WHERE ARE YOU NOW
疫病、戦争、デマ、ヘイト。21世紀は混乱の時代なのか。そんな世界でロックはなにを響かせるのか。 この日会場に集まったオーディエンスの多くは、おそらく10代のころから佐野元春の音楽を聴き、それからさまざまな人生を生き抜いて今ここにいるタフでクールなかつての少年少女たちであっただろう。頭を働かせ、足を動かし、窮地に陥っても人の助けを借り、そしていくらかの運も味方につけて、僕たちはここまでなんとかここまで生き抜いてきた。 佐野は「SOMEDAY」の完全再現ライブについて「時代を経た仲間たちがこのライブで再び集まることは、ひとつの奇跡だ。観客と一緒に『俺たちは生き抜いてきたんだ』と確かめあう、そういう幸せに満ちたライブだった」とコメントしているが、それは「生きのびる」こと自体が困難な事業であることを示している。生き抜けなかった人は今ここにはいない、そういうことでもある。 この日ハイライトのひとつだったのは新曲である『銀の月』であった。昨年10月に配信でリリースされ、7月発売予定の新しいアルバム「今、何処」に収録されるこの曲は、しかし配信当初録音レベルが非常に低く音が小さかった。それもあってあまり熱心に聴けず、また曲についてもどちらかといえばステディな、コンパクトなポップ・ナンバーという印象を持っていた。 しかし、コヨーテ・バンドのバッキングを得てステージ披露された『銀の月』は、特にブリッジから間奏に入るあたりの重心の低いヘヴィでラウドなギターのリフが、まるでそれまで聴いていたのとは違う曲のようにある種の狂気をすら感じさせた。この曲は本来こういう曲だったのか、と腹落ちさせるような直接性に満ちた演奏であり、この曲をリードとして来週にリリースされる新譜を指して佐野が「ヤバいアルバム」「ラスト・アルバムくらいの勢い」と形容するのはあるいはこういうことか、と感じた。 『禅ビート』が演奏されるときには大きなウクライナ国旗がステージ後方に掲げられた。この曲自体はロシアがウクライナに侵攻するずっと前に書かれたものだが、そこにしのばされた危機感は、デタラメでとっちらかったこの世界のあり方を明確に射程に捉えており、それゆえまるで預言のように響く。佐野のソングライティングやコヨーテ・バンドの演奏が現代の混乱の核にあるものを確実にヒットしているからこそ、ステージに掲げられたウクライナ国旗はなによりも雄弁なメッセージになり得たのだと思う。 だが、それだけに、冒頭にアルバム「SOMEDAY」からの曲を中心にした初期の曲のパートを置いたこと、また本編を『約束の橋』『アンジェリーナ』で締めたことには大きな疑問が残った。コヨーテ・バンドとして発表したレパートリーが今、これだけしっかり時代と並走し、またバンドの演奏も充実して曲の最もデリケートな部分をまっすぐに表現できる状態にあるなかで、敢えて「クラシックス」を演奏する必要があるのか。賛否はあると思うが、少なくとも本編はEP「星の下 路の上」以降の曲で構成してほしかった。 また、この日は演奏がどこかまとまりを欠いているように思える瞬間がいくつかあった。佐野がモニタに対して指示を出すシーンも何度かあったように見えた。今回のツアーでは大井洋輔が参加していないことをカバーするためか同期が多用されており、それがコヨーテ・バンドの演奏を窮屈にし、ダイナミズムを削いでいる部分があったのではないか。 同期はうまく使えば大きな効果を発揮するが、ツイン・ギターを擁するコヨーテ・バンドはこの編成で十分に多様なビート、グルーヴを表現できる力があるはずだし、オーディエンスもリリースされた音源の完全再現が聴きたいわけでは必ずしもないだろう。どう見てもだれも奏でていない楽器の音が聞こえてくるとやはり興ざめだ。人が機械に合わせて演奏するのは、勝手な思いこみかもしれないが佐野らしくもコヨーテ・バンドらしくもないと思う。 佐野の最近のソングライティングやコヨーテ・バンドの表現力の充実を思えば思うほど、そしてそれがこの困難な時代のロックのあり方のひとつの解を示せる可能性をはらんでいることを考えるほど、この日のライブ、今回のツアーには、構成や演出の面で納得しにくい部分が多く、今ひとつ乗りきれない気がしたのは残念だった。 2022 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |