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THE INVISIBLE BAND Travis 8梅

自分の存在に確信を持つことは難しい。僕たちの足は一人で立つにはあまりに頼りなく思えるし、それにも関わらず世界はすごいスピードで回転し続けていて、自分が今ここで息を吸ったり吐いたりしていることすら簡単には確かめられない。僕は今ここにいるのか。僕は何をするためにここにやってきたのか。ましてやそれをだれかに話して聞かせることは困難だ。だれかにそれを納得させることなんてほとんど不可能に思える。だって自分自身が全然納得なんてしてないんだから。

それでも、少しずつ毎日をやりくりする中で自分の姿はおぼろげに見えてくるだろう。そして、自分の存在に確信を持てるかどうかということは、自分の中で焦点を結んだそんな自画像を、自分自身として肯定できるかどうかということに他ならない。その確信の強度こそが自分の一つ一つの行動を支えてくれるのだし、それに説得力を与えてくれるのだ。自分の存在を、もちろんネガティブなものも合わせて、しかし全体として肯定すること、それが自分の中に神を見つける方法だ。

デビュー2枚目で、こんなにも確信に満ちた音を鳴らすバンドが他にあるだろうか。ここにあるのはさざ波一つない水面のような音楽だ。それは遠目には鏡のようになめらかに見えるかもしれないが、実際には移ろいやすい実体が奇跡のようなバランスで静止した一種の微妙な平衡なのだ。おそろしく壊れやすいそんな音楽がしかしその意匠とはまったく別の次元で力強く響くことは、僕たちが頼りない自分の足をこそ肯定しながら生きるべきだという何よりの証拠ではないのかと思う。

このレビューをアップしてから、このアルバムはトラヴィスの3枚目のアルバムだというご指摘をよっしーさんからいただきました。また、るみねさんからも掲示板に同趣旨の書き込みをいただきました。これはまったく僕の不勉強によるもので言い訳のしようもありません。お詫びして訂正するとともに、戒めのため本文はそのままにしておきます。どうもすみません。
 
ACROSS THE MILKY WAY The Pearlfishers 7竹

あまりに美しいものを目にしたり耳にしたりすると僕たちは不安になったり憂鬱になったりする。それは僕たちの生というか毎日の生活が全然美しくないからで、その「美しくなさ」を「美しいもの」が際立たせて行くからなのだ。その差が絶望的であればあるほど、僕たちは美しくない日常の救いのなさを自覚しない訳には行かなくなる。特にそれが日曜日の午後であるような場合には。僕たちの世界は不格好で不条理で、醜くて情けない。そして、多くの場合何も思い通りにはならない。

かつて彼らは「Even On A Sunday Afternoon」という曲を書いた。「世界中がブルーに沈み込んでいる日曜日の午後にだって、僕はまだ君を愛し続けてる」という曲なんだけど、日曜日の午後に何がどうだということはこの際あまり関係がない。大切なのは日曜日の午後がそんなふうに日常の救いのなさを際立たせる特別な時間だと彼らが知っていること、そしてそんな日曜日の午後にさえ、僕たちはまったく無力という訳ではないと彼らが信じているということなのだ。

ビートルズやビーチボーイズ、特にブライアン・ウィルソンの最も良質な部分を受け継いだアコースティック・ポップ。美しいものが時に僕たちの生を残酷なまでに損なったり傷つけたりすることを僕たちは他でもないブライアン・ウィルソンに教えられた訳だが、このパールフィッシャーズ、いや、デヴィッド・スコットは、そんな日曜日の午後の憂鬱を知りながら、それでも美しい音楽がそこにあるべきこと、そしてそれが何かを動かすことを信じているに違いない。
 

 
AMNESIAC Radiohead 8梅

夢の中で、僕たちは奇怪な幻を見る。論理や因果律を超越した意識の底へ、僕たちは直接降り立つ。そこには僕たち自身ですら理解できないような自分自身の歪んだ写像が横たわっていて、僕たちはおそるおそるそれに触れてみる。夢のストーリーは支離滅裂だが、それは確かに僕たちの感情を揺さぶり、記憶を喚起し、時として自分でも気づかなかった欲望や悔恨、不安や憎悪を露わにする。夢から覚めたら涙を流していたこともあるだろう。その感情は現実以上にリアルだったはずだ。

なぜ夢で喚起される感情は現実よりもリアルなのか。それは夢の中で僕たちの感情が蒸留され、純化された感情の核そのものとなって現前するからではないかと僕は思う。夢は感情という一つの抽象概念そのものなのではないか。僕たちはそれをビジョンとして経験するが、それは僕たちがそれ以外に物事を知覚する術を知らないからそう思われるだけで、実際には夢が視覚化している訳ではないのではないか。僕たちは夢を通して自分自身の感情の中心にアクセスしているのではないか。

前作がインダストリアルに精製された純度の高いケミカル・ドラッグだとしたら、今作は僕たちが夢の中でだけ経験する不思議なビジョンそのものだ。それは僕たちの感情の核を直接揺さぶる。なぜならそれは僕たちが経験する日常的な感情からノイズを取り除き、その本質だけを露わにしたむき出しの自我の有り様を示唆しているからだ。まるで心象風景を音として切り取ったかのようなこのアルバムを聴いて、涙を流す人がいても僕は驚かない。ポップ・ソング以上にリアルなアルバム。
 

