名盤ライブ Sweet 16
再現ライブするなら他にもアルバムあるだろとかひねくれたことを思いながら横浜まで出かけ、雨のなかで入場待機の列をつくった。ライブは10分ほど押して始まった。 どうしても「再現」できていないところが気になってしまうのはしかたないと思うが、聴き慣れた曲をできる限り丁寧にオリジナルに沿って演奏してくれることで、徐々にアルバムの世界に没入することができた。同期音源ももちろん使われてはいたが抑制的であり、「できる範囲」で曲構成をきっちりなぞるのが、再現感とライブ感のバランスとしてちょうどよかったのかもしれない。 このアルバムは、佐野がかつて言い放った「つまらない大人にはなりたくない」というイノセンスのドグマからなんとか自身を解放しようともがいていた時期の作品である。また、亡くなった父親に捧げられた作品でもあり、佐野自身いろいろな困難を抱えて制作した、それゆえどうしようもなくある種の混乱を内包したアルバムだと思っている。 だが、それを越えてなんとかキャリアを前に進めたい、自分の表現を誠実に更新して行きたいという佐野の思いは、このアルバムとおそらくは表裏の関係にある「The Circle」につながり、さらにはザ・ハートランドの解散、ブランクを経てアルバム「Fruits」での再生へとつながって行った。そしてこの「sweet 16」を丹念に聴けば、その再生の萌芽もまた――いささか遠慮がちではあるにせよ――その中に確かに聞き取ることができるのだ。 この日それを最も強く感じたのは、『誰かが君のドアを叩いている』のアウトロで佐野が「ステキなことはまだ訪れちゃいない」と歌ったときであった。このフレーズは歌詞カードには記載されておらず、おそらくはレコーディングの現場で佐野のアドリブにより歌われたものだと思うが、そこには本当によきことはまだこの先にあるはずだという祈りにも似た希望があった。それを佐野は2022年にあらためて声明してくれた。 次の『君のせいじゃない』はハードエッジな演奏で、この曲がブルースであることを印象づけた。スタジオ音源ではプロデュースが勝ってコンパクトにまとまってしまい、この曲がもつむきだしの否定の力と、それがあればこそその先に立ち現れる再生への希求が直接響いてこない憾みがあったが、この日の演奏はそのもどかしいフィルタを取り去った。正直「こんな曲だったんだ」と思ったし、それは「アルバムをライブでそのまま再現する」というコンセプトの意義が生かされた瞬間であったと思う。 『ボヘミアン・グレイブヤード』はもともと好きな曲だ。アルバム「TIME OUT!」で「ぼくは大人になった」と自らに言いきかせながらも結局のところ自分がまだ「大きな少年」に過ぎないことを自認せざるを得なかった佐野は、この曲で自身の「ボヘミアン気質」を葬ろうとした。シニシズムのレストランで「まるで夢を見ていたような気持ち」とつぶやく佐野は、覚醒の予感を確かに手にしていた。それはよきことの兆しだ。この3曲のシークエンスはこの日のハイライトだった。 こまかい点でいくつか残念だったのは、まず、ブラス・セクションにトロンボーンがなかったこと。『ボヘミアン・グレイブヤード』の間奏とアウトロにはあのトロンボーン・ソロが欠かせない。この曲のためだけにでもトロンボーン奏者を加えるべきだったと思う。 もうひとつはアンコールの選曲で、『ヤング・フォーエバー』の代わりに、『彼女の隣人』を演奏してほしかった。この曲は『レインボー・イン・マイ・ソウル』とのカップリングでアルバム「The Circle」に先だってシングル・リリースされたもの。この曲を演奏することで、「sweet 16」が「The Circle」と地下水脈でつながっていることが暗示できたのにと思う。オリジナルの構成で演奏された『約束の橋』はよかった。この曲は『スウィート16』とのカップリングでシングル・リリースされているので演奏されることに納得感があった。 1992年7月、僕は遠くドイツの語学学校の寮で弟に送ってもらったこのアルバムを受け取り、ポータブルCDプレイヤで繰り返し聴いた。しかしこの日、このライブの会場で僕は不思議とそのことを思い出さず、それよりは『エイジアン・フラワーズ』でオノヨーコが歌っていた「フラワーズ・オブ・フリーダム」「フラワーズ・オブ・ラブ」というフレーズがこの2022年にまだ力を持ち得ることの意味を考えずにはいられなかった。それはむしろ2022年の今にこそ歌われるべきことであり、優れた音楽はそうやって簡単に時をひとまたぎにするのだと。このフレーズをオノに代わって高らかに歌い上げたコーラスの二人に祝福あれかし。 2022 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |