logo 2010.08.14 in motion 2010 僕が旅に出る理由


7年ぶりのスポークン・ワーズのライブだった。今回はバイオリンが抜けてサックスが入る2001年のスタイル。メンバーも2001年と同じで、山木秀夫(ドラム)、高水健司(ベース)、山本拓夫(サックス)、そして井上鑑(キーボード)という「井上鑑ファウンデーションズ」である。

当然のことだが、バンド演奏をバックにしたポエトリー・リーディングにあっては、何よりも演奏とリーディングの関係が問われる。それはポップ・ソングのように円満な詩と音楽の婚姻関係ではない。しかし、両者がまったく無関係であるならそこで同時に奏でられる必要はないはずだ。そこにおいて、詩と音楽は互いに意識し合いながら、ぶつかり、格闘して、時として予想もしなかった調和を見せ、あるいは聴くに耐えない不協和音を発する。僕たちはそのプロセスを見るために足を運んだ訳だ。

そのためには、音楽は慎重に構築されねばならない一方で、常に演奏の場の力学を反映して自在に変化し得る自由度を確保しなければならないという一見矛盾した難問を抱え込むことになる。そしてミュージシャン達には音楽と詩が織りなす「対決」の基音を力強く鳴らしながら、縦横無尽に音楽をドライブして行く高い技量が求められる。

その意味で、この日のライブの骨格をなしていたのは間違いなく山木秀夫のドラムだった。言葉とビート。そのせめぎ合いの一方の曲が佐野元春であるのは間違いないが、その佐野の詩の力と渡り合い、その詩の力を単なるメロディやリズム以上に解放する役割を与えられているのは、佐野自身も指摘しているように山木のシュアでありながらアグレッシヴなドラミングである。

山木は曲に合わせて表情を変えながらも、一貫して佐野と対話し、時として思わず目を奪われるような全身を使った激しいドラミングでライブ全体のグルーヴ、基本的なバイブレーションを作り出していた。佐野と並び立つ存在感でライブを引っ張る圧巻のパフォーマンスだった。

テキストはこれまでにもスポークン・ワーズ・ライブで披露されたものが大半だったが、こうした演奏とのぶつかり合い、渡り合いのおかげで、一回限りのハプニング性を孕んだ高い緊張感があり、最後まで退屈することはなかった。この、表現の切っ先、エッジの上でダンスするようなヒリヒリする臨場感、現場感を、佐野のロック・ライブにも持ち込むことはできないだろうかと考えてしまった。

今、ここで何かとんでもないことが起きていて、ここで起こることはすべて見届けなければならず、一瞬たりとも気を抜くことができないという高いテンションは、かつて「VISITORS TOUR」の頃には確かにロック・ライブにもあったものだ。

いつもの客を相手にいつもの曲を演奏し、みんながニコニコしながらシングアロングするというスタイルのライブもあっていいが、僕はやはり表現のフロントに立ち、今までどこにもなかった新しい何かを鳴らそうとあがく佐野の姿を見たいし、この日のライブではそれが久しぶりに確認できたようで嬉しかったと同時に、それはスポークン・ワーズというサブ・ストリームの中でしか見られないのかという寂しさを感じずにはいられなかった。



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