 
FREE ALL ANGELS Ash 7竹

正直に言ってこれまでアッシュのアルバムを聴いたことはなかった。これが何枚目のアルバムなのか分からないし、彼らのこれまでの活動についてもほとんど何も知らない。名前くらいは聞いたことがあったはずだけど、その頭の悪そうなたたずまいも災いしてこれまで食指が動かなかったのだ。しかし、今回音楽雑誌に載っていたインタビューを読んで、ま、ついでにこれも買ってみるかという程度の軽いノリでメールオーダーの注文にこのアルバムの名前を加えてみたら…。

これがよかったんだなあ、結構。まず曲がいい。アレンジも的確。しかし何よりもいいのはこのアルバムがバンドのきちんとした成長という基礎構造の上に成り立っているということであり、そのために、鳴らされる音の一つ一つが実に自信に満ちて聞こえるということなのだ。爽快で痛快なギターロック。ロックンロールが何よりもまずティーンエイジャーのスピード感に応えるべきものだとすれば、ここで聴かれるある種の明快さはそうした基本を実に正しく押さえている。

しかし、それはここにあるのが初期衝動一発の力まかせ、勢いまかせ的青春の爆発であることを必ずしも意味しない。これは、彼らがロックという体験に寄り添ってきた結果、その本質を彼らなりに見極め、そうした一つの「思想」に基づいて極めて自覚的に作り上げられた作品なのだ。うつむくことを知らないバカが作った分かり易さではなく、もともとうつむきがちなヤツが、もううつむくことはやめようと決意してたたき出した痛快さであるように僕には思えた。
 

 
GORILLAZ Gorillaz 7梅

僕はラップ方面にはまったくカンも知識もないんだけど、これは面白い。デーモンのポップな才能が非常にコンセプチュアルに結実していて、この人のセンスの良さ、方向感覚の確かさを思い知らされる。そもそもデーモン・アルバーンという人は、ロック的初期衝動をガーンと力任せにぶつけるというよりは、自分の頭の中で組み立てた音楽を精密に現実の音に写し取ることの方を得意とするタイプなんじゃないだろうか。何かがあふれ出して止まらない、という感じの人じゃないと思う。

そういう人にとって、こういうコンセプトものはまさに打ってつけ。架空のカトゥーン・キャラクターをでっち上げながらそれに沿って音を作りこんで行く作業は彼にとって楽しいものであったに違いない。言葉は悪いがこれは一種の箱庭のようなものであり、仲のいいお友達と一緒に、自分の思いのままになる箱庭の世界を作り上げることが逆にデーモンのイマジネーションを解放したのだと思う。ここにはとっちらかったものを統合するという作業の重圧はなかったはずだ。

しかし、ブラーの真の魅力はもちろんそういう箱庭のキッチュな楽しみではない。そういう作りこみに向かいがちなデーモンが、いかにそのファインにまとまろうとする志向性を自ら相対化して、それをロックと呼ぶに値するダイナミズムに昇華できるかという試みこそがブラーの本質なのだ。そういう意味でこのアルバムは、よくできてはいても所詮サイドプロジェクトに過ぎない「息抜き」だ。前作で空回りしたそんなデーモンのあがきが、そろそろ結実する頃ではないかと思う。
 

 
ORIGIN OF SYMMETRY Muse 6松

ウソつきな友達っていなかっただろうか。僕のお父さんはタレントの某と知り合いで家にはサインがたくさんあるんだ、今度ひとつ上げるよ、とかそういうヤツ。そういう他愛のない、調べればすぐにウソと分かるようなウソを、深い考えもなくついてしまう人たち。それは端的にいって病気な訳だが、要はその人の心の深いところにある、相手より優位に立ちたいという願望、あるいは自分を守りその存在を主張したいという願望がそういうウソになって出てくるのではないだろうか。

ミューズの新しいアルバムだ。基本的には前作と同様、ギターロックのフォーマットに乗せながらも豊富なボキャブラリーで達者な今日的ポップ・ソングをたたき出して来るという「佳作」に違いないのだが、ファルセットを多用するボーカリゼーションや独特の曲展開によって醸し出される奇妙なスケール感はこのバンドだけのものだ。そしてそのスケール感に見合うだけの表現の内実をこのバンドが獲得しつつあるのかということがこのバンドを評するポイントだろうと僕は思ってきた。

だが、何度かこのアルバムを聴くうちに、このスケール感そのものがこのバンドを決定づけるやむにやまれない表現なのではないかと思うようになった。それはあたかも虚言癖のある人が自分でも気づかないうちに何の足しにもならないウソをついて自分を守ろうとするように、このバンドはこんなふうに大仰な曲を作らずにはいられない、そしてそれを裏声で歌わなければならないある種のオブセッションにとりつかれているのではないかと。とりあえず次作も買ってみようとは思った。
 

 
10000 HZ LEGEND Air  
THE HOURS OF BEWILDERBEAST Badly Drawn Boy  



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