logo 全曲バージョン解説22(211-220)


[211] 紅い月
アルバムのタイトル・チューン。アルバムのリリースに先立ってビデオ・クリップが公開された。この曲で佐野は「私たちは大人になった」と歌う。もう何度めかの宣言だが、それは結局僕たちが、「大人になる」ことの代償を今でも支払い続けているということ。「夢は破れて」「すべてが壊れてしまった」。空には不吉な、血のような紅い月が浮かんでいる。重いビートに乗せて絞り出すように歌われる悔恨。この曲の現実認識は厳しい。

中でも痛烈なのは「君が夢にみていたぬくもりは 他の誰かのためのお伽噺だった」というラインだ。「もう振り向くことはない」「人生は短い」から。佐野が求めているのは、自分の足で立つこと、自分自身の「今ここ」を直視すること。なぜなら僕たちの生はそこにしかないから。そのためにこそ佐野は厳しい現実認識を必要としたのだ。すべてをご破算にしてもそこに残る芯のようなもの。僕たちはそこからまた始めて行くしかないのだ。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:2 ●バージョン:(A)
●表記:紅い月
●英文名:Blood Moon
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[212] 本当の彼女
アコースティック・ギターのストロークで始まるミドル・バラード。佐野自身の奏でるマンドリンが印象的だ。例えば『ジャスミン・ガール』のように、あるいは『だいじょうぶ、と彼女は言った』のように、都会で暮らす女性についてのささやかなスケッチ。「気取っている」「近寄りがたい」という「彼女」の姿は具体的に想像しにくいが、その分、僕たちが、それぞれの胸の中の「彼女」の像を自由にその余白に投射することはできる。

だれもがだれかに分かって欲しいと思っているのに、だれかを「分かる」ことは難しい。僕たちは果たして隣にいる「彼女」のことを分かっているのだろうか。いや、もしかしたら自分のことさえも。そのような「絶望的な断絶」を抱えながら、それでも僕たちは毎日をやり繰りしない訳に行かず、完全に分かり合うことは原理的に不可能だと知りながらも分かろうと試みるしかない。「本当の彼女」なんてものが本当はどこにもないとしても。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:3 ●バージョン:(A)
●表記:本当の彼女
●英文名:The Real Her
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[213] バイ・ザ・シー
イーグルス、ドゥービー・ブラザーズなど70年代のウェストコースト・ロックを思わせる軽快なポップ・ソング。歪ませないリード・ギターや流麗なコーラス・ワーク、サビでの転調などが、この曲にドライで洒落た質感を与えている。カウベルやコンガも効果的だ。だが、この曲のメッセージは必ずしもハッピーではない。世の中は不公平だ。思いどおりにはいかない。仕事を探して一日が終わる。ハードな世界を僕たちは生きているのだ。

週末にはそんな街を離れ、海辺のコテージで静かに過ごす。そこで僕たちが見つけるものは何か。あるいは「ひとつの美しい経験」、あるいはまた「幻を見るような眩しい永遠」。それはランボーの『永遠』を思い起こさせる印象的なラインだ。ひとときの残像に目を凝らし、形のないものを慈しむことで、佐野はハードな世界を生き延びる手がかりを得ようと試みているのか。だからこそこの楽天的なアレンジが必要だったのかもしれない。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:4 ●バージョン:(A)
●表記:バイ・ザ・シー
●英文名:By The Sea
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[214] 新世界の夜
フィラデルフィア・ソウルを思わせる美しいストリングスに導かれて始まるミドル・テンポのポップ・チューン。曲調はかつての『虹を追いかけて』の再録バージョンを思い起こさせる。大サビやブリッジもなくAメロを繰り返すだけのシンプルな構成だが、そこで歌われるのは不確かで怪しく、野蛮なこの世界への鋭く辛辣な警句。美しく親しみやすい曲調との対比が、メッセージのシリアスさをよりくっきりと際立たせているかのようだ。

「欲張り」「野蛮な」は『優しい闇』とも共通するキーワード。しかし、佐野は僕たちに世界の動因を問いかけながら、その答えをここで示してはくれない。佐野は、かつて『誰も気にしちゃいない』で「ただせつない」とだけ嘆いてみせたのと同様、それが他ならぬ僕たち自身の問題であることを厳しく告発しているのだと思う。英文タイトルは「完全な世界」。多義的な政治性というこのアルバムのテーマを象徴的に表現した名曲だと思う。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:6 ●バージョン:(A)
●表記:新世界の夜
●英文名:Pefect World
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[215] 私の太陽
タムを連打するアフロ・ビートのワイルドなナンバー。過去のレパートリーでは『99ブルース』を思い起こさせる。アナログではB面の冒頭を飾る曲だが、ひたすらグイグイと押してくる曲調はアグレッシヴ。聴きようによってはセカンドラインにも聞こえる。それが聴き違えようのない佐野元春のポップ・チューンとして成立しているところに、佐野の音楽的素養の確かさを見る思いだ。英字タイトルは「私の太陽」を意味するフランス語。

「壊れたビートで転がって行くだけさ」と繰り返す歌詞は、反復的なビートと呼応してまるで呪術のような自動性を獲得している。キーワードである「不公平な世界」はここにも現れるが「気にしない」。ここでのテーマは身体性の奪還。まずは終わりのないビートに従って踊り続けるだけだ。その終わりなきダンスの果てに何が見えるのか。言葉がビートを、ビートが言葉を、互いに求め合うモダン・ダンス・チューン。ビートは続いて行く。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:7 ●バージョン:(A)
●表記:私の太陽
●英文名:Mon Soleil
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[216] いつかの君
バスドラが4つ打ち、ベースが8分音符を刻む、後ノリのディスコ・ナンバー。だが、アップ・テンポではあるものの曲調は必ずしも明るくなく、歌われる内容もまたヘヴィなもの。この曲の名宛人はかつて「世界を変えようと生き急いでいた」「全てが知りたいと追い込まれていた」君。都市生活の中で知らずに追いこまれ、囲いこまれて行くありふれた魂の行方を佐野は誠実にトレースし、「楽になって」「元いた場所に戻れ」と共感を示す。

