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どんな音楽もその背景となった社会との関係を無視しては語られ得ない。そんな認識を持つ者にとって本書は佐野元春の音楽がどのように社会と寄り添ってきたかということを考える的確なガイドとなるだろう。

佐野元春は一貫して自分の音楽と社会との関わりについて自覚的に考え続けてきたアーティストである。そこにおいてその都度佐野が打ち出してきた方向感に、僕は時に感動し、時に疑問を抱きながらも全体としてその音楽に向かう「誠実さ」を信頼してきた。そのような「誠実さ」の本質、佐野の音楽が聴くに足ると感じさせるいくつかの理由について、本書は丁寧にしかも過不足なく検証し、そこにあるものの「尻尾」をつかむことに成功していると言ってよい。

特に佐野がデビューした当時の日本のポピュラー音楽をめぐる考察と、佐野がそこに持ち込んだものの検証、それから佐野の音楽と全共闘世代との明確な隔絶を指摘したことにおいて本書は高く評価されるべきであると思う。これまで佐野の音楽とその背景にある時代性、社会性について的確に指摘した仕事はほとんど見られなかっただけに、いわゆる音楽評論、ロック評論とは違った畑からなされた本書での論考には重要な意義があると言わなければならないだろう。

しかし、僕は本書を読み終えて、どうしてもある種の違和感を拭い去ることができなかった。著者と僕の問題意識、時代認識や事実認識にはそれほど大きな懸隔がある訳ではないのに、いや、むしろ著者の態度に僕は少なからず共感をさえ抱いているはずなのに、その違和感がどこから立ち上がってくるものなのか、僕にはその理由がしばらくの間うまく理解できなかった。

それは、著者が本書の結び近くで述べている一文に集約されているように思う。「人と人との関係が複雑化し、硬直し、希薄になる一方のこの時代の中で、いったいどうしたら人と人との間に『親密さ』を取り戻すことができるのか」。著者は佐野のアルバムがその問いに対する「ノック」であったのではないかと述べて本書を締めくくっている。

著者がここで述べている「親密さ」という言葉が、例えば制度的で因習的な、あるいは情緒的で抑圧的な人間関係のことを指しているのではないことは明らかだ。著者は「親密さ」という言葉を大変注意深く定義した上で使っているが、そこからうかがわれるのはむしろ都市生活の中でそれぞれに自分の足で立つ「個」があくまで主体的に他者とその大切なものを共振し合うようなイメージである。もとよりそうしたイメージそのものには何の異論もあろうはずはない。

だが、僕はそうした種類の「親密さ」が過去のどこかに存在したことがあるとは思わない。1920年代のパリのカフェにすら。だから僕はそれを「取り戻す」べきものだとはどうしても思えないのだ。しかもまた、そうした「親密さ」は人間関係の複雑化、硬直化、希薄化といった現代社会の諸相を否定した上に成り立つもの、あるいはそれらと対置されるべきものとも思えない。それらはむしろ、そうした諸相の上に立つ、「現代型の親密さ」でなければならないはずだ。

もちろんそのモデルとなるような「親密さ」が成立した社会や時代はあるかもしれない。佐野がパリのカフェにそのような理想主義の原型を見ようとしたことも理由のないことではないだろう。しかし僕たちが今まさに生きている20世紀の終わりもそれ以外の時代と同じようにやはり1回しかない固有性を持っている。僕たちは否応なく立ち会っている今という瞬間に対して、良し悪しとは別の次元のある種の謙虚さを持たねばならないし、そうであればそこにおいて希求されるべき「親密さ」とは、「取り戻す」ものではなく、その時代の固有性を前提したものでなければならないのではないだろうか。

僕ならこの本はこう結びたい。

「社会が恐ろしい勢いで回転し、僕たちの人間関係までもが高度に発達した資本主義の中で易々と消費されてしまう20世紀の終わりまたは21世紀の始まりにおいて、それでも僕たちはそれに背を向けてぬくぬくとした生ぬるい共同体やムラ的な予定調和といった制度的で因習的な人間関係に回帰しそこに自閉する訳には行かない。なぜならそれこそ僕たちが最も激しく嫌悪し、『新しい子供たち』の名においてツバを吐きかけたものだから。そしてそれは僕たちの意識のスピードに到底似つかわしくないものだから。だから僕たちは探さなければならない。そのような現代という時代のありようを取りあえず前提した上で、今までどこにも存在しなかったような新しい『親密さ』を。それこそが、佐野元春が11枚のアルバムの中で希求し、そして今も探し続けているものに他ならないと僕は信じている」

まだ読んでいない人は是非書店で手にとって欲しい。


山下柚実さんへ追伸 「ニュー・エイジ」もう一回聴いたけど「ヘイ、バンガロー・ビル」しか聞こえませんでした。佐野さんの思い違いでは?



●時代をノックする音 佐野元春が疾走した社会
山下柚実 著
毎日新聞社 1500円(税別)




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