logo 1998.3.14 名古屋市民会館


SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 昨日の続きだ。

この3/14のライブというのは日程上大変興味深いライブだと思う。このツアー初めての、同じ場所での3連続公演の中日。しかも前日は佐野の誕生日であり、いわばスペシャルライブの翌日ということにもなる。佐野とバンドがどのような力の配分をしてくるのか。僕には全く予測がつけられなかった。

BGMが止まり客電が落ちる。
今回のツアーのオープニングは「逃亡アルマジロのテーマ」。1/12の市川ライブからは、ステージ上にアナログプレイヤーを設置し、レコードに針が下ろされるのを合図に開演という演出が施されている。ところがこの日、ステージにプレイヤーは設置されていなかった。何の演出もなく、音楽も何も流れず、客席の歓声にのみ迎えられてメンバーたちは姿を現わしたんだ。

「こんばんは、名古屋。」
マイクの前に立った佐野元春はこれ以上ないほどの満面の笑顔だった。その言葉が終わるか終わらないかのうちに小田原豊は1曲めのバスドラを踏み始めた。

これまで、このツアーの1曲めは「ヤング・フォーエヴァー」と決まっていた。だが小田原のバスドラとハイハットがつくるリズムパターンは、明らかにその曲のものではない。次に入ってきたのは西本のオルガン、そしてKYONが奏でるマンドリンのトレモロ。

A・B・C から X・Y・Z 世界中 ペパーミントブルー
とてもいかしてるぜ!

そう、彼らはいきなりオープニングに「ぼくは大人になった」をもってきたんだ。この曲を聴いた瞬間、僕の頭の中を同時に2つの考えが駆け巡った。ひとつは昨日のこと。誕生日を迎えて「ぼくは大人になった」。なるほど。いかにも佐野が考えそうな洒落といえるかもしれない。微笑ましい限りだ。そしてもうひとつ。この曲は3/7の仙台公演ではラストナンバーだったんだ。僕の頭の中を右から左へ「曲順逆事件」という言葉が駆け抜けてゆく。

HKBのライブを生で観たことがない君のためにごく簡単に説明しておくよ。96年の初めに行われたInternational Hobo King Tourの最終日、横浜の公演で、佐野は開演直前になって突然演奏曲順の変更を行った。直前の広島公演のアンコールで初披露したばかりという「ポップチルドレン」をオープニングに、それまでオープニングナンバーだった「約束の橋」をラス前にというように、要所要所をまるで曲順が全て逆になったかと思うほど大胆に変更したお陰で、逆にステージはめちゃくちゃハイテンションかつカッコイイものになってしまったんだ。そのエピソードはのちにHKBメンバーたちによって「曲順逆事件」と呼ばれるようになった、というわけさ。

もし、きょうの公演もその時と同じように、佐野が何らかの強いインスピレーションを得て大胆な曲順変更を行ったのだとしたら…。もしかするときょうのステージはとんでもないものになるかもしれない。僕はこのツアーの中でも1,2を争う名場面を目撃できるかもしれないんだ。

君もよく知っている通り、この曲の中には絶妙なソロ合戦が組み込まれている。きょうのソロはのっけから凄かった。佐橋はもともと演奏で人を煽ることにかけては天下一品の人物だが、この時のソロは聴く者を思わず引き込まずにはおかない、とても強い牽引力があったんだ。僕も聴いた瞬間"凄い"と思った。昨日は井上の中に鬼が住んでたけど、鬼はきょうは佐橋の中に住んでいる。ソロを聴いた時は確かに、確かに僕はそう思ったんだ。

だが、2曲、3曲とステージが進むうち、だんだん僕は判らなくなってきた。1曲めでは絶対に佐橋がきょうの鬼だと思っていた。だけど、ステージが展開していくにつれ、あっちにもこっちにも、全員の中に鬼が見え始めたんだ。

2曲めの「君を探している」では井上が佐橋・KYONのツイン12弦ギターを向こうにまわして一歩も譲らないほどかっこいいピック弾きをしているし「マナサス」では小田原がいくつもの打楽器を駆使し、どうやって出しているんだろうと不思議になってしまうような、今までよりずっと複雑なリズムパターンを作り出している。「誰も気にしちゃいない」ではKYONがいつにも増して毅然としたピアノを強く高らかに、もはや"奏でる"の域を超え"叩き出し"、「ドクター」では最近パーカッションの腕も進境著しい西本が絶妙なオルガンさばきの合間にマラカスでタンバリンを叩きながら縦ノリするという、本職のパーカッショニストが見たら卒倒しそうな荒わざを繰り出している。

だが中盤、やはり大胆に曲順を変えられたこの曲が始まると、ついにこの僕にも誰がきょうの鬼なのかはっきりと見えてきたんだ。

イントロからいきなり佐橋がトーキング・モジュレーターを使ってソロ。佐野が唄の始まりを待ち切れないかのように西本にタンバリンを借りて鳴らしだす。客席まで肉声で聞こえてくる小田原のカウントを合図に始まったのは、きょうはラインナップから外されたのだとばかり思っていたこの曲だった。

「7日じゃたりない」

この曲の定位置は今まで「ヤング・フォーエヴァー」の次、つまり2曲めだった。それがこの日いきなり「ドクター」の直後という、いわばひとつのヤマ場に躍り出てきたんだ。理由は解り過ぎるほどよく解る。これは佐野からのラブソングだ。会場に集ったオーディエンスみんなに"とてもとても愛してるよ"って表現するために選ばれた、佐野からの熱烈なラブソングなんだ。

どんな時でもきみがいてくれるだけで 僕は大丈夫さ

このひと言がきっと、今の佐野の気持ちに最もピッタリきてるんだろうと思う。"きみ"とはもちろんオーディエンス。たったひと言の魔力で、この曲は中盤のヤマ場を形成する重要な曲に変身してしまったというわけだ。ま、もともとこの曲を大好きだった僕から言わせてもらえば、当然の成りゆきだといえるけどね。

大きな身体を振り回すようにしてアコーディオンソロを弾くKYON。トーキング・モジュレーターを使ったソロが冴えに冴えまくる佐橋。マラカスで弦を叩いて何だかとてもイイ音を出している井上。小田原や西本だって当然負けてはいない。だけどリフレインになって佐野がこのフレーズが歌い上げると、その瞬間、驚いたことにそんな演奏がすべて、見事に翳んでしまったんだ。

あーだけど たった7日じゃたりない
せめて8日よりもっと もっと もっと もっと
会いたい 会いたい

この繰り返しフレーズにおける"もっと"の回数は通常4回だ。佐橋と井上とKYONそのようにコーラスしている。だがこの日、佐野はこのフレーズを多分5回か6回、明らかにコーラスより多く唄っていた。それだけじゃない。2つめの"会いたい"に"きみに"をつけて"きみに会いたい"と唄ったんだ。僕にはこの"きみに"が会場全体に、ひいては佐野を愛する全国のファン全てに呼び掛けられた言葉であるように感じられた。その瞬間僕は思ったんだ。

「きょうの鬼は佐野だ。」

きょうのバンドは確かにみんな凄い。だけど佐野のオーディエンスに対する強い想いは、その全てを完璧にぶっちぎっている。きょうは佐野の日だ。誰が何と言おうと佐野元春の日なんだ。僕は今、とんでもないステージの目撃者のひとりになろうとしているらしい。

佐野が凄すぎるバンドの先頭に立って疾走していく。「ロックンロール・ハート」では「みんなの声をもっともっと、ちゃんと聞きたいんだ」と客席に向かってマイクを向け、「約束の橋」では「これからのきみは間違いじゃない!」とまるでシャウトするかのように高い声を張りあげた。そして、ライブは後半のハイライト。佐野がオーディエンスに用意した数々のプレゼントの中で最大の逸品がその姿をあらわす時がやってきた。

