logo 変わりゆくもの/変わらないもの - by mine-D


ぼくが初めて佐野元春のライブに行ったのは、1982年のクリスマスイブだった。

当時17歳だったぼくは、高校の同級生7人ぐらいとワイワイ連れだって見に行った。いわゆる「ロックコンサート」に行ったこと自体が初めてだったせいもあるだろうけど、とにかく強烈で、衝撃的なライブだった。大阪厚生年金会館の3階の一番後ろの方の席だったけど、あまりの爆音に以後1週間ぐらい耳鳴りがやまなかったのをよく覚えている。このライブ以降、ぼくはそれ以前にも増して佐野元春のディープなファンになっていった。

あれ以来、いったい何回ぐらい彼のライブに足を運んだのだろう。一緒にライブに行く人も変わっていった。Visitorsツアーの頃は、Silverboyとよく見に行った(「New Age」の「彼女はうつろなマーマレード 雨に向かって...」の後のポーズを二人でキメたものだ)。大学のサークルで知り合った彼女は、ぼくにつられて佐野のファンになり、「Cafe Bohemia」の頃のライブを何度かぼくと見に行ってくれた。就職してから「ナポレオンフィッシュ」のライブに行ったのを最後ぐらいに、その彼女とも別れ、ぼくはだんだん佐野元春を聴かなくなっていった。

17歳の頃のぼくの生活は、今考えても暗くて、情けないものだったけれど、それでも「つまらない大人にはなりたくない」と歌う佐野の言葉を、そのままに受け止めていたし、佐野の表現するイノセンス、ポジティブさといったものが自分の心の中にも確かに存在すると信じられた。そしてそれをずっと大切にしていけると思っていた。

34歳の今、結婚し、子供もいる「大人」と呼ばれる年齢になって、自分自身を振り返ってみたとき、なにかが間違っているような気がするけど、なにが間違っているのか、なにをすればいいのかもよく分からないまま日々が過ぎて行っている、そんな状態だ。いったい今の自分はなんなのだろう、と時々思う。確かに存在すると信じていた、あの気持ちは、どこへ行ってしまったのだろう、と。

そんなぼくの悩みなどお構いなく、佐野元春は何枚かのアルバムを発表し、テレビCM、バラエティ番組などに積極的に出演するようになっていった。CDを買ったり、ライブを見に行ったりするほどではないにしろ、佐野のやることは気になっていたし、TVのオンエアなどはしっかりチェックしていた。また、インターネットを始めて、SilverboyがWebサイトを運営していることも知った(「佐野元春」で検索をかけて偶然たどり着いたのだ)。

活躍している佐野や、Silverboyに対して、そして、17歳の頃のぼく自身に対して、ぼくはある種の「うしろめたさ」のような感情をずっと抱いていた。いつまでも変わらない、と固く信じていた大切なものが、自分の中でよく分からない形に変わってしまったのに、なにもなかったかのような顔をして毎日生活していくことが、たまらなく罪深いことに思えた。

そして1999年の今、ぼくは久しぶりに佐野のアルバムを買って、今回は一人でライブに出かけた。今度のアルバムで特に気に入っている、「驚くに値しない」を演奏してくれたのがうれしかった。この曲と、「Complication Shakedown」、「GO4」と続く構成が、今回のライブの「核」であると、個人的には思っている。打ち込みと演奏を合わせた、あくまで「佐野流」の最高にクールなヒップホップ。佐野の音楽性は、過去時代の流れに沿って様々に変化してきたが、今、この時代に、彼はこれらの曲をヒップホップという手段をとって、ハードにぼくらの前に叩きつけなければならなかったのだ。特に「驚くに値しない」は、今までの佐野のどの曲とも違う、新しい方向性を示しているように思う。

プログレッシブなそれらの曲とは対照的に、ライブの後半ではなつかしい初期の頃の曲が何曲か演奏された。確か2回目のアンコールに演奏された、「ガラスのジェネレーション」が、特にぼくの印象に残った。

佐野はこの曲にはいる前に、「いつまでも変わらない、この気持ち」とコメントして、ほとんどオリジナルに近いアレンジで演奏したのだ。ぼくは少し意外に思った。ぼくが知っている限りでは、佐野はニューヨークから帰って以降は、長い間この曲はライブでやらなかったし、久しぶりに演奏されたときも、オリジナルとはかなり異なる、バラードのアレンジで演奏されたはずだ。20年近く前に「つまらない大人にはなりたくない」と書かれたこの曲を、今の佐野元春が照れることなく、ストレートに演奏し、歌っているのを見て、なぜかぼくは気持ちが少し楽になるのを感じていた。

ライブから帰ってきて、また元のようなどんよりした生活に戻ったぼくは、こんな風に考えるようになっていった。ライブでの対照的な2曲のように、「変わりゆくものは変わって行く。けれど、変わらないものは何ひとつ変わっていないのかも知れない」と。卵の殻を壊すように、現状を打ち破り、どんどん新しいものに形を変えていくその一方、大切なものは石のように固く、その形をけっして変えようとはしない。

もちろんそう思っただけでぼくの人生が明日からガラッと音を立てて変わるわけではないし、この先もずっとこんな毎日を送っていくのかも知れない。たぶん、そうなんだろう。

けれど、17歳の頃の、あの輝くような気持ちが、今のぼくの心の、どこか片隅にでも固く刻まれているなら、そう信じていられるなら、それだけでこの先も生きていける、そんな気が少しするのだ。




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