僕はピーター・バックのギターがベンベン鳴る中でマイケル・スタイプがつぶやくように聞き取り不能の言葉を吐き続けるストロング・スタイルのR.E.M.が好きなのだが、この新作ではそうしたストレートで分かりやすいR.E.M.らしさは陰を潜めている。その代わりここにあるのは極めて耳障りのいい、メロウでミディアムでソフトな「ポップ・ソング」だ。オーケストレーションは前作に引き続き豊かで、かつての貧乏くさいR.E.M.節のようなものはもはや見あたらないと言っていい。
だが、ここで彼らがやろうとしているのは決して安易な宗旨替えではない。ビル・ベリーが抜けた前作以降、このバンドは自らを開こうとしてきた。R.E.M.という名前の上に降り積もってきたものから自らを解き放とうとしてきた。あらゆるルールを取り払い、窓から吹き込む新しい風、新鮮な空気の中で、それでもR.E.M.と名前の下に奏でられるべき音楽を探してきた。このアルバムはそんな中で彼らがたどり着いたとりあえずの答えのようなものだ。
実に穏やかに、実にたおやかに、音楽は奏でられ歌は歌われる。そのような音楽的悦びの中に新しいR.E.M.はいる。このアルバムの穏やかさ、たおやかさはしかし、彼らがR.E.M.であることを最も先鋭的に引き受けた結果に他ならない。ロックという宿題に生真面目に取り組んできたバンドだからこそ、彼らは自分たちが何を鳴らすべきかということに自覚的でない訳には行かなかった。これはまだまだ終着点ではない。U2の新作と呼応しているという山崎洋一郎の指摘は実に正しいと思う。
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