logo 2009.07.26 全国ライブハウスツアー「COYOTE」


このアルバムは「コヨーテ、海へ」でいったん終わる。そして、波の音のSEに続き、やや間を置いて、「黄金色の天使」が始まる。まるでアンコールのように。

佐野はこの曲について、映画の本編が終わった後のスタッフロールのバックに流れるようなイメージだと説明している。だとすればこの曲は、アルバムがすべて終わった後で、その成り立ちを改めて総括する曲だということができるかもしれない。そして、佐野がこの位置に置いたのは、意外なほど素直で、ザ・ハートランドが演奏すれば似合いそうなミディアム・ナンバーだった。

この曲は無防備だ。楽観的で懐かしいハモンドの響き。何かを「追い求める」イメージ。特徴的だがオーソドックスなリズム・アレンジ。ひとつ間違えば陳腐に陥ってしまいそうな見慣れたマテリアルでこの曲はできている。何だ、佐野は結局ここに帰ってくるのかと思わせるリスクを、佐野は敢えて負っている。

にもかかわらず、この曲はこのアルバムになくてはならない。このアルバムのこの位置に置かれなくてはならない曲だ。この曲は佐野が何を継承し、何をかなぐり捨てるかを見極めるためにここにある。この曲はこのスタイルで演奏されなければならなかったのだ。この曲に何を聴くか、そこには僕たちが佐野に求めているもの、佐野の中に見出しているものがそのまま反映されるのだと僕は思う。

僕がこの曲でもっとも好きなのはこのラインだ。

僕らがいるこの場所は
うつむきたくなるほどはかなくて
ほんの少しの言葉で
壊れてしまいそうさ

僕たちが30年近くも大事にしてきた約束さえ、この世界にあっては脆く、儚いひとときの夢のようなものに過ぎない。だが、佐野は、だからといってその約束を、その夢を、簡単に手放してしまおうとする訳ではない。むしろ、だからこそ佐野は「黄金色の天使」を探し続ける。おそらくどこに行っても見つかることのない、網膜の奥に焼きついた残像のような一瞬のイメージを、目をこらすようにして探し続ける。

僕たちが置き去りにしたもの、今はもう戻れない真実。だが、僕たちにはそんなものにこだわっている暇はない。僕が僕で、君が君でありさえすればそれでいいのだ、と佐野は歌う。探すものは何でもいい。「黄金色の天使」なんていうのは便宜的な言葉に過ぎない。ただ、そこに、探すに値する何かがあるのだと信じることこそが僕たちの約束なのだ。その、もはや悟りにすら近い佐野の決意を僕はこの曲に見る。

この日のライブでも、この曲は本編の最後に演奏された。アルバムを一枚聴き通した後で、あるいはライブを一本見終えた後で、そして現実に立ち戻るひとつ手前で、さて、僕はどこに帰るのだろうかと思いながら、僕たちはこの曲を聴く。そして、この曲が僕の中の何を打つのか、それはこの曲の問題ではなく、もちろん、僕自身の問題なのだ。



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