WINTER WONDER MEETING 2023
『ビューティフル・ナイト』というナンバーはなかなか僕のなかではっきりとした像を結ばない曲だった。この曲は学生運動の嵐が吹き荒れた同世代の思いの行方を歌ったものだと説明され、銀次自身の手になる歌詞は確かに成就することのなかったそんな思いに対する鎮魂歌のようでもある。 しかし、アルバムでは(この日のステージで銀次が自ら説明したように)アレンジはやや大仰でオーバー・プロデュースの感を払拭できないし、銀次のボーカルも自意識が先行して押しつけがましさが感じられる。佐野元春の『Rock & Roll Night』を意識して曲を大きく見せようとしすぎてしまい、この曲そのものが本来持つ力強さやその裏にある細やかさが伝わってこない憾みがあるようにずっと感じていた。 しかし、この日、ステージの中心にあったのはこの曲だったと思う。銀次が自らギターを弾く4ピースのバンド構成であったが、ギターだけで静かに歌いだされ、徐々に音を重ねて行った演奏はシンプルであり、銀次の細い声はどこまでも自然で丁寧だった。そしてこの曲がたたえる憧憬や悔恨、そこに示唆される希望の予兆は、そうした「率直さ」によってこそまっすぐに僕のところにまで届いたのだった。 この日は銀次の73歳の誕生日であり、そこに集まった客層を見ても、そしてまた自分を顧みても、僕たちがこの曲を初めて聴いたときから今までに過ぎ去った時間のことを思わずにはいられなかった。今年も多くのアーティストが亡くなり、多くの人は自分の「残り時間」を否応なく意識しただろう。そんななかで、この曲はそうした時間の試練に耐え、そしてなお聴かれるべき実質を具えたものとしてそこにあった。 この曲が書かれたのは1983年、銀次が32歳、僕が17歳のときだ。それから40年、人がそれぞれ成長するように、ある種の音楽もまた、おそらくは作り手さえ想像していなかった豊かさを伴って成長し、成熟し、僕たちの胸に新たな感興をもって静かに迫ってくるようになる。73歳の銀次が歌うこの歌を聴きながら、58歳の僕はそう思った。 毎年恒例となったクリスマスのライブで、僕たちは毎年ひとつずつ歳をとった自分と出会う。17歳のころに聴いた音楽が、今、どんなリアリティをもって、自分のどんな感情とフックするか、まるで実験するように自分自身と向かい合う。自分がひとつ歳を取り、銀次もまたひとつ歳を取り、『ビューティフル・ナイト』のように曲も成熟して行く。聴き慣れたはずの曲であってもその場で起こることは二度と同じには起こり得ないその場限りのハプニングである。 ライブとはもともとそのような真剣勝負であり、そのことはアットホームで楽しいクリスマスのプレミアム・ショーであっても変わることはない。そしてそうである限りそれは常に、音楽として、新しい体験として僕たちの内側に――まるで年輪のように――ひとつずつ、しかし確実に痕を残して行く。それは僕自身の物語である、かつて佐野元春も言ったとおり。 この日のライブでも僕はまた新しい銀次と出会い、そして新しい自分と出会った。そのようにして日々は更新され、自分のなかのなにがしかは今でも常に新しいなにかを求めるいることを知る。善き哉。 2023 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |