logo 2008.02.17 TOUR 2008 'SWEET SOUL, BLUE BEAT'


こうやってライブの感想を書きとめようとするたびに、僕は深い無力感に襲われる。ライブとはまさに一度限りのもの。その場で起こることをその場で体験する、それがライブの本質だ。ライブはその現場性、一回性にこそ意味があるのであり、何であれそれを語ろうとする試みはそれゆえ避け難く空しい。それでも僕がこうやって何かを書きとめておこうとするのは、ライブ現場で僕が感じた感情の起伏がいったい何だったのかを自分の手で跡づけ、確かめておきたいからだ。それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ。

そう、これは肯定的なライブだった。それは最も新しいアルバム「Coyote」が佐野のキャリアの中でも珍しいほど肯定的な作品だったことと無縁ではないだろう。もちろん、佐野は一貫して「希望」について歌ってきたアーティストだ。その視線の背後には常にギリギリのオプティミズムとでもいうべきものがあり、どんな困難な状況の下でも最終的に何かを肯定し、希望を見つけようとする抗いがあった。だが、アルバム「Coyote」はその中でもはっきりと「肯定すること」を志向しているといっていい。

「もしも君が蒼い孤独なら 人の話などどうでもいい」と佐野は歌った。僕たちは殊更に斜めから世界を見て、それが自分を疎外していると悲観し、その地点から逆説的な闘いを試みるべきではない。もちろん僕たちは疎外されている。だが僕たちが世界を疎外する必要はない。僕たちにはそんなことをしているヒマはないのだ。僕たちはだれかの悲しげな話に耳を傾けるのではなく、僕たちの手の触れるものをひとつひとつ肯定し、祝福し、自分が今ここにいること、自分の足がまだ地面に接していることを確かめなければならない。

余計な回り道をせず、できる限り直接、自分の生の中心に近いところに降りたって行くこと。そのためには一度何かを否定し、それを憎み、排除しようとするよりも、そこにあるものをそのまま真っ直ぐに見つめ、それを受け入れ、そこから自分までの距離を測る方を選ぼう。アルバム「Coyote」は佐野のそのようなメッセージを伝えている。否定する力は時に爆発的なエネルギーを生み出す。それに比べ肯定する力は静かで、穏やかだが、その分見えにくく、時として僕たちには頼りなく感じられてしまう。だが、僕たちは長い年月の中で、肯定することの大切さを学んできた。それを手がかりに何かを築くことは不可能ではないはずだ。

このライブ、このツアーが肯定的に感じられるのは、そのような佐野の意志、メッセージが選曲からも、演奏からも、そして佐野のシャウトからも真っ直ぐに表れているからだと思う。80年代の曲から「Coyote」の曲まで、そこには、自分が今いる場所を取り敢えず受け入れ、何であれとにかくまず明るい顔をしてみるというポジティブでオプティミスティックなトーンが貫かれていた。何かを嘆いているヒマは僕たちにはない、そんなことに構っちゃいられないんだという強い確信があった。

だが、こう考えたときに残念なのは、そうした認識を最もストレートに表したはずのアルバム「Coyote」からの曲が3曲しか演奏されなかったことだ。ツアーをレコーディング・メンバーではなくHKBでやるという決断はあってもいいと思うが、そうであればHKBが「Coyote」の曲とどう渡り合って行くのかというテーマにもっと積極的に取り組んでみるべきだったのではないか。かつてアルバム「VISITORS」の曲をハートランドがツアーで必死になって再解釈したように。その取組が最小限に抑えられたように思えてフラストレーションが残ったのは僕だけではないはずだ。

新しいアルバムから演奏された3曲はどれも素晴らしかった。特に伊勢原では未消化であった『荒地の何処かで』が、HKBの演奏としてこなれてきているのが印象に残った。佐橋のエッジの立ったギター・プレイはこの曲に生命を与えた。『黄金色の天使』は安定感があった。佐野の新しいスタンダードになり得る曲だと思う。そして『君が気高い孤独なら』。ツアー・タイトルにもなったこの曲は、「難しい顔をする必要はない、敢えてハッピーでいい」というこのツアーのコンセプトを雄弁に物語っていた。今、佐野がこの曲を衒いなくハッピーに歌い、決して「若造」ではなくなったはずの多くのオーディエンスがこの曲に合わせてハッピーに踊るのは素敵なことだと思った。

それだけに僕は、このアルバムからの曲をもっと聴きたいと思った。繰り返すがそれだけが残念だった。



Copyright Reserved
2008 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com