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● ECSTACY Lou Reed 8竹 ロックにとって年をとるということは未知の体験だ。だってロックンロール自体せいぜい長めに見ても半世紀程度の歴史しかない訳だから、ロックの十字架のようなものを背負いながらジジイ(またはババア)になった人は歴史上まだ存在していないのだ。だが、ここへ来てようやくサー・ポール・マッカートニーやキース・リチャーズなんていう現在のロックに直接の影響力を持つ人たちが老い始めた。ディランのツアーの宣伝には「もうすぐ60」と書いてある。
本来ティーン・ミュージックのはずだったロックは「老い」や「成熟」といった運命的なモメントとどう向かい合うのか。どこかの雑誌もそんな特集をやっていたが、それは今やロックにとって避けられない新しいテーマになりつつある。老いから目を背けていつまでも青い情熱を歌うのか、それとも枯れていい味を出す職人になるのか、ディナーショー的予定調和の世界に生きるのか、それとも銃で自分の頭を撃ち抜くのか、老いを迎える前に。
このルー・リードのアルバムはそんな問いに対する答えの試みだ。ここで展開されているのは恐ろしくシンプルでオーソドックスなロックンロールだ。だがこのアルバムはロックの最前線にある。なぜならルー・リードはここでギリギリまでテンパっているから。ジジイが切羽詰まってほとんど絶頂寸前のような声であえいでいるから。老人の方が若者より「死」に近い。それはつまりそれだけロックに近いということ。もともと「死」のにおいが濃厚な人がやっているだけに迫力が違う。
● DRAWN FROM MEMORY Embrace 7松 メイン・ストリームで堂々と闘い続けるのは難しい。まず、メイン・ストリームには優れた先人がいくらでもいるし、才能あふれるライバルも多い。そんな中で勝ち残り、生き残って行くにはそうした先人やライバルに比べて見劣りしない確固たる力量がなければ立ち行かない。それにメイン・ストリームには常に周縁からの挑戦があり、保守性に対する批判がある。それに応えてメイン・ストリームのメイン・ストリームたる所以を示すことができなければ存在意義なんてない。
REM、U2、オアシス。みんな、そうした困難を引き受けながら、それをはねかえし、圧倒するだけの実績を示して生き残ってきた。ロック表現が限りなく拡散し、ひとつひとつのカテゴリーが相互の連関を欠いたまま肥大化してそれぞれの趣味性に自閉しようとしている現在、メイン・ストリームでロックというものの意味を正面から問いかけるバンドが担うべき役割は大きい。限りなく保守的なフォーマットの上で「前衛」に挑む、そういうバンドがなければならない。
エンブレイスのセカンド・アルバム。オーケストレーションが大仰に聞こえて時に興醒めでもあった前作に比べ、格段にこなれてきた。しかし何よりもこのバンドに感じるのは、王道で闘い続けよう、保守本流を突っ走ろうという「正面突破」の気概である。この正面突破が本当にロックの前衛にまでつながって行くかどうかはまだ分からない。彼らの選んだ道は険しいし先は長い。だがだれもその道を行かなくなるとき、それはメイン・ストリームではなくなる。聴いて損のないアルバム。
● HELIOCENTRIC Paul Weller 8梅 ポール・ウェラーというのは誠実なアーティストだ。ザ・ジャムからスタイル・カウンシルを経てソロに至るまで、彼は一貫してそのときの彼自身に切実で相応しい音を鳴らしてきた。スリー・ピースのビート・バンドがもはや自分にそぐわないと思えば惜しげもなくザ・ジャムを解散したし、スタイル・カウンシルの末期、音楽が自家中毒を起こしてバンド(あれはだれが何と言おうとバンドだ。そうだろ)がフェイド・アウトしたときですら、その音楽の混乱は実に彼自身の混乱であった。
ポール・ウェラーがソロで復帰してから5枚目のアルバムがこれだ。ここに派手なビート・ナンバーはない。分かりやすいポップ・ソングもない。ここにあるのはただ丁寧に、丹念に、そして正直に作り上げられたかたまりのような「ロック」だ。今、何よりもこうやって正面からロックに向かい合い、何のギミックもないそのままのギターを鳴らすことがポール・ウェラーには切実に必要なのだろう。あるいは、それ以外のものは必要ないと思えるだけの時間が経ったということなのだろう。
だが、こんなにまともでいいのだろうか。ザ・ジャムでも、スタイル・カウンシルでも、ポール・ウェラーは常に僕たちが思い描く以上の何かだった。ポール・ウェラーはいつも僕たちが期待する以上のものをたたき出してきた。だがこのアルバムは端的に言って期待通りのもの「でしかない」。期待通りで文句を言われると本人も困るだろうし、このアルバムがよくできていることは確かだが、何か食い足りないのも事実。今は「寄り添うもの」より「超えて行くもの」を聴きたい。
● YEAH Wannadies 7松 このレビューを読んでいるような人は別かもしれないが、多くの日本人は、洋楽と邦楽の区別は比較的きっちりできる割に、洋楽の中での違いはなかなかうまく認識できないらしい。例えばマライア・キャリーはUS、ブリットニー・スピアーズはUKという出自の分かっている人は間違いなく少数派である。ベルベット・クラッシュがUS出身でティーンエイジ・ファンクラブがスコットランドなんてことを理解しているあなたは極めて奇特な人だ。
例えばスウェーデンでもこうした事情は似たものがあるのではないかと思う。彼らにとって英語圏から流れてくる音楽はUSものであろうとUKものであろうと結局は同じ。面白いものは聴くし面白くないものは聴かない。同じような音楽の微妙な差異に詳しくなるよりも音楽を聴くことの「自由さ」をもっと取り戻したいと思うようなとき、辺境からのアプローチは実に多くのことを僕たちに語りかけてくれるのではないだろうか。
僕はワナダイズを聴くのはこれが初めてで、本作がこれまでの作品の中でどのように位置づけられるべきものかはよく分からないけど、印象に残ったのは意外なハードさと、USとUK、現在と過去を自在に往来するその自由さだった。いわゆるギター・ポップに軸足を置きながら西海岸のような湿度の低さを感じさせるのはリック・オケイセックの手腕か。容易に文脈に取り込まれないタフさと無邪気さの結晶。