● IS THIS IT The Strokes |
8梅 |
いうまでもなくロックというのは「カッコいい」ということを至上命題として作られている音楽であり、「カッコいい」ことはそこにおいてすべての価値を凌駕している。極論すればそれは女にモテるための音楽であり、男に惚れさせるためのビートである。ロックはどんなロック評論よりも先に存在したのであり、ロック評論はロックの「カッコよさ」を伝えるために誕生したのだと言っていい。カッコよくなければロックじゃない、それが最もシンプルな真実なのだ。
だが、そのカッコよさは常にみっともなさやバカさと表裏一体である。力ずくで囲いを突破して行こうとするそのバカさ加減こそがロックのカッコよさの本質だ。その不器用なバカさ加減は僕たちの日常と確実に呼応している。だからこそロックはカッコよく響くのだ。僕たちの近くで鳴る音楽。朝起きたとき、学校や会社から帰ったとき、クルマのラジオをつけたとき、そこで鳴り始める音楽は、そのようなプリミティヴな突破力に充ちたものでなければならない。
「ロックはカッコいい」ことへの確信、「ロックは力である」ことへの自信、それがこのアルバムのすべてだ。だがこのアルバムが優れているのはそうした確信や自信がきちんとロック的なバカさに裏打ちされているところ。何の根拠もなく、何の説明もなく、ただロックという音楽の真実を単純に、楽観的に信じることのできるバカさ加減こそが、このアルバムを僕たちの日常と強く結びつけているのだ。日常の中で、僕たちの近くで鳴るべき音楽。バカだからカッコいい。
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● GET READY New Order |
7竹 |
ニュー・オーダーはその中心に大きな空白を抱えたバンドだ。だが彼らはその空白を埋め合わせようとする営みをまるっきり放棄したまま音楽を奏で続けた。そりゃそうだろう、その空白こそがニュー・オーダーなんだから、そんなもの埋め合わせちゃダメなんである。彼らはそのことをよく知っていた。彼らはその空白をこそ繰り返し提示し続けた。僕たちは空っぽだと主張し続けた。そこにはユーモアもウィットもなかった。ただ、空白だけが大きな口を開けていた。
このアルバムでのニュー・オーダーは驚くほどロックだ。タイトなリズムとラウドではないにせよ間断なく鳴り続けるギター。ニュー・オーダーをへなちょこダンス・ミュージックだと思っていたらこのアルバムのそんなロックなたたずまいに驚くかもしれない。あまりに堂々とした王道ぶりに笑いがこみあげるかもしれない。でもよく聴いてみればいい、ニュー・オーダーはにこりともしてないじゃないか。そこにあるのはやはりすべてを呑み込む空白だけなのだ。
生真面目な顔で陰鬱なポップ・ソングを鳴らし続けるのが彼らの仕事だとすれば、このアルバムは紛れもなくそんな彼らの作品に他ならない。彼らにとって音楽の「意味」はずっと昔に死んでしまった。彼らはそこに置き去りにされ、ただ意味を失った音楽だけを果てしなく演奏し続けるように宿命づけられたのだ。目新しくも何ともない、ただの音楽を。あらかじめ失われた音楽だけが示し得る「本当ならそこにあるはずだったもの」の不在こそニュー・オーダーの本質だ。
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● IF YOU'VE NEVER BEEN Embrace |
7梅 |
「歌」を明確にアルバムの中心に置いた3枚目。曲調は穏やかでラウドなギターもない、極めてオーソドックスなポップ・アルバムだ。このバンドがデビューしたときは「なんだこれ、オアシスじゃん」と笑ってしまったものだが、今度は「トラヴィスですか、コールドプレイですか」とまたしても意地悪を言いたくなってしまうそれ系の仕上がり。何というか、別に本人たちとしては真似っこしているつもりはないんだろうけど、まあそれが時代のニーズってヤツなのか。
セカンドを聴いても分かるように曲はいい。今作では精緻な作りで起伏のあるメロディを聴かせるミドル・テンポのポップ・ソングが多いのだが、曲作りという基礎体力がしっかりしているだけにアルバムそのものとしての出来は悪くない。だが、音作り一つでオアシスに聞こえたりトラヴィスに聞こえたりしてしまうのはこれぞエンブレイスという決め技というか決定的な存在感みたいなものが希薄なせいなんだろうと思う。メーカーもこれじゃ売りにくいだろう。
