logo 2011.6.18-19 All Flowers In Time 東京国際フォーラム


この日、代表曲を中心に過不足なく佐野元春の正史を追ったパフォーマンスの中でも、最も印象に残ったのは「Rock & Roll Night」だった。この曲の本質は佐野のシャウトがいったんフェイドアウトした後にピアノで奏でられる悲しげで長いアウトロに顕著に表れていると、僕は常々思っている。

夜の間に僕たちがつかもうとした何か(かつてはそれを「真実」と呼んだこともあった)は、一瞬だけ僕たちの目にその姿を焼きつけた後、朝の訪れとともに輝きを失った。この曲は、かつては真実であったはずのガラクタを手に、呆然と朝の光の中に立ち尽くす僕たちへの鎮魂歌に他ならない。だからこそこの曲には、まるで報われなかった僕たちの魂をひととき眠らせる子守歌のように、僕たちを慰撫するアウトロが必要だったのだ。

この日、僕たちが国際フォーラムで手に入れたものは何だったろう。感動、確信、勇気、といったもの? いずれにせよそれは、佐野元春が僕たちにくれたものではなく、間違いなく僕たち自身の中に初めからあったものだ。それが佐野元春のライブによって呼び起こされ、僕たちの胸に迫ったのだ。

そしてそれらは僕たちの日常生活の中で再び色あせて行くだろう。「たどり着きたい」と叫びながら振り上げたこぶしはいずれどこかに下ろさざるを得ないだろう。この曲は、真実をつかもうというプロパガンダではなく、それを希求しながらも決してそれを果たすことのできない、僕たちのままならない生に対して、その運命を肯定し、受け入れる勇気のことを歌っているのだ。

僕たちはそれを知っている。月曜日になればまた仕事に戻り、金曜日のトラブルの続きを片づけなければならないことも分かっている。多くの人にとってこの曲が大切なものだとするなら、それはこの曲が勝利の凱歌だからではなく、この曲が僕たちの有限で不完全な生に寄り添い、同じような毎日を何とかやりくりしながら「真実」の残像に目を凝らし続ける僕たちの生への欲求を裏書きしてくれるからだと僕は思う。

この曲での佐野のパフォーマンスは圧倒的だった。HKBのメリハリの効いた演奏も素晴らしかった。しかし何より印象深かったのは、曲がいったん終わってから奏でられるアウトロの雄弁さだった。

そこには僕たちのすべての喜びがあり、悲しみがあった。そこには僕たちの誇りがあり、悔恨があった。愛情があり、憎しみがあった。憧憬があり、嫉妬があった。そこには僕たちの「生」そのものがすべて凝縮されていたと言っていい。それが佐野の、そして僕たちの30年間だった。



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