logo 2通の手紙


僕がこの「佐野元春 ACT2002」に「PLUG & PLAY '02」のライブ・レポートをアップした数日後、1通のメールが届いた。以前に何度か僕のサイトを見てメールをくれたことのある人だった。僕は読み始めた。


西上さん、こんばんは。

わたしは、以前何度かメールを出させていただいたことがあるAprilといいます。
西上さんにメールを出すのは一年ぶり以上です。

この一年の間に、母の死、父の死とわたしの人生にとってはあまりにも大きな出来事が立て続けに起きました。わたしは日々の生活に追われ、パソコンを開くこともあまりなく、音楽を聴くことなどほとんどなく過ごしてきました。

母の死は元春の鎌倉でのライブの翌日でした。心筋梗塞でまさに突然のことでした。その一週間前に父が肺炎で入院し、食事も摂れなくなっていました。
そんな中でチケットをとってあったライブに、母は「いけるときにいっておいで」と送り出してくれましたが、わたしは父のことが気になってライブを楽しむことはできませんでした。
そしてまさかその翌日に、父ではなく母が亡くなるとは誰が想像できたでしょうか。
傷心を癒す間もなく一ヵ月後に父が逝き、わたしは鎌倉へ出かけたことを心の底から後悔しました。そして元春の歌を聴くことができなくなりました。

わたしは11日のZEPP東京へ行きました。この中に西上さんもいるのかしらと思いましたが10日だったのですね。
最初わたしはライブに行くかどうか迷いました。また何か悪いことが起きるのではないかと思ったからです。わたしは、元春がわたしにとって今も大切な存在なのか、これからも大切なのかを確かめに行くような感覚でした。

結果的にはそこまで確かめることはできませんでした。
ただ悪いことが起きなかったのは救いになりました。
こんなに長い時間音楽を聴いているのは本当に久しぶりだと思いました。

この日のわたしに一番訴えた曲は「TONIGHT」でした。

その深い悲しみを背負うことはできないけれど
Baby Baby 明日のことは誰にもわからない
So take my hand 目を閉じないで

あぁ、そうだ。そのとおりだ。ただそうとしか思えなかった。
そして元春にはもうお父さんもお母さんも妹さんさえもいないのだとふと気がつきました。
また、ライブの最中、久しぶりに両親のことをいろいろ思い出して少し寂しくなりました。

西上さんのレポートが載るのを楽しみにしていました。
初めて同じライブを(正確には日が違うのですが)共有することができたようで嬉しかったです。

長くなってすみませんでした。では、また。


僕は彼女に返事を書いた。だけどそれが彼女にとって何かの足しになったのか、僕には自信がなかった。時として現実はあまりにも重く、そんなとき僕が持ち合わせている言葉はどれも弱々しく、いかにも無力だった。ありきたりのなぐさめはどれも空疎に響いた。僕は彼女に、「それにもかかわらずすべては大丈夫である」ということを伝えたかったのだが、僕にはそれだけの力がなかった。

何日かして、2通目のメールが届いた。彼女はこう書いていた。


こんにちは、西上さん。Aprilです。

さっそくお返事いただきましてありがとうございます。久しぶりにメールチェックにドキドキしましたよ(笑)。
あれから少し変化があったのでご報告します。

わたしは元春が自分にとって大切な存在かどうかを確かめにライブに行った、そしてそれを確かめるまでにはいたらなかったと書きましたね。

それから一日経って、車を運転するときに久しぶりに元春のテープをかけました。
NHKのラジオで元春自身が20年を語った番組です。
その中で「SOMEDAY」が流れた瞬間、言い様のない気持ちになりました。
涙があふれそうになりました。

夜、全ての家事を終えて元春のビデオを2時間ほど見ました。
ライブビデオの中でいろんな曲を歌う元春を見て、そしてまた「SOMEDAY」が流れ、わたしは、わたしにとってやはり元春は大切な存在なんだと思うことができました。

わたしが怖かったのは、元春をどうでもいい存在に思ってしまうことでした。
あんなに好きだったのに、あれほど自分を支えてくれてると思っていたのに、両親の死の前には元春の音楽は何の力にもならないのだと。
鎌倉のライブの翌日に母が死んだことで、余計にその気持ちは強くありました。
事実この一年まったく聴く気にならなかったのですから。

ZEPP東京へ行ってもそれほどには感動しなかったので、「やっぱりダメなのかな」「もうわたしには元春の音楽は必要ないのかしら」と思ったのも事実です。
だから、逆に西上さんのレポートで「僕は佐野が今でも僕にとって切実なアーティストであることを実感することができた」とあったとき、「あぁ、西上さんにとっては元春は大切な存在だったんだ、よかった」と思いました。

でも昨日、やはり元春は大切な存在だとわかりました。
うまく言えませんが、「SOMEDAY」が教えてくれるこの気持ちを素直に認めたいと思います。
これからも元春に会いに行こうと思います。

では、また。


僕は再び彼女にメールを書き、この2通のメールを僕のサイトに転載させてくれるようお願いした。僕にはどうしてもこれらのメールがこの特集の冒頭に必要だと思えたのだ。

もちろん、一人一人のファンには、それぞれのいきさつがありそれぞれの思いがある。彼女の事情はその中のひとつに過ぎない。だけど、それぞれのファンがどんな思いで佐野のライブを迎えたかを思うとき、彼女のテキストはそこにひとつの救いのようなものを与えてくれた。そこにはロック音楽が持つ力とその限界、そしてそれでもなお音楽を切実に感じ続ける心のありようについて、とても力強く気高い宣言がなされているように感じられたのだ。

彼女自身も引用しているように、だれかの身代わりにその悲しみを背負うことはできない。だけど、佐野という共通のモチーフを通じて何かを分かち合おうとすることはできるし、それはこの特集のテーマでもある。カバーコラムに代えて彼女の手紙を転載することで、僕はそれを言いたかった。

個人的、個別的で具体的な思いと、それをだれかに伝えようとする努力、そうやって僕たちは少しずつ進んで行くしかないのだから。



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