logo 僕が佐野元春を聴き続ける理由


僕はかつて「SOMEDAY」という曲があまり好きではなかった。理由は二つあって、一つはこの曲があまりに安直に佐野元春の代表曲扱いされることへのあまのじゃくな反発、もう一つはこの曲が最も大切な問題に答えを出していないように思えたことだ。

僕は高校の頃から、つまりアルバム「SOMEDAY」がリリースされる前後から佐野元春を聴き始め、すぐにそれまで聴いていた他の音楽を放り投げてしまった。それまでになかったスピードとビート、そして佐野元春の世界の背後に広がっていたロックンロールの歴史や豊穣、さらには映画・書籍などにまでわたるサブカルチャー全般へのまなざし、そうした世界観そのものを提示して見せたアーティストを僕は他に知らなかった。

当時僕が最も好きだったのは「ダウンタウン・ボーイ」だった(今でもいちばん好きだ)。この曲の「すべてをスタートラインに戻してギアを入れ直している」とか「たった一つだけ残された最後のチャンスに賭けている」といった歌詞が、理由もなくスポイルされていると感じていた僕の偽悪的で甘ったれたヒロイズムと同期しているように思えたからだ。僕にとって佐野元春は切実な問題だったのである。僕は一人で学校や社会という権威と闘っているつもりだったし、その圧倒的に形勢の悪い闘いにおいて、佐野元春の提示した世界観は僕の力強い武器だった。

そのような僕にとって、だれもが「SOMEDAY」をいい曲だと言うのは我慢ならなかった。「No Damage」しか聴いたことのないような奴らが「佐野っていいよね」などと言うのが許せなかった。僕にすれば「SOMEDAY」を理解するのはその背後に広がる「佐野元春的世界」の理解なしに不可能であり、この曲をその辺に転がっている「いい曲」と一緒にして欲しくなかった。今にして思えばそれは自分がいわば「佐野元春エリート」とでもいうべき存在だという思い上がりに過ぎなかったかもしれないが、気持ちとしては理解してもらえるのではないだろうか。

だが、僕がこの曲を好きになれない理由は他にもあった。それは「窓辺にもたれ夢の一つ一つを消して行くのはつらいけど」という歌詞だった。高校の頃の僕には、「ガラスのジェネレーション」で「つまらない大人にはなりたくない」と歌った佐野元春がどうして「夢の一つ一つ」を消して行かねばならないのかよく理解できなかったし、しかもその後「ダウンタウン・ボーイ」のような「闘い」や「前進」への意志が表明されないところに決定的な不満を抱かざるを得なかった。


僕はなんてバカだったんだろう。僕はなんて無知で傲慢で愚鈍で、そして若かったのだろう。


進学校でぬくぬくとした高校生活を送っている僕のどこに深刻なクライシスがあっただろう。もちろんだれでも若い一時期自意識に悩むことがある。その意味では僕は正しく成長したのかもしれない。しかしそれは本来ならいずれ霧のように晴れて行く問題だったはずだ。もし僕が佐野元春に出会っていなければ、そして「つまらない大人にはなりたくない」なんて叫んでいなければ。

大人になることに直面していない人間がつまらない大人になりたくないと叫んだところでそれは無責任なスローガンに過ぎない。そして実際成長という問題に直面したときそんなことは忘れた顔をして生きて行くこともできる。なぜならそれはすぐれて内面的な問題だからであり、多くは若気の至りとして許容されることだからだ。

だが僕はだからこそ自分の内側の落とし前をつけることができなかった。就職活動を始め、社会というものが目の前にちらつき始めたとき、僕は初めて自分が言い放ったことの重大さに気づいた。僕は一人無謬でシステムの外にあるのではなく、本質的にシステムの構成員でありそこには目に見える敵も味方もなかった。僕は複雑に利害が絡み合った現実の社会の一員としてそこで自らの生活を維持しなければならなかった。僕は子供としての無責任さに依拠した夢の一つ一つを消した。そして若すぎてなんだか分からなかったこと、即ち自分の責任とか主体性とかいうことの意味がリアルに感じられるようになった。

「SOMEDAY」は決して若さゆえのヒロイズムにおける逆境を嘆いているのではなく、そのような成長の物語だったのだ。成長する過程で人はいつか自分の責任というものに気づかざるを得ない。そしてそこから先にもある種の無垢さ、誠実さを持ち続けることは極めて困難な課題だ。だが、いやだからこそ佐野元春は歌ったのだ、「まごころがつかめるそのときまで」「信じる心いつまでも」と。そのことに気づいたとき、僕は初めてこの曲を聴いて泣いた。

つまらない大人にならないということ、それは大人にならないことではなく、大人としての責任を果たしながら人間として生きる上での誠実さを失わないことだと僕は思う。だとすればそのことの落とし前は僕がこの生を誠実にまっとうするまで得られないだろう。だから僕は今でも佐野元春の音楽を聴き続けている。それは僕がつまらない大人になっていないか見届ける術だからだ。

この文章を書きながら、僕はずっと高校時代一緒に佐野元春を聴いた友達のことを思っていた。だから主語がつい「僕たち」になりそうになるのを抑えて「僕」と書くのにかなりの注意を要した。彼らは今何を考えているだろう。彼らのうちだれか一人でもこの文章を読んでくれたらと思う。



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