Smoke & Blue 2015
今回のツアーも第2ラウンド。日曜日の午後、六本木に足を運んだ。 セット・リストは4月の公演から2曲ほどが差し替わったが、全体としてのテクスチャーは変わらない。アルバム「月と専制君主」を中心に、アコースティック・セットでジャズ、フォーク、ブルースを意識したアレンジでおもに初期から中期の曲を披露した。 印象に残ったのは『こんな素敵な日には』。僕が佐野元春を聴き始めた十代の頃、この曲はまぶしかった。当時の僕たちは『アンジェリーナ』や『ガラスのジェネレーション』、『悲しきRADIO』や『ダウンタウン・ボーイ』、『スターダスト・キッズ』や『HAPPY MAN』のような、佐野のビート・ナンバー、ロックンロールに夢中になっていたが、この曲は、そうした一連のナンバーとは明らかに異質なキャラクターを具えていた。 スウィングする4ビート、「二人の好きな古いレストラン」「バラとラム酒で過ごそう」といったような大人のアーバン・ライフ、この曲が持つそうした洗練された雰囲気は田舎の高校生だった僕たちには無縁なものだった。だが、それ故に、この曲には他の曲にはない魅力があった。 ストレートな8ビートのポップ・ソングを聴かせるアーティストは他にもいた。それはユース・ミュージックのフォーマットとしては既にポピュラーであり、僕たちにとっても理解可能なものであった。しかし、『こんな素敵な日には』『週末の恋人たち』『Bye Bye Handy Love』といった曲は、僕たちが聴きならわしてきた音楽の文脈からは出てこない成り立ちをしていた。 考えてもみて欲しい。これらの曲が世に出た1982年、佐野はまだ26歳だった。二十代半ばの青年がこれほどの広がりや奥行きを感じさせる音楽を、ポップ・ミュージックのエリアで堂々と世に問うていたのは、今考えればあまりないことだ。典型的なロックンロールはもちろんだが、佐野元春はさらにその先にあるもの、その向こうにあるものをも僕たちに示していたからこそ魅力的だったのだと思う。 もちろんそこで示されたイメージは、僕たちにとっては未知の、遠い世界のものだったし、おそらくは当時の佐野自身にとっても背伸びしたものだったのは想像に難くない。だが、職業を持つカップルが、「明日は君も忙しくなりそうだ」と言いながら夜を惜しむようにイカしたリズムで踊る都市生活のありようは、確実に僕たちの原像になった。 そして今、その原像はようやく現実になった。僕たちは六本木のクラブでディナーを食べながらアコースティック・セットの『こんな素敵な日には』を聴いている。30年以上の歳月を経て、僕たちはかつて佐野が示し、僕たち自身の「架空の原体験」として灼きつけられたアーバン・ライフを、知らない間に手にしていたのだ。 典型的なロックンロールとは異なった佐野元春のもうひとつの側面、アナザー・サイドを、佐野は30年以上も前に僕たちに示していたし、それは2015年の今まで確かにつながっている。佐野は思いつきでこうしたアコースティック・セットのライブをいきなり始めた訳ではなく、そのコードはずっと以前からそこにあり、引き継がれてきたものなのだ。 ラム酒ではなかったが、ビールを飲んでふわっとなったいい気分で、僕は『こんな素敵な日には』を聴いていた。こんなふうに大人になるのも悪くないと思える時もある。 2015 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |