#36のブルース 彼女の隣人 ちょっと前にさ、「恋を何年休んでいますか」っていうドラマあったじゃない? 内容はともかくさ、あのタイトルにはドキッとしたわね。30代後半から40代前半の主婦層の心をいろんな意味で鷲づかみにした名コピーだった。別に黒木瞳が、夫とは恋ができないって著書に書いたからって、あ、そう、じゃ外でしたら?って思うだけだけど、たとえば街頭でいきなりあんなこと聞かれてごらんよ? 冗談で「ええと10年くらいになりますか」なんて言ってわはははと笑いながらその場を立ち去るくらいで精一杯でしょ。今さ、私たちくらいの年齢で、女同士集まってさ、何の話がないかって言ったら「恋の相談」じゃない?総務の右端に座っているあのコと、営業一課のジャニーズ系のナントカ君がつきあっているとか、いつも出入りしている印刷会社のナニさんは、受付の髪の長いほうを口説いているとか、そういう話が会話の中で比重を占めていて、アカの他人なのに、ああでもないこうでもないと今後の予測までたてて、そしてそういう話をしているときにふと我にかえって自分の状況を考えると、何年もつきあっているのになんとなく煮え切らなくて、結婚する意志があるんだかないんだかっていう、うだつのあがらない彼氏がいたりすると、皆の話題にものぼらない地味な恋しかしていない自分の今後はどうなるのか思わず考え込んでしまったりして。で、そういう話のときに彼氏がいない状況だったりすると、恋をするひとたちが本気でうらやましいもんだから、どうにしかしてその恋がうまくいかなくなる方法はないもんだろうか、って「コピー20部とってきて」と上司に言われてコピー機の前でぼおっと立って適当にA4の原稿を置いて、コピーが曲がろうが切れようが関係なくて、今一番自分が考えなくちゃいけない案件はまずこの件で、成就させないための秘策を練ることで頭いっぱいでさ。「恋をとるか、仕事をとるかって、恋に決まってんじゃんかね〜」と生ビールで乾杯しながら大声で笑って、とにかく朝から晩まで恋について考えて話していた時期があったはずなのに、恋、恋、恋って誰かに愛されたくて、誰かを愛したくてどうしようもなかったそんな頃が確かにあったはずなのに、いつから私たちと恋って縁遠くなっちゃったんだろう。 それにしても、いいトシして「ダンナに恋してまーす(はーと)」とか言う女もうざいわけ。うきうきしている女たちを、何か最悪の瞬間に立ち会ってしまったような視線で見つめてしまうし、あきれてしまう。それを(はーと)女たちは、「あれはやっぱり欲求不満よね」という一言で片付けるもんだから、あの女って一生発情期だよね、と本当はそこまで思ってはいないんだけれども、恋をしているかしていないかでどうもゴミの分別のようにきっちりビニール袋で縛って分けないと騒動が大きくなる。その実、そうやって「恋を何年休んでいますか」っていきなり聞かれたりするとたじろぐわけで、うまい具合にスムーズな嘘が口から滑り出ればいいんだけど、見得もはりたいもんだからうまくいかない。現実に、自分は本当に何年になるんだろう、なんて考え始めぼんやりしてしまう。で、こういう話を私たちが集まって話していると、ダンナ連中は「ばばあが何言ってやがる」ってなんていうの、女が年齢を重ねて恋だのなんだの言うのは色情魔であるみたいな扱いしてさ、大体あんたたちにだって責任の一端はあるわけなのに、どういうんだろ、こういうの。 で、またダンナ連中に蔑まれたりするもんだから、そういう空気を若い子たちは敏感に察知して、「私は年をとってもああはなりたくはないわ」とか「私は絶対あんな不幸な結婚だけはしない」とかまあ知ったような顔してああだこうだってまた言い出して、ちょっと常識で考えれば、ばばあだって生まれたときからばばあなわけじゃないし、誰が不幸な結婚を望んで結婚したのよ、そんなことはわかるわけで、それをまたいやみったらしく人様の前で聞こえよがしに言うもんだから始末に終えない。あんな女、息子がヨメにしたいって言ったらたたき出すわよね。だけど、そういうふうに決まりきった性別の違い、世代の違いで、「恋」の捉え方も違っていて、それはもう何十年か何百年か知らないけど、結局は新旧交代しながら女たちってこういうことを考え続けてきた歴史はあると思うのよ。