「多分きょうはこの名古屋の街だけじゃなくて、きっと近くの街からもたくさん来てくれていると思う。そうだろ?例えば岐阜とか、静岡とか…。」
会場中のあちこちから様々な地名があがる(僕と同じ列には、衣を裂くような声で延々「くまもとー!!」とシャウトし続けている女性がいたよ)。佐野はしばし聞き入ったあと「とにかく、近くの街からたくさん来てくれてるってことはよく解った」と観客を制し「みんなのために唄いたい曲がある」と言った。
「この曲はとてもよく知られてる……と、思う。だからみんな唄えるはずだ。」
西本がピアノブースに座り、そしてKYONがとっても嬉しそうな顔をしてウーリッツア・ピアノの前に陣取っている。ダブル・ピアノでみんなに知られている曲。僕が知っている佐野の曲で、あてはまるのは1曲しかない。

佐野自らのカウントを合図にこの曲が始まると、場内は演奏が聞こえなくなるほどもの凄い歓声に包まれたんだ。

「SOMEDAY」

Silverboy、今君がどんな顔をしているか、僕にはよく分かってるつもりだ。僕も正直なところ、イントロを聴いて「えっ、やっちゃうのかよ佐野。」って思った。僕はこの曲が大好きだし、この曲がどんなに素敵な魔法の力を持っているかもよく解ってる。だけど、だからこそ今回のツアーではそれを使って欲しくないと考えていた。ファンに喜んで欲しいという佐野の意図ももちろん解らないではなかったけれど、HKBが独自の音を作り上げ、その中からこの曲に匹敵するであろうナンバーも排出されている今、この曲無しでどこまでやれるかチャレンジしてみて欲しかったというのが、僕の偽らざる気持ちだったんだ。だから、この曲が始まった瞬間、僕は実に、実に複雑な心境だった。

だが僕の目の前で起こったある出来事を見て、僕は考えを変えることにした。

イントロで佐野は、とびきりノッている時特有の高く吠えるようなシャウトで、「Come on, let's go!」と叫んだ。それを聴いた瞬間、僕の隣の隣にいた女性−多分僕らより少しだけ年上、僕の姉貴と同じくらいだと思われる−が、わっと両手で顔を覆ってしまったんだ。彼女は眼鏡をしていた。その上から顔全体を覆ったまま、彼女はしばらく動かなかった。いや、"動けなかった"が正しい表現かもしれない。傍目から見ても明らかに泣いているのだと判る。彼女は眼鏡の奥から溢れ出てくる涙を指で拭いながら必死で唱和しようとするんだけど、でも唄えないんだ。どうしても唄えないんだ。そんな様子を見ながら僕は思った。"もしここで唄われたのが「SOMEDAY」ではなく他の曲だったら、果たして彼女はここまで感激しただろうか?"って。答は火を見るよりも明らかだろ。

昨日はオーディエンスが、自分たちにできるあらゆる手だてを講じて佐野の誕生日を祝った。ある者はライブ会場に駆けつけてロビーに備えられた大きな模造紙にメッセージを書き入れ、ある者は時間がない中で精一杯考えたメッセージをインターネットに発表してね。そしてきょう、佐野が自分の持てるもの全てを使ってそんなオーディエンスに喜んでもらいたいと考えた時、このツアーでほとんど演奏されていないこの曲を唄おうという結論に至るのはとても自然な成りゆきだと思う。佐野はそれを実行し、オーディエンスはそれに大感激する。きょうのところは小難しいこと言わないで、そのストレートな展開を心から楽しむのが一番じゃないかって、佐野の気持ちを掛け値なしで受け止めるのが最も素敵なことなんじゃないかって、慌ててハンドバッグをあけてハンカチを探す彼女を見つめながら僕は思ってしまったんだ。

「街の唄が聞こえてきて…」そのはやる気持ちを象徴するかのように、佐野は出だしを1拍早く唄い出してしまった。普段なら"大失態"だ。おそらくその瞬間佐野も「しまった!」と思っていたに違いない。だがきょうはオーディエンスが間髪を入れず「真夜中に恋を抱きしめたあの頃」と大合唱して慌てる佐野をしっかりと支え、全体の歯車をすっかり整えている。次の瞬間、苦笑いする佐野の表情が、みるみるうちに手放しの歓喜の表情へ変化していく。表現者と受け手の関係として、これ以上素敵な関係はまたとないだろう。そんな中にどっぷり浸かっているのがきょうはたまらなく気持ちいいんだ。だから僕も唄った。学生の頃バンドで唄ってたコーラスパートに合わせて、僕も唄ってみた。僕の担当パートは、HKBでは井上富雄によって唄われていた。

きっとこの日の「SOMEDAY」は今回のツアーの中でも名場面のひとつとして永く記憶に留められることになるだろう。佐野の名曲数多かれど、この曲にはやはり他の曲に無い魔法の力があり、佐野とオーディエンスを結ぶ上で欠かすことの出来ないナンバーであることがここで再確認されたという訳だ。しかし、だからこそこの曲は使いどころの見極めがどの曲よりも難しいのだということを、僕は最後にもういちど強く主張しておきたい。今回はいい。今回はいいんだ。この曲は素晴らしい奇蹟を佐野やバンドを含め、会場にいた全員の上にもたらしてくれたと思う。でも、奇蹟はしょっちゅう起こったら奇蹟じゃなくなる。だからこの曲を使うのは本当に魔法の力が必要な時だけにして欲しいと僕は思うんだ。きっと佐野はそんなこと、言われる間でもなく心得ていると僕は信じているけどね。

いよいよHKBは満を持して東京に帰る。次は渋谷、関東へは実に2か月ぶりのご帰還だ。インターネット普及率の高い佐野ファンのことだから、名古屋で何が起こったか、知っている人も多いはずだ。ついに伝家の宝刀を持ち出してしまった彼らがこの先どうやって事態を収拾していくのか。僕は是非とも見届けなくちゃならない。

それじゃ。また今度。


親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。

元気でやってるかい。ドイツでは春分を過ぎて(春分を過ぎたのはドイツだけじゃないだろうが)日に日に夜明けが早くなっている。会社へ出かけるときにもう辺りが明るいというのは嬉しいものだ。いよいよヨーロッパが最も美しい季節、夏に向かっていろいろなものが動き始めたという感じで、気の早いドイツ人たちはもう夏休みをどこで過ごすか計画するのに夢中だ。この週末には夏時間が始まる。

「SOMEDAY」という曲には僕も複雑な思いがある。でもキミのレポートを読んで、この曲のタイトルを目にした瞬間、僕の頭の中にはあのピアノのイントロの最初の3音が本当に鮮明によみがえってきた。それもレコードではなく、ライブでの次の曲は何だろうという緊張を帯びた一瞬の静寂の中で鳴り始める印象的なピアノの音がだ。

それは僕にとっても意外なことだった。名古屋のライブでこの曲が演奏されたということを知ったとき、僕もまさにキミと同じことを考えた。でも、今回キミのレポートを読んで僕はなぜだかとても素直にこの曲を受け入れることができたんだ。そしてライブで演奏されるこの曲を久しぶりに聴いてみたい、日常の澱のようなものをキレイに吐き出してみたいと思ったんだ。

SCRATCH、僕はここにいて僕の生活を生きている。キミはキミの生活を生きていることだろう。その僕たちが、今日、もうだれにも分からないほど複雑にこんがらがったネットの片隅で、こうして同じ「SOMEDAY」という曲についてそれぞれの思いを話せることに、僕はなぜだかとても感謝したいような気持ちでいる。それはもしかしたら、すごいことなんじゃないかな。

ツアーも終盤だ。身体に気をつけて。明日はルクセンブルグに行ってくる。
Silverboy



Copyright Reserved
1998-2021 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com