logo 2009.07.04 全国ライブハウスツアー「COYOTE」


アルバム「COYOTE」はこのライブで完結した、そう強く感じさせるステージだった。

ライブとは、いったん完成品としてCDに焼きつけられたひとつひとつの曲をもう一度解体し、その場限りの一回性によって再構築することで曲の中にダイナミズムを持ち込む機会である。そのように解体と再構築を経た曲の中に、僕たちはパッケージからこぼれ落ちたさまざまな不定型な声を聴くことになる。そのようにして僕たちはアルバムを再体験し、新たに聞こえてきた形の不揃いな声に耳を傾けることでアーティストがそのアルバムに盛りこもうとした意図を知る。そしてアルバムは僕たちの胸の中でひとつの像を結ぶ。

ところがアルバムのオリジナル・レコーディング・メンバーによる今回のツアーはアルバムのリリースから2年を経てようやく実現した。一部の曲は前回のツアーでもホーボー・キング・バンドの演奏により披露されていたが、「COYOTE」に収められた曲の大半はこの日初めて、聴衆の前で演奏されることになったのだった。果たして2年前に買ったアルバムが、このライブに参加することによって今の僕たちの胸のどこかで新たに像を結ぶのか、それを確かめるために赤坂BLITZに出かけた。

だが、ライブが始まってみるとそんな心配は無用であったということがよく分かった。例えば『星の下 路の上』での小松の小気味よいスネアの四つ打ち、『荒地の何処かで』での深沼の潔いカッティング、あるいは『君が気高い孤独なら』の間奏に入る前のピアノのグリッサンド。そしてまた、『夜空の果てまで』の清新なオプティミズムや、『世界は誰の為に』のアウトロのサイケデリックなアンサンブル。巨大なアンプリファイアで増幅されたそれぞれの曲のチャームが、iPodをイヤホンで聴くときとは違った種類の存在感で訴えかけてくる。そう、僕はここにいるよ、気づいてくれよ、と。ああ、この曲はこういう意味だったのだと僕は幾度となく納得する他なかった。

「星の下 路の上EP」からの『ヒナギク月に照らされて』と『裸の瞳』もよかった。特にヘヴィなブルースとして演奏された『ヒナギク月に照らされて』は意外なほどすんなりと佐野の作品の系譜の中に居場所を確保した。ふだん聴く機会の少ない曲だけに、この日演奏された曲の中でもその価値を再認識させられたもののひとつだった。

しかしこの日のハイライトは何と言っても『コヨーテ、海へ』だろう。僕は正直この曲の意図が今までうまく胸に落ちてこなかった。特に「勝利」を希求するリフレインには大きな違和感があった。「あてのない夢」を捨てた先に来るものがなぜ「勝利」なのか。それはいったいだれに、何に対する「勝利」なのか。その唐突さには真意を解しかねるものがあった。

だが、この日のライブで演奏された『コヨーテ、海へ』は、そうしたわだかまり、引っかかりを暴力的なまでに押し流して行った。そこにあったのは、ある種の逼迫感であり、猶予のない性急さであった。もう僕たちはこれ以上、こんな場所で天気を気にしている訳には行かない、あてのない夢など見ている余裕はどこにもない、正しいか正しくないかを気にしている暇もない。僕たちはただ、自分の生を自分の意志で生きることしかするべきことがないのだ。

この曲はそのシンプルな認識を歌っている。敢えて言えば、ここで歌われる「勝利」は、そうした日常の中でかかずらわざるを得ないいろいろな配慮とか躊躇、シミュレーションとかバーチャル・リアリティとか、すべての直接的ならざるもの、それらを凌駕して行こうとする意志の「勝利」に他ならない。

もちろん僕たちはそういったものをすべて単純に捨て去ることはできない。それは僕たちの生活、都市生活に一面では不可避な、不可欠なものだ。僕たちは子豚の三兄弟のように直接性だけで家を建てることはできない。佐野がここで希求しているのは、現実にそのようなものを捨て去って隠遁者のように清らかな生活を送ることではないはずだ。もしそんな生活を求めるのであればこんなにラウドで激しいビートなど要らない。そうではなく、佐野が求めるのは、そして僕たちが求めるのは、そうしたものと必然的に寄り添わざるを得ない都市生活の中でこそ必要とされる「覚醒」だ。「覚醒の勝利」だ。繰り返せば、それらを凌駕して行こうとする意志の「勝利」だ。

僕にとってこの曲はこの日のライブで初めて完結した。もともとアルバムの中に仕掛けられていた声が、ライブでリリースされてようやく僕の中にすっぽり収まったのだ。

今回のライブには、これまでのライブ・レポートの度に僕が指摘し続けてきた、どこか居心地の悪い身内意識みたいなものは希薄だった。それは新しいアルバムからの曲だけを何のけれんもなくただたたきつけるという、意図の明確なライブの構成によるところも大きかっただろう。だが、若いバンドを率い、新たなリスクを取ってリスナーとの一発勝負に挑んだ佐野の表現者としての意志が、顔見知りばかりのスナックに迷いこんだような閉塞を突破し、このライブをすべての音楽ファンに対して開かれたものにしたのではないかと思う。そしてそれはまさに、『コヨーテ、海へ』で佐野が希求している直接性に他ならない。

ツアーは一カ月に亘って続く。佐野は全国のライブハウスを回り、また東京に戻ってくる。その時また、この明確で曇りのない佐野の覚醒と意志を僕は見たいと思う。



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