logo アップサイド・ダウン クリエイションレコーズ・ストーリー


1996年にセックス・ピストルズが再結成してライブを行ったとき、アラン・マッギーはNMEの1ページを買い取って自分の論評を掲載した。今回、そのテキストを手に入れることはできなかったが、自分がいかにピストルズに影響されたか、パンクというものが自分にとって何であったかということが率直に、真摯に書き綴られていた。マッギーはパンクの子供だった。

クリエーション・レコーズの盛衰についてはパオロ・ヒューイット著の「クリエイション・レコーズ物語」に詳しいし、それを先に読んでいれば少なくともこの映画の歴史的事実の部分はすんなり頭に入ってくる。ジーザス&メリー・チェインの衝撃的なデビューから、マッギーがドラッグで廃人になりかけたことも知っているし、レーベルの経営がうまく行かず最後はソニーに身売りするしかなかったのも有名な話だ。

しかし、この映画は、そんなレーベルの歴史を勉強するために見るものではない。この映画を見て分かるのは、このレーベルに所属したどんなアーティストよりも、レーベル自体が、あるいはその経営者自身がパンクであったということであり、彼らがどれだけデタラメでいい加減でどうしようもない人たちであったかということだ。

だからこそこのレーベルはいくつもの素晴らしいバンドをひきつけたのだと言うこともできる。あるいは逆にまともなマネジメントがあればもっといい音楽を世に送り出し続けることもできたはずだと言うこともできる。しかしそんなことはどうでもいい。このレーベルはビジネスであるよりは、マネジメントとバンドが作り上げたひとつの有機体だった。僕たちはそれを愛していた。

マッギーにとって、あるいはクリエイションに所属した多くのバンドのほとんどのメンバーにとって、音楽は切実なものだった。彼らは何かにすがるように音楽を聴き、それに耽溺し、ロックンロール・スターを夢見て自らギターを手にした。適当に働いてわずかなサラリーを手にするか、あるいは失業手当で食いつなぎながら、彼らは音楽で生きることを目指した。

その視線、その態度は、僕たちが寄る辺のない世界で自分自身を何とか支えようとしていた自意識のありようとどこかで共振していたのではなかっただろうか。だからこそ彼らの音楽は、メジャーのウェル・プロセスされた音楽よりもずっと多くのことを僕たちに語りかけてくれる気がしていた。

ボビー・ギレスピー、ジム・リード、ケヴィン・シールズ、ノエル・ギャラガー、ノーマン・ブレイク、アンディ・ベル、マーク・ガードナー、ガイ・チャドウィック、今までレコード・ジャケットか音楽雑誌でしか目にすることのできなかった人たちが動いてしゃべっているのを見られるだけでも至福の体験だが、僕たちが作品をはさんで彼らと対峙していたことを確認できたことが何より嬉しかった。

少なくとも僕は冷静に見て冷静に評することができない当事者的な映画。80年代、90年代のUKインディペンデントに興味のある人は必見だ。



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