silverboy club presents disc review
my shopping bag january 2000




MIDNITE VULTURES Beck

僕はベックを最近聴き始めたばかりの不届き者だが、率直に言ってこれはいい。ファンク、R&Bを巧みに消化し、ロック表現の今日的な前衛に立つ意欲作だし、何より素晴らしいのは、それが「芸術的」に自閉するのではなく、ポップ・ソングとして、「ノリノリ」のファンクとして開かれているということだ。肉体的なビートとして開かれた前衛、それは卓越したソング・ライティングやアレンジの基礎体力と、それを時代とリンクさせる的確な問題意識の結果に他ならない。

ベックは、ヒップ・ホップ、ファンクといった「現代のブルース」を、ある種のカテゴリー・キラー的な聡明さでノン・ジャンルに再構成する奇跡のような存在だが、彼が信頼できるのは、それがすべて極めて個人的な場所からスタートしていることだ。だから、逆説的な物言いをするなら、もはやベックは何をやっても「正しい」。僕はこのアルバムを聴きながら、ああ、オレはすごくまともな音楽を聴いている、と思えて仕方なかった。ベックは「正しい」のだ。

だが、この「正しさ」は、いずれ彼の表現を追いつめて行く諸刃の剣になりはしないだろうか。いくら実験し、いくらぶち壊しても、それが結果としてポップに結実し、「正しく」響いてしまう宿命。ベックがそのような星の下に生まれてしまったのなら、彼がこれから背負って行かなければならないものはとてつもなく重い。次あたりとんでもなく凡庸な駄作を作って酷評されてみた方がいいんじゃないか。だれかケチョンケチョンにけなしてやれ。9点の梅。


MINK RIOTS The Secret Goldfish

スコットランド出身の男がこう言ってた。「あの辺の田舎は近親相姦が多いですからバカばっかりです」。バリバリの白人が日本語で言うから面白かったのだが、そんなことをふと思い出したのは、ベルセバやBMXバンディッツのメンバーも参加と謳われているこのアルバムの、いかにもスコットランド人脈的な「親密さ」が耳に残ったからだ。そんなスコットランドのギター・バンド(女性ボーカル)。僕の知る限り3枚目のフル・アルバムである。

それにしても僕はなぜこうしたギター・ポップを好むのか。これは決して西暦2000年の最前線ではない。何か特筆できるような音楽的革新がある訳ではない。だが、それにも関わらず、それはただのイージー・リスニングでもなければ懐メロ的な慰安でもない。僕がそこに求めるのは、結局僕たちは目の前の日常の中にしか「何かキラキラ光るもの」を探せないという認識に立ち、その上でせめてその残像をでも潔癖に切り取って見せる力なのだ。

その潔癖さを今最も切実に体現しているのがベル&セバスチャンだろう。彼ら自身は典型的なギター・ポップではないが、にもかかわらずその出現はこうしたギター・ポップの意味合いを根底から問い直し、僕を勇気づけた。そう、歌われるべき歌はまだ残っているのだし、それはこんなふうにこそ歌われるべきなんだってね。「何かキラキラ光るもの」。そのかけらはきっとここにもある。そしてそれはいつでも新しい。8点の梅。


GOLDEN GREATS Ian Brown

前作のレビューでは5点をつけて結構けなしてしまったイアン・ブラウンの新作である。例えばショーン・ライダーは何かを悩むとか反省するとかしない人ではないかと思うが、このイアン・ブラウンも同じように自分の身体の快感原則に従って音楽を作るべきところ、前作は初のソロということもあってかガラにもなく作りこんでしまったために、思惑とは反対にまったく面白くないものができてしまったというのが真相というか事情だったのだろうと思う。

ところが今作では見違えるほど自由になった猿がここにいる。そう、所詮猿なんだから、くだらないことを考えるより、初めからこうやって原始的な直接性、肉体性に根ざしたビートをそのままたたきつけるべきだったのだ。音楽的な軸というか統一感という点ではまだまだとっちらかっていて、「これだ」というイアン・ブラウン印を確立している訳ではないが、そんなことはどうでもいい、この有無を言わせぬグルーブこそこの猿の真髄なのだ。

ストーン・ローゼズにしろハッピー・マンデーズにしろ、一時期のプライマルズにしろ(そういえばどうなったんだ、スープ・ドラゴンズ)、僕が彼らを信頼できたのは、それがニュー・ウェーブのどん詰まりから拡散しつつあった80年代終わりのシーンに、要は踊れればいいのだという直接性、肉体性を再び持ちこんだからだ。それはパンクがやったことと同じ意味を持つ一つの革命だったと言っていい。イアン・ブラウンはようやく自分の原点を見出せたようだ。7点の竹。


THE MAN WHO Travis

世の中は声のデカいヤツが勝つ。残念なことだがそれは一面の真実だ。僕は決して声がデカい方ではないが、それでも自分のナイーブさに甘えて生きるのはイヤだと思い、声のデカいヤツらに僕なりの弱っちいやり方で張り合う道を選んできた。会社というまさにリアルな人生現場の中で、僕のやり方はどこまで通用するのか分からないけれど、今のところそれは悪くないところまで僕を運んできてくれたし、それなりにいろんなものが見えてきたような気もする。

トラビス。高い評価を得た今回のアルバムは、一曲一曲手にとって触りたくなるような、珠玉の「歌」の集大成である。種目としてはギター系だが、ここにあるのは威勢のいいジャンプ・ナンバーではなく、むしろ日常の中から拾い上げてきたような細かな感情の動きを大切に磨き上げた静寂の結晶だ。フラン・ヒーリーがいくら泣きの入ったナンバーをせつなく歌い上げても、それは不思議にジャケットのイメージのような深い静けさに吸いこまれて行くようだ。

声のデカいヤツらと張り合うために弱っちい自分を克服すること、それには二つのやり方がある。一つは自分も大きな声を出して、自分より声の小さい連中を圧倒してみること。だけどトラビスはそうはしなかった。彼らは弱っちいまま、その弱っちさで世界と闘う方法を選んだのだ。なぜならその弱っちさが自分自身に他ならないから。もちろん弱っちさで闘うためには強い意志と覚悟が要る。でも、細い声だからこそ届けることのできる感情だってあるはず。それも一面の真実。7点の松。


THE SOFT BULLETIN The Flaming Lips

僕は真面目な銀行員なのでドラッグは一度もやったことがないが、ドラッグ・アートを特徴づける契機のひとつに過剰さがあげられると思う。例えば音楽でも色彩でもデザインでも絵画でも、一般的な美しさがそのまま度を超えて過密なまでに圧縮されていたり、それがグニャグニャにのたうっていたりする行き過ぎ感が、ドラッグ・アート、サイケデリックの大きな特徴の一つだ。薬によって加速した意識が感じる美というのは、きっとそのように我々の意識の限界を超えたものなのだ。

このアルバムはもちろんポップだが、そのポップ感は正常な意識のそれではない。それは極めてドラッグ臭い、過剰に加速し圧縮されたポップだ。このアルバムを聴いてこれはポップですねと平然と言い切れる人はどうかしている。こんな露骨にヤバい音楽はないぞ。これは紙一重。ボーカルも、スネアの処理も、アレンジも曲構成もリバーブもヤバ過ぎ。ドラムなんかこれはもう彼岸で鳴ってるとしか思えない。スティーブ・リリーホワイトも真っ青だぜ。

僕は度量の狭い人間なのでアメリカ産の音楽はあまり聴かないのだが、あのキチガイの国からは、スピリチュアライズドといいこいつらといい、時折本当にヤバいヤツらが出てくるから面白い。なんでもアメリカ人の5人に1人はキチガイらしいが、もうあの国ではキチガイという言葉自体あんまり意味がなくなりかけてるのかもしれない。それにしても「Race for the Prize」のイントロは耳に貼りつく。これを冒頭に持ってくるのはズル過ぎ。8点の梅。


GUERRILLA Super Furry Animals

ロックとは本来カッコよさに殉じる音楽である。だが、世界中がそんな正攻法のロックでいっぱいになってしまったら、それはきっと暑苦しいに違いない。世の中というのはもともと不純物を含んだ雑多で不完全なものであるはずなのに、正論や正攻法というものは、まさにそれが正しいものであるがゆえに、そうした世界の豊かさを保障する不純物に対して抑圧的に機能するリスクを常に含んでいる。世界がSFAを求める理由はそこにある。

SFAは、クリエーションというギター・ロック直系のレーベルに属しながら、そうしたロックの大仰さに対して、ロック的パッションをすり抜けてどこかとぼけたような、ハズしたようなひねりのあるポップを、しかし大真面目に、ある意味でとてもシリアスに鳴らしてきたバンドである。ロック的なカッコよさが僕たちの骨格を攻めてくるのなら、SFAは関節を狙ってくる。ロックが骨折させるならSFAは脱臼させる。そんな感じ。

だがそれはもちろん、メロディ・メーカーとしての確かな力量があってのこと。カッコよくないロックを、それでも確かなポップとして届け、そこに自らの意志とか居場所をきちんと刻印するためには、カッコいいロックを鳴らす以上の自覚的な戦略と覚悟が必要だ。今作は意外にストレートなギター・ロックよりだが、意地でもカッコいいロックなんかやるかという意志が横溢するアルバムであることは変わりようもない。豊かな1枚。7点の松。


FREE EXPRESSION Velvet Crush

僕たちは毎日いろいろなものと闘っている。高尚なものから卑近なものまで。生活するというのは、黙っていたらたちまち忘れ去られてしまうようなスピードで動き続けている現代社会の中に何とか手にしたわずかな武器で分け入り、オレはここにいるということを声を上げて主張し、そこに自分のための居場所を切り開いて確保することだ。僕たちが持っている武器は恐ろしく貧弱だが、それでもここで黙ってじっとしている訳には行かない。忘れ去られて野垂れ死ぬのがイヤならね。

ベルベット・クラッシュの新譜。前から似ていると言われていたが、あらためてポップよりになった今作では、ハーモニーの付け方なんか本当にティーンエイジ・ファンクラブにそっくり。でもTFCがどこまでもイギリスの天気の悪さのような鬱屈をその本質的な属性にしているのに比べれば、この素直に泣ける感じ、大らかさはやはりアメリカのバンドである。僕がなぜロックを聴き始めたか思い起こさせてくれるような、ストレートで真面目なギター・ポップ。

僕たちがここいちばんの闘いに挑むとき、手にする武器は、小難しい取扱説明書のついた最新型のレーザー・ガンではないはず。それは破壊力において優れているかもしれないが、いざというとき頼りになるのはやはり手になじんでいて細かい操作に迷う必要もないバールとかゲバ棒とかそういうものだろう。闘いの場で悩んだり迷ったりする余裕はないのだから。ギターという原始的な弦楽器の力が普遍的であることを信じる男たち。マシュー・スイートがプロデュース。8梅。


SPANISH DANCE TROUPE Gorky's Zygotic Mynci

ウェールズ出身だということと音楽性との間には直接の関係はないという彼らだが、ロンドン・セントラルからはこのアルバムは生まれなかっただろう。牧歌的とか土の臭いというのではない、素朴というのとも違う、都市に生まれ都市しか知らずに育った者と、田舎に生まれながら都市に憧れて育ち都市に出てきた者との間には、都市生活に対する自覚的なコミットの度合いに大きなギャップがあったりするが、ここにあるのはそういう類の表現の強度だ。

ねじくれたメロディやリズムが、それでも最終的に「歌」として成立するぎりぎりの地点を目指して収束して行く。それは都市生活に倦んで、聞くに耐えないノイズやデタラメなパフォーマンスに苛立ちをぶつけるしかない都会育ちの音楽に比べて数倍豊かだ。何もない田舎のクソのような生活を知っているからこそ、都市という環境で起こる出来事の意味が分かる。何でもないようなアコースティック・バラッドの持つ「癒し」が深みを持つ。それはトム・ウェイツと同じ。

メジャーから契約を切られてインディーから発売された8枚目のアルバムらしいが、切ったマーキュリーの見識を疑うね。僕はこれが初めて聴いた彼らのアルバムだけど、すごい見つけものをした気分。僕が知らなかっただけだろうけどさ。スコットランドにベルセバがいるならウェールズにはマンキがいると言っていい。これはクセになるというか聴き続けて行くアルバム。8点の竹。それにしてもバンド名がねえ。「マンキ」はないだろう、「マンキ」は。


TERROR TWILIGHT Pavement
HOW I LEARNED TO LOVE THE BOOTBOYS The Auteurs
ELEPHANT SHOE Arab Strap
THE BETA BAND The Beta Band
A HARD NIGHTS DAY V.A.
BRING THE FAMILY John Hiatt
DEFACE THE MUSIC Utopia




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