logo #67のブルース 週末の恋人たち


Before Party

僕が最初に彼女と出会ったとき、彼女はふわふわの長いソバージュで、パーカーにショートパンツ、靴はコンバースのハイカットを履いて、薄暗いクラブの中の真ん中のテーブルでジントニックを飲んでいた。最初その様子がアメリカの大学生のように見え、思い切って声をかけてしばらく話をすると僕よりいくつか年上だったので驚いた。それまでも出張で日本には何度か来ていて、僕は片言の日本語も覚え、日本人の女の子とダンスもしたけれど、彼女のように何かあまりにも気合のない様子でクラブで飲んでいる女性は初めてだったので、興味を覚えた。そして僕がトイレに立って席に戻ると、彼女の横には若い白人の男が座っており、こんなわずかな時間の間に彼女をとられてしまった、と僕は少し離れた場所でがっかりした気持ちで様子を伺っていた。その若い白人の男はナプキンでバラの花束みたいなものを作って、彼女にアプローチを始めた。彼女はそれをまた例によって気合のない様子で受け取って、男の顔が近づいても首を横に振っていた。僕はその様子をつぶさに見届けてから、よしっと自分自身を叱咤激励し、つかつかと彼女の前にもう一度歩み寄り、
「Would you like a dance?」
と尋ねてみた。断られたらそれまでだ、と思いながら。すると、いいわと言うふうに彼女が立ち上がった。
白人の男はOh! No! と両手を挙げ、僕は僕でYes!! I got it!! と小躍りしたい気持ちだった。
彼女はごめんなさい、と白人の男に言いながら僕とフロアーに立った。どうしてその男より僕がよかったのかはよくわからない。のちのち聞いたところによると、その白人の男はかなり酔っ払っていて、ずいぶんしつこかったうえ、非常に強引だったからということだった。つまり彼女にしてみればどうしても僕だったわけではなく、他の男から逃れるために僕をダシに使ったようなものらしかった。
それでもそんなことはどうでもいい。そのときの僕は彼女と踊って楽しく話せたら、という気持ちだけだったから。
そうしてしばらく二人で踊り、席に戻るともうそこには水滴のついたグラスが残っているだけで、誰もいなかった。僕はここぞとばかり得意のイラストをコースターの裏にささっと書いた。バラの花束を。あの男がナプキンで作った花束よりもうんと凝ったデッサンで。
「Thank you so much」
彼女は笑顔で言った。こんな素敵な花束は初めてだわ、香りもしないし、彼女のジョークは爽やかで僕は思わず笑顔になった。とても素晴らしい夜だった。なにもかもが、するするっとスムーズで自然で。
僕は彼女をいいな、かわいいなと思ったし、彼女も僕を少なくとも嫌いに思ってはいないということがわかったし、そうしてまた思い切って明日の晩ディナーでもどう?と調子に乗って誘ってみると、Ok, じゃあ7時に迎えに来て、と快諾すらもらった。僕は浮かれながらその晩ホテルに戻った。サンクス・ギビングが終わり、もうすぐクリスマスが近づいている季節だった。アメリカ中が熱病に浮かされたみたいに一気にクリスマスに向けてすべてが動き出す、お祭り騒ぎの季節だった。それでもこの極東のこの国の片隅では、静かなたたずまいを見せていた。日本はオショウガツに向けて人々が準備するからこの時期はアメリカほどではないわ、と彼女は帰り際そう言っていた。ホテルへ戻る道すがら、僕は冷たい夜、大きな月が鮮やかに映し出され言える舗道を歩きながら、彼女の言葉を思い出していた。
明日のディナーも楽しくなればいいなと僕は思った。きっと楽しいだろうとも思った。何故だかわからないけれども、いろんなことがうまくいくような予感めいたものがあった。それがあの人々の言う、運命的な出会いというものなのかどうかはわからないけれど、彼女のことはずっと大事にしていきたい、そんな気持ちを僕は強く強く持ったのだった。

どうして僕はこんなことを思い出したかというと、あの晩から2年ほどたち、僕たちは来週結婚をすることになっている。僕たちはアメリカと日本を行ったり来たりしながら、1年半ほどつきあい婚約をし、僕はアメリカでの生活を引き上げて、彼女と一緒に住むために日本にやってきた。彼女はトーキョーで広告の仕事を扱う会社で働いていて、その仕事が大変おもしろく、それを辞めたくないというので僕が日本に住居を移すことにした。僕は長らく肉体労働しかしてこなかったので、いわゆるホワイトカラーの仕事をしている彼女のオフィスに何度か遊びに行って、そこで今まで自分が見たことも触れたこともないような洗練された社内の雰囲気や華やかさに、心底びっくりした。
何を言ってるのよ、広告の仕事はアメリカが最先端なのよ、ウチの会社だってNYの出版社とかのマネをしているだけなんだから、と彼女は言ったけれど、オハイオの田舎町で育った僕は、NYに行ったことがない。大抵のアメリカ人はNYやLAには行かないし、あれがアメリカだと思われては困ると思って生きているのだが、トーキョーでは、アメリカというとNYらしいし、そして中西部に住むアメリカ人よりもNYやヨーロッパなどに精通していた。日本は、おもしろい国だと思った。日本の女の子たちも、アメリカの女性とは違う頭の良さと緻密さがあり、そのくせ妙に猜疑心が強かったりするのもおもしろかった。
ただそんなふうに率直に感想を言うと、彼女はまた僕に浮気ゴコロが沸いているんじゃない? 私と結婚なんかして大丈夫? と心配するので、僕は何も言わない。彼女はよく喋り、よく笑い、独立した大人の女性だけれども、せっかちで神経質でカリカリと怒るところも多大にあり、だから僕はなるべく余計なことを言わないで彼女の話を聞いている。でもそれが嫌なわけでもなかった。僕のような楽観的であたりに流されやすい男は、彼女のように大きな声で闊達に意見を言い、泣いて笑って正直に生きているような女性がある意味うらやましく、自分にはない何かを埋めてくれそうな気がしていたから。

ここではっきり言うと、僕は過去に結婚をしていて子供もいる。彼女にしてみれば初めての結婚で、いろんな伝統やら習慣やらが渦巻いているジャパンという国では、いろんな意味で僕を受け入れることが大変だったろうに、僕を信じて、愛して、末永く一緒にやっていきましょうと言ってくれた。
僕も精一杯彼女のために生きて、サポートして、ヘルプして、そうして愛して生きたい。僕の人生の新たな章の幕開けだ。僕たちが離婚をするなんてことは、今の僕にはまったく考えられない。
彼女と僕が離れてしまうなんてことは、まったくありえないと思う。万が一、離婚ということになるのであれば、それは間違いなく僕のせいだと思う。この2年ほどの間彼女を見てきて、彼女は一度も僕に嘘をついたりごまかしたりをしなかった。彼女が、わかったわ、じゃあ手配するわ、とか私がそれをフォローしておくわ、といった用件のことで、彼女がやらなかったことはないし、また彼女は僕がこの異国の地でできるだけストレスを溜めないよう最大限注意して用心してきてくれた。
そしていつもいつも僕を見ていた。僕をまっすぐに見つめ、僕をずっと愛してきてくれた。本当にそこにどんな淀みも陰りもない、まっさらな状態で僕に向かってきた。こんな女性はたぶん、彼女以外にはいない。僕はここまで誰かに愛されたことはない。だから僕らが失敗するとしたら、そんな彼女に対して僕が甘えてしまって仕事をしないとか、誰かに心を奪われてしまったとか、取り返しのつかないことをして彼女の心を容赦なく叩きのめすとか、とにかく今の僕たちが想像できないようなあきらかに修正不可能なつらく厳しく哀しい何かがあった場合以外、考えられない。
幸せな、うんと幸せな僕たち。今週末は恋人としての最後の週末だ。来週僕らはMr. & Mrs.になる。
それはたぶん永遠に。それはたぶん揺るぎない絆。どんな絶望もいらない、大きな希望と引き換えに、僕らはずっと一緒に生きるつもりでいる。愛している。彼女のことを深く。そしてずっとずっと彼女を愛し続けたい、僕がその最期の生を絶つまでは。



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