したいというような、絶望の先にかすかに見える光の残像のような希望を僕は否定しない。というよりそういうものの存在を信じているからこそ毎日こうやって何とかやりくりして行けるのだと思う。しかしそれは平板で単純な善人信仰とは別のものだ。

ゴーキーズがそういう平板な「善人信仰」的文脈、ありふれた「温もり」や「ふれあい」の語彙で語られるたびに僕は激しい違和感を覚える。このアルバムを聞いて感じる「一人」は僕たちが都会の真ん中である瞬間にふと気づく「一人」と同じ種類のものだ。ここにあるのは安易な受容ではなく、ひどく個人主義的で内省的な憧憬だと思う。救済は自分の内側にしかない、魂の善性を信じる自分の心の強さだけが信じるに足るものなのだと思わせる穏やかな「歌」のアルバム。
 

 
LET IT COME DOWN Spiritualized 7松

これは何なんだろう。これはサイケなのか。ジェイソン・ピアーズはサイケ・アルバムを作ろうとしたのか。僕にはよく分からない。分かるのは、これがバカバカしいくらい大仰に鳴らされたロックンロールだということだけだ。そこまでしなくても、と思わせるオーケストレーションは100人近い編成の生オケらしいが、たかがロック・アルバムを作るのにそこまでするしかなかったジェイソンのテンぱり方こそがこの作品の本質なんだろう。壮大に、美麗に、そして過剰に。

だが重要なことはそれだけではない。むしろ僕がここで指摘しなければならないのは、このアルバムが結果としてすごくまともなポップ・アルバムに仕上がっていることなのだ。もちろん微妙にパースペクティブの狂った一種のムズムズ感みたいなものは基本的なトーンとしてあるのだが、何も知らない人が聴いたらそのまま当たり前のポップ・バンドとして誤解されてしまうような、気がついたら元の場所に立っていたとでもいうような不思議な「普通」感があるのだ。

あるいはジェイソン・ピアーズは初めから当たり前のゴスペル・アルバムを作る気だったのかもしれない。このアルバムにいろんな「意味」がくっついてくることより、歌として、音楽として当たり前に聴かれることをこそ彼は望んでいるのかもしれない。このアルバムがロックンロールなのは、そうしたジェイソンの意志がおそらくは彼自身も知らないうちに過剰なゴスペルを産み落としたからであり、そしてそれが同時に「何の変哲もない」という両義性を帯びているからだ。
 

 
TRUTH BE TOLD Shed Seven 6松

ひとことで言って悪くない。達者なギターロックだし、曲の構成もはっきりしている。タフなライブ・サーキットをきちんとこなしてきたバンドだけが出すことのできる足腰のしっかりしたアンサンブルもある。イギリスの中堅ギターバンドとして実に過不足のないアルバムだと思う。だれかのCDプレーヤーでヘヴィ・ローテーションになっていても驚かないし、おそらくはだれか熱心なファンがフォローしていて、ライブはそんな熱心なファンで毎回満員になるんだろう。

だが、このアルバムを聴いて思うのは、そこに、その「だれか」が僕自身でなければならない必然性がどこにも見当たらないということだ。だれかが聴いているのなら、だれかが応援しているのならそれでいい、僕はこのアルバムをもう一度プレーヤーにセットする代わりに別のアーティストのCDを聴くだろう。これは放っておけない、時間をかけてもこのアルバムをもう一度聴き、それについて語らなければならない、他でもないこの僕自身が、という切迫感は残念ながらない。

もちろんすべてのロックアルバムがすべからくそんな切迫感を備えているべきだという訳ではないけれど、中堅バンドが半ばサークル化したファンとの共同体やルーティン化したライブ・サーキットからもう一つ抜け出したいと思っているのなら、無関心な聴き手をも否応なく当事者として巻き込んで行くだけのスピードと力が必要なはずだ。その意味でこのアルバムは自閉してはいないが自足してしまっている。そこから一歩踏み出して、オレたちがシェド・セブンだと教えて欲しい。
 

 
THE BLACK RIDER Tom Waits  



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