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35周年アニバーサリーツアー
THE COYOTE GRAND ROCKESTRA


■2015.12.13 17:00開場 18:00開演
■神奈川県民ホール 大ホール

Vo,Gt,Pf:佐野元春

Dr:小松シゲル
G:深沼元昭
G:長田進
B:高桑圭
KB:渡辺シュンスケ
KB:Dr.kyOn
Perc:スパム
Sax:山本拓夫
Trumpet:西村浩二
●Sugartime
●優しい闇
●ジュジュ
●VISITORS
●COME SHINING
●WILD HEARTS
●バルセロナの夜
●すべてうまくはいかなくても
●ポーラスタア
●君をさがしている
●希望
●境界線
●La Vita e Bella
●バイ・ザ・シー
●紅い月
●私の太陽
●東京スカイライン
●ボヘミアン・グレイブヤード
●レインボー・イン・マイ・ソウル
●シティチャイルド
●ヤング・フォーエバー
●星の下 路の上
●世界は慈悲を待っている
●ジャスミンガール
●Young Bloods
●約束の橋
●SOMEDAY
●Rock & Roll Night
●NEW AGE
●アンジェリーナ

●スターダスト・キッズ
●ダウンタウン・ボーイ

●グッドバイからはじめよう
●CHRISTMAS TIME IN BLUE
●悲しきRADIO 〜メドレー



アルバム「Blood Moon」リリースから、コヨーテ・バンドで全国のライブ・ハウスを回ったサマー・ツアーを経て、全国の大ホールを中心に公演する35周年アニバーサリー・ツアーが始まった。12月5日の京都から来年3月26・27日の東京まで、全国11ヵ所で12公演を行う。コヨーテ・バンドを核としつつ、Dr.kyOn、長田進、山本拓夫、トランペットの西村浩二を加えた「コヨーテ・グランド・ロッケストラ」という特別編成でのライブ。この日の横浜公演はツアーが始まってまだ1週間、3回目の公演だ。

サマー・ツアーを見損なったので、アルバム「Blood Moon」からの曲をきちんと聴くのはこの日がほぼ初めてだったが(『優しい闇』のみ昨年のオータム・ツアーで披露)、アニバーサリー・ツアーという意味合いを反映してか、新しいアルバムからの曲は5曲のみであり、それ以外の曲は初期から最近のものまで、キャリアからほぼ満遍なく選曲されていた。

だが、何より驚いたのはそのボリューム。6時過ぎに始まったライブは9時半まで。2回のアンコールを含め実に3時間半弱に渡って休憩も挟まず佐野は歌い続けた。演奏された曲は全部で35曲。これまで僕が見た佐野のライブの中でも間違いなく最も演奏曲の多かったもののひとつだったはずだ。途中、何曲かではオーディエンスを座らせてスローな曲を披露するなど、一本調子になることを巧みに避けつつ、まったく中だるみもなく長丁場のライブを歌いきり、ライブ・アーティストとしての力量を改めて感じさせた。

最初の数曲では声が出ず、音程にも不安を感じさせたが、ライブが進むにつれて次第に声が通るようになり、尻上がりに調子が出た。アルバム「Stones and Eggs」前後の一時期、本当にボーカルが危機的だと感じずにはいられないこともあったが、復調しつつあるのは確かであることを印象づけた。

バンドの演奏は手堅く、シュアだった。特に印象に残ったのは小松の硬質なドラム。PAのせいもあったのかもしれないが、アタックの強いメタリックな演奏は大ホールの空間に負けない力があり、演奏の中心にあっていろんな楽器の音をひとつに統合する強い求心力を具えていた。また、久しぶりに二管のブラス・セクションが入ったことで表現の幅がグッと広がったのは確かだ。この日の選曲の一部は、山本のサックスなしには成り立たなかっただろう。

意図的にアレンジを変えて披露した曲以外は概ね原曲に忠実な演奏で好感が持てたし、間奏やアウトロでの長いインプロビゼーションがなくコンパクトに歌を聴かせて行く構成もツボを心得たもので嬉しかった。『NEW AGE』がオリジナルに近い演奏だったり、『悲しきRADIO』のブリッジの後にスロー・ダウンするシークエンスが挿入されなかったりしたのは新鮮だったが、それぞれきちんと意図が感じられて納得感があった。

最終的な感想はツアー千秋楽の東京公演を見てからにしたいが、オーディエンスに向けて「35年間よくサバイバルしてきた」と労うMCがあったのが感慨深かった。この困難な世界で生き延びること。それは佐野が21世紀に入った頃から問い続けてきたテーマだ。

それについて僕は、アルバム「Blood Moon」のレビューでこう書いた。

「佐野が問う『生き残ること』、サバイバルの意識は、ただ単に毎日を食いつなぐという以上の意味を持っていることに僕たちは気づかない訳に行かない。それは(略)僕たちが、『時を重ねて』大人になり、取り敢えず毎日の食事には事欠かない程度には生活の基盤を確保した時に、この困難な世界を、いかに最大限誠実に生き抜くかということである。どのように生きたとしても手を汚さざるを得ない世界で、どのように真摯に手を汚すかということである。無謬ではあり得ないことを所与として、その上でどこまで正気を保つことができるかということである。僕たちは『善きこと』のためにどんな代償を支払う覚悟があるのか」

この日のライブはそのような僕たちのサバイバルに対する祝福であった。そこには「善きこと」の顕現があり、予期せざる恩寵があり、僕たちは例外なく、この日ここまで生き延びてきたことについて赦しを得た。そういう力が、この日のライブにはあった。

だが、同時に、僕は、この日ここにいない人のことを思った。当然だが、サバイブできなかった人はこの場にはいない。「今ここにはいない大事な人」に対しても祝福は与えられるべきだろう。彼らの生もまた、この世界に在るひとつの「在りよう」として、ただそれだけの理由で赦されるべきものだ。35年という歳月は、だれにも公平に過ぎ去ったはずだ。

今ここにいる人、いない人。佐野の祝福は、サバイブできなかった人にもあまねく与えられた。それは過ぎ去った時間そのものへの慈しみであった。僕たちは佐野の曲のひとつひとつを、それぞれの生の瞬間と注意深く照合した。そこには精密な機械のような符合があり、n対nの写像があった。その無数の集積が僕たちの生を形作っていることが分かった。音楽というものの持つ力、それも爆発的な喚起力よりは、静かに呼び合うような浸透力を実感したライブだった。



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