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この「机上の空論」は1998年に「高坂正堯著作集」が発刊されたときに書いたものである。高坂正堯は保守派の論客として知られ、マス・メディアにもしばしばコメンテーターとして顔を見せる行動的、現実主義的な国際政治学者であったが、1996年に若くしてこの世を去った。
僕は1987年から1年間、京都大学の国際政治学ゼミで高坂先生の指導を受けた。当時はあまり優秀なゼミ生でもなかった僕だが、今、先生の著作集を読むと、自分自身がいかに先生から大きな影響を受けたかということを感じずにはいられない。
このページの思想的背景を明らかにする意味で、いや、僕自身がこの複雑にこんがらがった世界と向かい合う基本的な姿勢を示す意味でも、この文章は引き続きここに掲載されるべきだと判断した。(2001.4.13)


「高坂正堯著作集」の配本が始まった。僕はまだその最初の1冊を手にしていないが、この機会に高坂先生を偲び、この「著作集」が一人でも多くの人に読まれるように僭越ながら少しばかりの宣伝をしたい。

1987年の秋から1年間、僕は京都大学法学部で国際政治学ゼミを受講した。その担当教官が高坂先生だったのだが、高坂ゼミは人気ゼミであり、受講希望者が定員を上回るのが常だったため、受講者を絞るため二段階選抜を経るのが恒例になっていた。すなわち第一選抜は抽選、第二選抜は抽選に洩れた者の中から英語の試験で選ばれるのである。「運も実力もないヤツはあきらめてもらわんとしゃあないな」というのが高坂先生の弁であった。僕が抽選でゼミに入ったのは言うまでもない。

ゼミ前半の半年はみんなでアメリカの外交文書を読み進み、後半の半年は受講者がそれぞれ40枚の論文を発表するという形で行われた。僕の発表テーマは「泣き笑いのナショナリズム」というタイトルの、日本人のナショナル・アイデンティティ論だった。それは今読み返すと恥ずかしいほど拙い受け売りの集大成だったのだが、僕が今でも忘れられないのはその発表の時に高坂先生にかけていただいた一言である。

論文を配り終え、これから発表するというとき、僕は高坂先生に「先生、これは机上の空論です」と申し上げた。その時僕の頭の中には、現実にきちんとした足場を持たない議論は所詮青臭い書生論でしかない、論文というのはいろいろと難しい原本にあたり、フィールド・ワークをし、データを解析し、その上に成り立つべき調査記録のようなものでなければならないというオブセッションがあったのだと思う。それに対して僕の論文は、論文と呼ぶのもはばかられるほど稚拙な、僕がふだん感じていることをだらだらと綴っただけの、ただの長い繰り言のようなものであったのだ。

だが、その時先生はこうおっしゃったのだった。「机上の空論、結構ですよ」。それは僕にとって意外な一言だった。そして僕は、自分の頭の中で考えるということ、思考の過程を表現するということは立派な創作活動だということを知ったのだった。もちろん現実と何の接点もないただの印象論や一般論からは何も生まれまい。しかし、およそ世界の仕組み、物事の善し悪し、考え方の筋道というようなものについて深く思索すること、そしてそこから自分なりの考えを組み立てて行くということは、決して恥じるべき空論などではない、それこそが学問の本質ですらあると気づいたのである。

高坂正堯という人は、保守派の論客として、政権の外交ブレーンとして、プラグマティストとして知られた学者であった。先生は現実にコミットし、公に発言することを躊躇しなかった。象牙の塔に閉じこもることをよしとせず、果敢に世の中に向かい最もホットなテーマについて語った。そうした現実主義者としての先生を知る者は、「机上の空論、結構」という先生の姿を知って意外に思うかもしれない。しかし、僕は、高坂先生ほど学問とか理論とかいうものの意味について深く考えておられた学者はいないのではないかと思う。

社会科学、中でも政治学のような分野は、人間の営みそのものを扱う学問である。そこでは数学のように定まった解がある訳ではなく、すべてを解き明かす理論が示される訳でもない。その分野での成果は人間の歴史に学ぶことであり、それはある場合には将来に対して有効であっても、それで人間の行動を縛ることができる訳ではない。そうした分野では純粋思索的な言説は有効でない、非現実的であると斥けられ、学問が現実に引きずられるということが起こり得る。目の前の現実のインパクトに理論がついて行けないということも起こり得る。それが政治学という学問のある種の宿命でもある訳だ。

しかし、政治学がそのように現実を後から説明するだけのつけ合わせであれば、それは結局学問の名に値しない後講釈に過ぎない。我々が歴史に学ぶのは現在をより正しく生きたいからである。生きるに足る将来を夢見るからである。そうであってみれば、学問は何らかの意味で我々の生活を導く先見性を持つものでなければならない。そのために学問は現実のインパクトと闘い、予想しなかった現実の意味を不断に問い続け、常にそれを取り込んであり得べき道を指し示す光でなければならない。そのためには学者たるものは時に非現実的と罵倒されようとも、物事のあるべき姿を見極めようとする努力を放棄してはならないのだ。

高坂先生は政治学という学問の現実との関わり、学問としての純粋性の限界に自覚的であったがゆえに、そうした学者としての理想を人一倍希求した人でもあった。定見という支柱を持たない人間が現実を動かすことの危険さを熟知している希有な存在であった。驚くべき博識と高邁な理想があったればこそ、高坂先生は現実に関わらずにはいられなかったのだ。

日本という国が大きな転機にさしかかり、これまでのシステムが瓦解しようとしているこのとき、高坂先生の遺した業績を読み返すことの意義は大きい。なぜならそこには時代を超えて妥当する普遍的な真理への熱い眼差しがあるからだ。僕は高坂先生から直接教えを受けたことを何よりも誇りに思う。そして今、一人でも多くの人が先生の著作を手に取り、日本という国の行く末について考えを巡らせることを願ってやまない。

「高坂正堯著作集」は、向こう3年間に渡って全8巻で刊行される。5万円という値段はこの不景気にあっては決して安い買い物ではないかもしれないが、部数の期待しにくい専門書としてはやむを得ない価格設定であろう。しかし、目を凝らしてわずかな光を見定めるしかない時代にあって、この5万円を自分へのささやかな投資としてみてはどうだろうか。96年に亡くなった先生を、遅まきながら偲ぶよすがとして。


1998年11月
西上典之



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