どんなバンドでも音作りがある種の時代性を帯びること自体は避けられないことだ。それはエンブレイスだけの問題ではない。そうした時代性に左右されないだけの中身のある曲を作ることでアーティストはそれに対抗して行くしかないのだ。そのようにして時代性という限界と闘いながら自分だけの表現を求めて行くことで、アーティストは自らがいつか時代そのものになろうとする。「エンブレイスそっくり」という言い方をされるようなバンドにいつかなれるだろうか。
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● ALL IS DREAM Mercury Rev |
7竹 |
トマス・ハリスの「ハンニバル」を読んだのはもうかなり以前になるんだけど、何だかかなりげっそりしたのを覚えてる。ハンニバル・レクターの自動化というか、怪物が怪物であることに自動的に寄りかかりすぎのような感じがしたね。異様に不死身だしね。何だかレクター神話を無理矢理でっち上げているような感じ。身震いするような怖さ、人間の心に宿り得る際限のない闇の深さをのぞきこんでしまったような恐ろしさはもはやなく、むしろ滑稽だったとすら言っていい。
普通の人間の顔の下に隠された常軌を逸した狂気、しかもある種の芸術の域にまで高められたそれを、同じ狂気の種を自らの内に抱えながらこちらに踏みとどまるクラリスという存在との対比を軸にして描ききったのが「羊たちの沈黙」だったとすれば、「ハンニバル」はその後講釈に過ぎない。この、マーキュリー・レヴのアルバムを聴いて思ったのも、ここにあるのは残念ながら自家中毒を起こした「狂気」に過ぎないのではないかということだった。これは怖くない。
いきなり荘厳な弦で始まる1曲目からドラマチックに展開して行く音響の祭典は確かにタイトル通り夢の世界を具現化したようにも感じられる。しかしそれを真面目にやるならそれはもはやロックである必要はない。マーキュリー・レヴがロックなのはその夢の背後に狂気が宿っているからであり、誇大妄想狂のような過剰な耽美感があるからなのだ。今作ではその美しさが普通のサイズに収まってしまっているような気がする。もっと狂気を。キチガイ度数が足りない。
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● BEET ROOT Cast |
7松 |
思えばキャストはデビューがあまりに鮮烈すぎた。あの「Alright」の無防備なまでの天真爛漫さ、それは一つのカルチャー・ショックだったとさえ言っていい。だれもが難しい顔をして言葉を探している時代に、何かを手放しで信じてみてもいいかもしれないということをもう一度思い出させたのはジョン・パワーだった。ここではないどこか、ではなく、僕たちが本当に探していたものはもしかしたら今ここにあるのではないかと思わせる、それは確かにマジックだった。
しかしその後に発表した2枚のアルバムは、正直言って食い足りないところの残るものだった。もちろんその間ジョン・パワーはいい曲を書き続けたし、率直に歌い続けた。しかし、そこにはファーストで見せたようなあの抜けのよさ、潔さやためらいのなさはなかった。このようにしてバンドは成熟し、成長して行くのだろうなと僕は思ったけれど、そこにはキャストでなければ出せない、そして僕が彼らを好きになったときの「ときめき」のようなものは見当たらなかった。
だがこのアルバムが始まった瞬間、そんなセンチメンタリズムはどこかへ消え去ってしまうだろう。大胆なリズム・アプローチ、多彩なアレンジ、アンサンブル、ダブ、リミックス、ジョン・パワーは驚くほど鮮やかに自らの表現を更新して見せた。そして大切なのは何よりも、そうやって更新された音像がキャストとしての本質を鳴らしていることだ。キャストらしさを守るために、最もキャストらしいものを捨てた、その思い切りのよさを僕は敢えて高く買いたい。
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● WONDERLAND The Charlatans |
8梅 |
いつの間にかシーンに確固たる居場所を確保してしまったシャーラタンズの新譜。実力派、本格派ロック・バンドの王道を行くのだとばかり思ってたんだけど、ファルセットを多用したボーカル、定型を逸脱した曲の組み立て、今作は不穏な雰囲気が漂う。聞いているだけで神経がざわついてくるような、ふだんはあまり使わない身体の部位を刺激されているような、そんな、ちょっと尋常じゃないムードが露骨に漂っている。そう、いかがわしいのである。怪しいのだ。