ステレオタイプ的な物の見方って確かにあるし、私たちも若かったときに、40歳前後のおばちゃんたちがファミレスで何時間も喋って笑っているのをみて、あれは一体なんなんだ?って別の生物の生態を見るような視線を送っていたもの。 でもさ、そんなこと、こっちはとっくにわかって話しているわけよ。ね? 亀の甲より年の功って言って、こういう慣用句やことわざを会話の中で多用するようになったらばばあの証拠って言うけどさ、それはいいとして、だてに年だけ重ねてきたわけじゃなくて、年齢がいくうちに見聞する話もフィールドも大きくなるし、自分の中でもいろんな変化や出来事に対応してきた経験があるから、気も心も大きくなるわよ、そりゃ。でもひとりになったときにさ、電車の中の車内吊の「この春、恋をしよう」だとか「40代から女は磨かれる」なんていうタイトルが目に飛びこんでくると、こういうコピーは売上が上がるんだったよなって裏事情まで考えながら、それでもそんな女性誌を買ってみたりもする。少し刺激が強いような号だと「不倫のススメ」だの「若いツバメをゲットしよう」なんてことまで書いてあって、記事の内容の信憑性に疑問は残るものの、そうだよな不倫だって別に驚くようなことででもないし、大体恋をしていないって、今恋におちたらそんな私は不倫の女になるわけだしとも思うわけで、そして売れないフリーランスのライターが書いた読者手記を隅から隅まで読み尽くし、やっぱり男が女の気持ちを書こうとするとどうも無理があるな、と三流ぶりにケチをつけ、後ろのほうの頁はほとんどダイエットとか整形の広告だけど、そんなものまで目にはいってくると、仮に自分が変われば、恋をすることもまだないわけじゃない、ってそんな気になってくる。自分から飛び込まなくても、相手から擦り寄られた場合だって想定できるわよね。そして小金でも持っていようものなら、ホストに通うようになるわけよ。ほら「恋休み何年」状態だから、ダンナの白髪染め以外の茶髪を間近で目にしたら、その髪のハリとツヤに驚かされるしさ、シャンパンを一気飲みしながら「自分、正直言って、女性に年齢は関係ないと思うんすよね」なんてうるんだ瞳、酒焼けっていうか寝不足っていうかでそれで目が赤いだけかもしれないけど、自分としてはどうもうるんでいると思いたくなるその瞳でよ、まっすぐに見返されたら、もうだめだね。大体普段目を合わせて男性と話す機会だってないんだから、それを挑むような視線を送ってこられたら、ねえ?わかるでしょ。ホストの仕事運びのうまさ。他の男とは視線が違いますよって、最初にやるわけよ。で、誰にでも同じことを毎回言ってるんだろうなってわかっていても、嬉しいものは嬉しいわけ。昔さ、OLだったとき同僚の男の子がキャバクラの女の子にハマっちゃってさあ、そのときに「おれだけには違う。彼女はおれと他の男とは分けている」って真剣に言ってるのを聞いて、「あんたってバカじゃないの。相手にしてるわけないじゃないの。それが仕事なんだし、あんたは金なんだから」ってきっぱり言ってやって他の同僚に、「おまえもきついよな」なんて言われたことあって、だってはっきり言わないとわかんないのよ、なんて返事しておいたときの光景が今、まざまざと蘇る。 なんていうんだろ、長々と話してきたけどさ、別に恋愛そのものをやりたいわけでもないんだと思のよね。私たち自慢じゃないけどバブル期にOLやってきたから、今の若いフリーターのお姉ちゃんたちよりさんざん楽しいことしてきて、恋愛だってさ、ひどいときには毎週パーティにエスコートしてくれる男性が違う、なんてことだってあったわけよ。好きでもない男にイタリアにパスタを食べに行こうって言われてついて行ったり、上司がしつこいから何回か泊まったりしただけなのに、奥さんから電話かかってきて「泥棒猫」なんて怒鳴られたりしてさ。泥棒猫、なんて当時から死語だったからさ、そのとき私はこの奥さんじゃだめだなってなんか本能的に察知したけどね。まあ、とにかくそういうことでさ、ちょっと擬似恋愛みたいなもんをやってみたくなったのよ。そういうことを相談するために皆で集まって話したりすることがいけないこと? どんな女だって、ときどき背中をそっと支えてもらったりしたいってことを、言いたかっただけなの。 2005 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |