logo 2001年5月の買い物


REVEAL R.E.M. 8梅

僕はピーター・バックのギターがベンベン鳴る中でマイケル・スタイプがつぶやくように聞き取り不能の言葉を吐き続けるストロング・スタイルのR.E.M.が好きなのだが、この新作ではそうしたストレートで分かりやすいR.E.M.らしさは陰を潜めている。その代わりここにあるのは極めて耳障りのいい、メロウでミディアムでソフトな「ポップ・ソング」だ。オーケストレーションは前作に引き続き豊かで、かつての貧乏くさいR.E.M.節のようなものはもはや見あたらないと言っていい。

だが、ここで彼らがやろうとしているのは決して安易な宗旨替えではない。ビル・ベリーが抜けた前作以降、このバンドは自らを開こうとしてきた。R.E.M.という名前の上に降り積もってきたものから自らを解き放とうとしてきた。あらゆるルールを取り払い、窓から吹き込む新しい風、新鮮な空気の中で、それでもR.E.M.と名前の下に奏でられるべき音楽を探してきた。このアルバムはそんな中で彼らがたどり着いたとりあえずの答えのようなものだ。

実に穏やかに、実にたおやかに、音楽は奏でられ歌は歌われる。そのような音楽的悦びの中に新しいR.E.M.はいる。このアルバムの穏やかさ、たおやかさはしかし、彼らがR.E.M.であることを最も先鋭的に引き受けた結果に他ならない。ロックという宿題に生真面目に取り組んできたバンドだからこそ、彼らは自分たちが何を鳴らすべきかということに自覚的でない訳には行かなかった。これはまだまだ終着点ではない。U2の新作と呼応しているという山崎洋一郎の指摘は実に正しいと思う。
 

 
MECHANICAL WONDER Ocean Colour Scene 6竹

1曲目の「UP ON THE DOWNSIDE」のイントロが流れ出した途端腹を抱えて大笑いしたのは僕だけじゃないはず。いや、もちろんノーザン・ソウルの精神を継承しながらコンテンポラリーなスピード感でしかもスタイリスティックに再構成すればこうなるのはよく分かるんだけど、これってスタイル・カウンシルそのままじゃん。それにキーボードはミック・タルボットじゃん。で、致命的に痛いのはやはり曲がこのアレンジには直線的すぎることだろう。偉大なり、ポール・ウェラー…。

だが、このアルバムがこの路線で1枚貫かれていれば僕はむしろもっと高く買っただろう。スタイル・カウンシルを今リバイバルする意味はあるはずだし、オーシャン・カラー・シーンのやるべきことはまさに、あれだけ鮮やかなビートをたたき出しながら袋小路のような場所に迷い込んであげくに空中分解してしまったスタイル・カウンシルの雪辱戦であり、あれを僕たちの足下の日常にもう一度位置づけ、その先進性をウェラー本人に代わって血肉化することに他ならないからだ。

ところがこのアルバムはそういう意味では実に中途半端だ。スタイルなんていうのはかなりの部分がやせ我慢であり、一時期のオーシャン・カラー・シーンというのはそういうやせ我慢の美学みたいなものを極めてカッコよく体現していたと思うのだが、このアルバムは「いや、やっぱりナチュラルが一番だよ」とか言ってユニクロのフリース着てる感じ。ある意味とても「バカ」なバンドだということは分かっているのだから、ここはもうちょっとそのバカを貫いて欲しかった。
 

 
FLOWERS Echo & The Bunneymen 6松

エコー&ザ・バニーメンは特別なバンドだ。世の中に有名なバンド、人気のあるバンドはいくらでもあるが、ある種のセンシティブでナイーブな人間の心のどこか深いところを直接揺り動かし、固有名詞としてその多感な時期の記憶に鋭い痕跡を残すことのできるバンドというのがそれとは別に存在する。うまく例を挙げることができないが、そういうバンドは確かにあるのだ。エコー&ザ・バニーメンはそういう特別なバンドの一つだ。いや、そういう特別なバンドの一つだった。

しかし、そういうバンドのテンションは多くの場合若いある時期特有の鋭敏さ、潔癖さ、ナイーブさによって支えられている。だからこそそれはリスナーのナイーブさと共振することができるのだ。エコー&ザ・バニーメンもそうだった。4枚の優れたアルバムと1枚の凡庸なアルバムを発表した後、彼らは例によって人間関係に問題を生じ、バンドの顔だったイアン・マッカロクはバンドを脱退した。そして残った3人は同じバンドの名前で作品を発表した。エコバニは終わった。

その後、曲折を経てオリジナル・メンバーで再結成したエコバニの第3作がこのアルバムだ。そこにはもう僕たちの胸の奥の痛いところを締めつけるような、息苦しいまでのテンションはない。このアルバム自体は大変よくできているし、イアン・マッカロクのソングライターとしての才能は衰えていないと思わせるだけのものはあるが、結局よくできたエコバニのフォロワー・バンドにしか聞こえない。イアン・マッカロクの名前でこそリリースすべきだったと思わせるアルバム。
 

 
THE NEGATIVES Lloyd Cole 7松

例えば。例えば、そう、エドウィン・コリンズ、ニック・ヘイワード、ロディ・フレーム、ガイ・チャドウィック、マルコム・ロス、そういう人たちのソロ・アルバム、あるいはシャックやエコバニの新作。僕はなぜそういうアルバムを買い続けるのだろう。そこにもう僕の見た夢のかけらはないということは初めから分かっているのに。もしかしたら僕はそれを確かめるためだけにそういうアルバムをせっせと買い集めているのだろうか。

もちろん、ロディ・フレームのソロやシャックのカムバック作のように、長い年月に洗われ、ロールオーバーされてきた表現の核のようなものが、今だからこそという強さで、驚くほど鮮明に僕たちの前に立ち現れることはたまにある。しかし僕はそれを期待しているのですらないような気がするのだ。それはたまたまついてくるおまけというか期待せずに買ったら当たった宝くじのように僕には思えてしまう。

それは80年代に多感な時期を過ごした一人の「遅れてきたネオアコ・キッズ」として、自分の「若さ」にきちんと落とし前をつけたいという強い欲求のようなものだと思う。彼らのなれの果てを見届けることなしに、僕の「青春」もまた完結することはないのだとでもいったような。ロイド・コールも落とし前を探している。どうすれば青春を完結させられるかあがいている。カラカラに乾いたNYから、意外なほどよかった1枚。
 

 
FOR THE STARS Anne Sofie von Otter / Elvis Costello  



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