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MARCH OF THE MODS -30th Anniversary-

■2017.3.1 17:30開場 18:30開演
■日本武道館

ザ・コレクターズ
Vocal, Guitar:加藤ひさし
Guitar:古市コータロー
Drums:古沢 cozi 岳之
Bass:山森 JEFF 正之
●愛ある世界
●MILLION CROSSROADS ROCK
●TOUGH
●夢見る君と僕
●たよれる男
●プ・ラ・モ・デ・ル
●世界を止めて
●悪の天使と正義の悪魔
●2065
●ロックンロールバンド人生
●僕は恐竜
●未来のカタチ
●僕の時間機械
●Dog Race
●スペース・エイリアン(インスト)
●青春ミラー(キミを想う長い午後)
●NICK! NICK! NICK!
●Tシャツレボリューション
●百億のキッスと千億の誓い

●ロマンチック・プラネット
●TOO MUCH ROMANTIC!
●僕はコレクター

●恋はヒートウェイブ



僕がコレクターズを聴き始めたのは大学生の頃だ。ファーストとセカンドを毎日のように聴いていた。当時、この一介のビート・バンドの何がそれほど僕を夢中にさせたのか。声を張り上げてうまく行かない恋を、思うようにならない毎日を、世界に対する違和感を歌う加藤ひさしに、僕は何を投影していたのか。

もちろん、ザ・フーなどを下敷きにした曲調、モッズというスタイル、映画や小説からの影響など、サブ・カルチャーのショー・ケースとしての彼らが魅力的だったのは間違いない。しかし、何より僕がこのバンドに囚われたのは、そこに歌われる若き日の過剰性とそれ故の世界との不和、夜の間に膨れ上がる自意識の怪物、自分が何者でもないことへの恐怖、そうした持て余すばかりの厄介でやり場のない気持ちが、彼らの音楽の中にそっくりそのまま表現されていたからだ。

そう、コレクターズが歌っていたのは、大人になることへの怖れそのものだった。まさに、僕のために。

それは就職してからもそうだった。「怪物たち」「幻想王国」、そしてレコード会社を移籍し、メンバー・チェンジして小西康陽のプロデュースで制作した「NUMBER.5」。特に「怪物たち」は、就職して間もなく、新入社員として学生時代の気楽な生活とのあまりの落差に真剣に世界を憎んでいた時期の僕にとって、これ以上ないタイミングでドロップされた爆弾だった。

しかし、その熱も当然いつか冷める。1年間の海外生活から帰国した1993年、リリースされた『世界を止めて』はさすがに名曲だと思ったし、コレクターズもついにメジャーかと感慨もあったけど、アルバム「UFO CLUV」は僕にはそれまでのアルバムのように切実には響かなかった。僕は仕事に慣れ、結婚し、1995年には再び海外で生活するようになった。コレクターズのアルバムは買い続けたが、聴く回数はずっと少なくなった。

僕自身が大人になりつつある一方で、コレクターズもまた、彼らの表現をどうやって成長させて行けばいいのか悩み、迷っているように僕には見えた。複雑なコード進行に凝ったメロディを乗せれば乗せるほど、シリアスな愛を歌えば歌うほど、曲として、音楽としての完成度が上がれば上がるほど、それは「別にコレクターズでなくてもいいもの」になって行くように僕には思えた。

コレクターズをコレクターズたらしめていた出っぱりや引っこみ、過剰や欠損がきれいに面取りされ、削られ埋められて平坦に、滑らかになった音楽は、無記名のパワー・ポップに近づき、僕の日常をヒットすることもなくなって行った。

ライブにも行かなくなったが、それでもアルバムだけは出る度に律儀に買い続けていた僕が、「最近のコレクターズはまたちょっと違うぞ」と思ったのはアルバム「未来のカタチ」や「東京虫」あたりからだろうか。当時のディスク・レビューに僕は「ビートが足りないのは彼らじゃなく僕の方じゃなかったのか」「何かひとつ吹っ切れたのではないかとさえ思わせる」と書いている。

その後にリリースされたアルバムの付属DVDでレコーディング・ドキュメントを見たのも大きかった。彼らが、というか加藤がいい年してけったいな格好で呻吟しながら曲を書き、歌入れしている様子は明らかに異様でヘンだったし、コータローが「こんな感じ?」とか言いながらリッケンバッカーをジャカジャ〜ンと鳴らすのは男が見てもカッコよかった。その切実さ、そこにあるリアルさは、50歳になろうとしていた僕のリアルと同期していた。

だからここ10年は結構真面目にコレクターズを聴いていたと思う。「サル」あたりでちょっとダレた感もあったが、コレクターズは再び僕にとって特別なバンドになった。そのタイミングでのボックス・セット、新譜、そして武道館。行くしかないだろ、普通。

定刻少し過ぎ、いきなり客電がバチンと落ちてこれまでの歴史を振り返るフィルムがステージ奥のスクリーンに映し出される。このフィルムがカッコよかった。もうこの段階で僕は泣いていた。訳分からんけど泣いてた。来てよかったと思った。彼らのためではなく、僕自身のために。

加藤ひさしはユニオンジャックのスーツ、コータローは黒いスーツに赤いリッケンバッカー。この日何より嬉しかったのは、キーボードなどのサポート・メンバーもなく、ゲストもなく、大スクリーンもなく、ただライブ・ハウスでやるようなライブを当たり前のように4ピースでやりきったこと(たぶん当たり前だったのだ)、そしてそれが武道館というハコのサイズにも違和感なくフィットしていたことだ。

コレクターズのライブのあの身も蓋もない説得力というか、「何だかんだこれでいい」という直接性は間違いなくそこにあり、「ああ、もっと早くライブ見にくればよかったのか」と思った。たぶんそうなのだ。とにかく23曲を正面からぶつけるライブだったところに、彼らがこの日をどう位置づけているかがはっきり表れていて、それは彼らが彼ら自身の現在、いろんな歴史のつながりの最先端としての現在をしっかり肯定できていることの表れでもある。

この日、もう一回泣いたのは『未来のカタチ』。つらかった恋、やり損なった仕事、それを全部やり直せたらもっと未来は輝いたのか。「違う」と加藤は言う。どんなふうに生きてみても未来は意地悪にカタチを変える。そうなればなったで、僕たちはまた別のものに嘆きのタネを見つけるだろう。どこまで行ってもきりがない。嘆きのタネは結局のところ僕たち自身の中に際限なくあるのだ。

50歳の僕にも過剰や欠損はある。そしてこの日、僕は再び、コレクターズが僕のためにその過剰や欠損のことを歌っているのだと改めて確認した。もしかしたら彼らはずっとそこにいたのかもしれない。僕が勝手に彼らを見失っていたのかもしれない。それはおそらく僕が大人になる過程だったのだろう。

僕にとってこのライブはいわば「青春の落とし前」だった。行ってよかった。そこで僕はコレクターズを再発見し、そして僕自身を再発見したのだ。



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