#42のブルース 驚くに値しない
その日の試合は3試合あった。1、2試合めとも、僕らのチームは勝っていた。
3試合目は、一度戦ったことのあるわりと強い相手だったから、僕は副キャプテンとしてこの試合も絶対に勝ちたいと思った。
「みんな、いいかー。ボールを持ったら焦らないで、落ち着いてやれよー」
試合前、僕たちを集めてコーチが言った。コーチは大学時代もサッカー選手をやっていたのだと言う。
コーチはリフティングを1,000回できる。でもリフティングだけじゃ、試合は勝てないんだといつも言う。僕も、中学生になったあと高校生になって、そのあと大学生になってもサッカーを続けたいと思っている。その話をおかあさんにすると、
「大学生になるためには勉強も頑張らないとだめ」
とすぐ言う。そんなことはわかっている。でも僕が今言いたいのはサッカーの話だ。
なのに、おかあさんは
「サッカーも大事だけど、勉強も大事」
となにかと勉強や宿題の話になる。もし僕が
「わかってるよ」
とでも言えば、
「あんたはわかってるってすぐ言うけどね、こっちが同じことをいつも言ってないと、すぐ忘れちゃうじゃない。本当は言いたくないけどね、でも言わないとやんないじゃないの」
おかあさんはまるで暗記しているみたいに、ものすごく早口でそう言うはずだ。だから僕はもうおかあさんの前では大学生の話はしない。おかあさんは知らないけど、僕はそう決めている。
試合開始のホイッスルが鳴った。
僕の今日のポジションはボランチだった。ポジションはあるけれども、どんどん前に出ていいんだぞ、とコーチに言われていたから、もしサトシがゴール近くでいいパスを出してくれれば、右サイドのユウキと一緒に飛び出すつもりでいた。相手チームの蹴ったボールが、僕がマークしていた背番号8番のところにこぼれてきたので、僕はすぐボールをカットした。僕がカットするとき8番は、僕のユニフォームを破れるくらいにひっぱった。僕はころびそうになるのを堪えた。
そしてまたボールがこぼれてきたから僕は走った。8番が今度は足をひっかけて来た。
前につんのめりそうになって、僕はボールに触れることができなかった。8番が仲間の背番号10番に何かを言った。10番が僕の前にたちはだかって、8番が僕の後ろに立った。
「おまえなんか、つぶしてやんからな」
8番は後ろから僕にささやいた。僕は何も言い返さなかった。ボールがまた動いて、サトシとユウキが同時に走り出した。サトシのパスは流れてしまってユウキのところまで届かないように見えたから僕はすかさず動いた。僕の動きに合わせて、10番と8番も同時に動き、ふたりがいっぺんに僕に肩をぶつけてきた。履いていたスパイクがするりと滑り、僕ら3人はもつれあうように転んだ。
「くそっ。いってー」
僕のつぶやきに、10番と8番は目を合わせてくすくすと笑った。こういうことか、と僕は思った。
つぶすって、本当に身体ごとつぶすっていうことか。僕はゆっくり立ち上がり、砂をはらった。
負けねえよ。スパイクの紐を急いで結び直し、僕はまた走る。僕が走るとふたりも走る。僕の近くでボールは必ず奪い合いになる。倒れる。起き上がる。そして走る。ボールを追う。ぶつかる。
それを繰り返しているうちに、前半終了のホイッスルが聞こえた。
「おまえ、がっちりマークつけられちゃってんなあ」
休憩中に、コーチが僕に言った。
「あれじゃ、全然動けないよ」
ポカリスエットを口にしながら僕は言う。頭に来てしょうがなかった。でも相手を怒るより、自分が相手をまかないといけないな、と思っていた。
「あのさあ、動き読まれてんだよ、おまえ」
カズが急に言い出した。
「もっと早く動いてくんないとさー、左に全然ボール来ないよ」
タカハシまでそんなことを言う。
「だって動きたくたって、動けないよ。マークふたりついてんだぜ?」
僕は反論した。
「動けないなら、サッカーじゃねえよ」
「そうだよ。あのマーク突破するのがサッカーの試合じゃん」
「動けないとかって言うなよな」
「それって言い訳だよ」
えっ?と僕は思った。自分では精一杯動いているつもりだった。自分なりに相手をまこうとも考えているときに、口々に自分の動きがよくないと言われ、僕は反論する言葉を失った。
「動けるはずだよ」
「読まれる前にな」
「なー」
「そういうポジションなんだからさ」
「そうだよ。おまえ、ボランチだろ」
わかってもらえない。僕だって必死にやっている。ただぼおっと立っているわけじゃない。
なんとかして2人のマークを突破しようと動いている。どうしてわかってもらえないんだろう? どうしてこんなふうな言われ方をされないといけないんだろう? そう思った瞬間、涙が出てきた。
右腕でゴシゴシと、こすってもこすっても涙があふれてくる。
「あ?何やってんだ?おまえたち」
コーチがベンチから立ち上がった。僕たちの様子を一目見て
「試合中に仲間割れか」
とため息をついた。
「おまえたち3人、後半は下がって。ダイキと、キョウヘイとナオヤを入れるから」
僕は何も言っていないのに、メンバーからも外された。そう思うと涙はますます出てきた。
「ちぇっ」
「なんだよ」
カズとタカハシは、まったくよぉと地面を蹴った。なんでこうなるんだよぉ。
「こらっ」
コーチが大声を出した。
「そういう態度はよくない。いいか。チームワークなんだぞ。人のせいにしたり人を批判するな。何か問題があるなら、それは試合が終わったあとに反省会で言え」
カズとタカハシはうつむいた。コーチは僕の頭をぐしゃぐしゃっと触って
「それから、おまえもこんなことで泣いたりするな」
とやさしい声で言った。
「お前が反論しなかったことはよかった。でもな、泣くな。泣くのは試合が終わったあとだ」
僕たち3人は、ベンチの後ろの木陰のある場所に座らされた。ふてくされて俯いたままのカズと、怒ってぶつぶつ文句を言うタカハシと、涙のとまらない僕。僕たちはお互い目線を合わせず、会話もなく、始まった後半戦の試合をちらちらと見た。自分が参加していないサッカーの試合は、なんだかスローモーションの映画を見ているようで、みんなが遠くで走っているように見えた。
「そうだっ!よしっ。キョウヘイ、今のシュートいいぞ。シュートで終わらせろ」
コーチは僕たち3人がどこにもいないかのように、後半の試合を夢中で応援している。
なんとなく気になって僕が顔を上げると、カズとタカハシも無言でチームの試合を見ていた。
そこへダイキが倒されて、ファールになった。あ、ダイキまで。僕は身を乗り出す。早く出たい。
どの場面でもいい。とにかくゴールに向かってシュートしたい。僕が、シュートしたい。
「コーチ」
僕は立ち上がる。コーチに近づいて、
「僕たちも試合に出させてください」
ときっぱりと言った。僕、ではなく、僕たちと。
「出たいか?」
うん、僕はうなづく。
「3人で仲直りしたか?」
背中に、ふたりが自分を見ている視線を感じる。仲直りどころかまだ口もきいていないが、コーチには、はい、と小声で答えた。
「よし、次、また交代で入れ」
コーチの言葉に、僕は振り返った。ふたりにぎこちない笑顔を向けた。カズとタカハシは唇をとがらせたまま、サンキュー、と聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言った。
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