かつて『呼吸』でメンタルを病んだ友人に寄り添ったように、佐野はここでも、新たな戦いを組織するよりは、僕たちの心のありようを肯定し「生き延びる」ための赦しを模索しているように見える。そこには「ペテン師」や「邪まな風」に対する静かな怒りがある。それはこのアルバムの通奏低音である。しかし佐野はそれを直接指弾するよりは、傷ついた魂へのコミットを歌うことでその怒りを共有しようとしているのではないだろうか。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:8 ●バージョン:(A)
●表記:いつかの君
●英文名:Hard Times
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[217] 誰かの神
クラビネットの音色がスティービー・ワンダーを強く思わせる、ハネたリズムのモダン・ソウル・ナンバー。ギター・オリエンテッドなアルバムの中では例外的にキーボードを生かしたアレンジになっており、渡辺シュンスケの歯切れのいいプレイが映える。かつて「街角から街角に神がいる」と歌った『誰かが君のドアを叩いている』にも通じる、現代のインチキな神々に対する強烈な揶揄。「聖者を気取っている妙な人」という表現がいい。

それはあるいはどこかの新興宗教の怪しげな教祖のことかもしれず、あるいはまた殉教を強いる原理主義テロリストのことかもしれない。佐野がここで告発するのは、心の隙間に入りこみ、そこにある弱さや恐怖をむさぼりながら肥大化して行く闇のことであり、それはもともと僕たち自身が生み出したもの。「妙な人」はそれを顕在化させる媒介者に過ぎない。そのような弱さや恐怖がマーケットで取引される時代に僕たちは生きているのか。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:9 ●バージョン:(A)
●表記:誰かの神
●英文名:The Actor
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[218] キャビアとキャピタリズム
ツイン・ギターがグイグイと押してくる、クラシカルな70年代マナーのアグレッシヴなロック・チューン。ここでも渡辺のクラビネットが効果的。2012年3月、吉本隆明の死に際して佐野が自らのFacebookに発表した同名の詩が原型になっている。高度に発達した情報資本主義を峻烈に告発するが、ユーモアと寓意がそれを表現として成熟したものに昇華している。キャビアは自分の都合で世界を動かす特権性の象徴。頭韻を踏んで語調もいい。

タイトルに「キャピタリズム」を冠し歌詞では「それが市場原理主義」とも。だが、困難なのは、僕たちがそれを自分自身と対置して無責任に指弾する訳に行かないということ。なぜなら僕たちもまたそこで生を営んでいるのであり、自分一人がそこから離脱することはできないからだ。搾取と被搾取が重層的に交錯する複雑さこそ情報資本主義における疎外の本質。この曲が突きつける刃の切っ先は僕たち自身に向けられたものに他ならない。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:10 ●バージョン:(A)
●表記:キャビアとキャピタリズム
●英文名:Caviar and Capitalism
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[219] 空港待合室
アナログ盤を模したスクラッチ・ノイズに導かれ、Aメロをスロー・テンポで演奏した後、ブギー調のヘヴィなロックに展開する。破れた音色のギターがハネたリズムのリフでリズムを作り、渡辺のハモンドがそこにうねりを加えて行く。歌詞は抽象的。「炎の人」「歓喜の声」「堕落した場所」など、象徴的な表現に満ちた冒頭部分の歌詞は歌詞カードの最終ページにも引用されており、アルバム全体の重要なモチーフであることが窺われる。

人生を旅になぞらえる歌は世に数多いが、佐野もまたこの曲で、人生の中の現在という一瞬を、空港でのトランジットに見立てているようだ。「時が経って景色が変わった」という一節は、『優しい闇』の「あれから何もかもが変わってしまった」と呼応するものか。「忘れられない歌」とは何か。そして「笑うにはまだ早すぎる」との警句はだれに向けられたものか。歌詞は多義的、両義的だが、戦いを継続する意志だけは少なくとも明らか。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:11 ●バージョン:(A)
●表記:空港待合室
●英文名:The Passengers
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。


[220] 東京スカイライン
アルバムのラストを飾る、アコースティック・ギターとピアノを中心にしたシンプルなアレンジのスロー・ナンバー。空を横切るハイウェイ、「蒼いセロファンの海」「橋から見下ろす街」「次のカーブ」という歌詞からは首都高速のレインボー・ブリッジあたりが連想される。大サビはなく、佐野は声を張り上げずにAメロを繰り返す。間奏のマンドリンが印象的だ。「崩れてゆく文明」「嘘のような真実」。佐野はただ、過ぎる夏を惜しむ。

『新世界の夜』と同様、佐野はここでも何かを声高に指弾することをしない。今まで交わしたいくつもの約束、重ねた別れも、今はもう思い出せない。佐野の視線はあまりに透徹し、あまりに穏やかだ。しかし、だからこそ、そこに込められた問いかけは僕たち自身に厳しく突きつけられている。詩人は、そこにあるささやかな違いに誰よりも早く気づき、声を上げる。それをどう受け取り、どう対応するのか。真の意味で政治的なナンバーだ。
[104] Blood Moon
●アルバム ●オリジナル
●2015.7.22発売 ●DaisyMusic ●POCE-9390
●曲順:12 ●バージョン:(A)
●表記:東京スカイライン
●英文名:Tokyo Skyline
●バージョン名:記載なし

オリジナル・バージョン。



Copyright Reserved
2015 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com