懐メロ、という言葉がある。懐かしのメロディ、そういえばこんな曲もありましたね、流行りましたね、そうそう、ちょうどこの曲が流行った頃に僕は当時つきあってた彼女と別れて、思い出のこの曲、是非もう一度聴きたいです、リクエストします、なんて感じ。まあ、端的にいって虫酸が走るが、そういう音楽とのつきあい方もこの世の中にはあるってこと。でも、じゃ、古い曲がみんな懐メロになるかというとそうじゃない。例えばビートルズ、あれを懐メロと呼ぶ人は少ない。
それよりはむしろアバやベイ・シティ・ローラーズなんかの方がよっぽど最近なのにもはや歴然たる懐メロ感が漂っている。それは何なんだろう。つまりある種の音楽はどんなに時間がたっても「現役の」音楽として生き続けるけど、別の種類の音楽は、たやすく消費され、忘れられ、そして懐メロに成り下がるということなのかな。でも、だとしたら、ある音楽が、いつまでも「現役」として生き残ることができるかどうか、そのボーダーラインはいったいどこにあるのだろうか。
大変よくできたポップ・アルバムだが、どうも僕は初めっからバーチャル懐メロみたいな「上がり」感を払拭できない。現役として今ここにあるものに強くコミットするモメントが決定的に足りない。フォーマットが保守的なのはいい。ただ、保守的なフォーマットであればこそ、その存在を主張する切迫感がなければならないはず。前作から参加のファットボーイ・スリムことノーマン・クックのおかげか生き生きとした躍動感のある曲もあって、その辺に出口があるんじゃないのかな。
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