考えてみればシャーラタンズというのはもともととてもいかがわしいバンドだった。ロック・バンドというよりはダンス・バンドだったし、それも脳のダンス中枢みたいなところを直接責めてくるような、ケミカルでアシッドな機能的ダンス・ミュージックをロックの文脈に取り込んで見せた一種のハイプだったと言っていい。それが少しずつ「まとも」になり、音楽的になり、そうやってロック・バンドとしてのステータスを確立してきたのがこのバンドの歩みだった。
ところが本作ではビートよりもグルーヴというバンドの出自に忠実な、しかし正統なブラック・ミュージックとも異なる、21世紀型のブルー・アイド・ソウルとでもいうべき国籍不明のソウル・ミュージックをたたき出している。そしてそれが恐ろしくグルーヴィで気持ちいい。どうしようもなく白人で、紛れもなくロックでありながら、本当にグルーヴと呼び得るのはこいつらと往時のハッピー・マンデーズくらいかと思わせる。ファルセットは勘弁して欲しいけど。
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● DEAD MEDIA Hefner |
7竹 |
前作でヘフナーは「ケイレン系」から骨太のロック、「歌」を聴かせる王道へと大きく足を踏み出した。「ケイレン系」独特の前のめりのスピード感、何かに(おそらくは「時間」に)追いかけられながらその移ろいやすい一瞬の光景を焼きつける切実さを気に入っていた僕としては寂しい気もしたが、僕はそれをダレン・ヘイマンのアーティストとしての正しい成長だと思ったし、その成長を信用し、期待して高いポイントをつけた。それだけの価値あるバンドだと思ったのだ。
今作ではシンセを大胆に導入し、音楽的に大きな転換を遂げて見せた。だが面白いのはそれが高機能な今日的テクノになるのではなく、いかにもヘフナー味のダメ・ポップ、へなちょこテクノになってしまうところであり、それは結局ダレン・ヘイマンのボーカルに負うところが大きいと思う。あの青春の痛みをそのまま切り取ったようなボーカルは、どんな音もヘフナーというバンドの文脈に取り込んでしまうのだ。結果として前作よりむしろケイレン度は増したように思う。
もっともその試みが幸福に結実したかといえばそれは少しばかり疑問だ。もちろん一曲一曲は丁寧に作りこまれ、申し分のない脱力ポップに仕上げられている。しかしそのベースになるソングライティングそのものが今作ではおとなしめで、導入したピコピコと必ずしも拮抗しておらず、ボーカルの吸引力に依存して救われている部分も多いような気がする。引き続きウォッチ・リストの高い順位に掲載されるべきバンドだが、そろそろブレイクスルーが求められる時期に来ている。
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● NO MORE SHALL WE PART Nick Cave And The Bad Seeds |
7松 |
ドイツに赴任するとき、手許にあったCDのうち、持って行くものとトランクルームに入れて保管するものとに分けた。そのときニック・ケイヴの何枚かのCDは残念ながらトランクルーム行きになってしまった。もちろんあんまりたくさん持って行けないという事情もあったけど、ニック・ケイヴは僕にとってなくてはならないアーティストではなかったし、ギターポップをメインに聴いていた僕にとっては、どうもとっつきにくい「怖い」系の人として敬遠していた部分もあった。
そんな訳で久しぶりに手にしたニック・ケイヴのアルバムなんだけど、聴いてみてかなり意外だった。というのもフリーキーな怖い系のロックは影を潜め、端的にいえば品のいいトム・ウェイツのような、ピアノ・バラード中心の穏やかな作品に仕上がっていたからだ。もちろんこの人独特の、何か取り返しのつかないことをしてしまったかのような深刻なムードは底流にあるのだが、でももういいんだ、それでもオレはこうやって歌ってんだからよ、みたいな「抜けた」感がある。
こんなアルバムを聴いてしまうと、逆に、かつて敬遠してトランクルームに預けて来た古いアルバムが聴きたくなってくるから不思議だ。この人のどこか深いところから響いてくるような暗い声には、僕たちの弱いところをつかんで締めつけるような暴力性があるし、そのことがこの静かなアルバムであらわになっているのは象徴的かもしれない。心躍るようなアルバムではないが、なぜか繰り返して聴きたくなる、そういう意味では結構ヤバい作品。久しぶりに買ってよかった。
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