#31のブルース 雨の日のバタフライ
そのステージは思ったよりも横に広い気がした。国立大劇場のほうは歌舞伎だか何だかの演目で私が演奏するのは小劇場のほうだった。小劇場といっても由緒ある大きな舞台だし、初めて演奏する舞台ではステージ具合がどんなものか一応確認をするようにしている。その日、演奏前にステージの様子を客席からそっと母と覗いたとき、私の母は泣いていた。
「ここで演奏するまで来たんだねえ」
と涙をぬぐいながらもう一度私の着物の半襟をきゅっきゅっと直した。ふと6歳から始めたお稽古中に、先生に何度か右手を叩かれ、泣きながら、十三弦ある琴の糸を目で追い続け練習したことを思い出して私は喉を鳴らしてこらえた。演奏が終わるまで他のことは考えないようにする、それは昨晩心に決めたことだった。今朝起きたとき、私のまぶたはぽってりと腫れあがり、寝不足のためか目の下には隈ができていた。母が私の着付けや顔の薄化粧と髪を結うため、母には絶対に悟られないようにそれらしく、緊張のため眠れなかったと告げた。
「ふうん」
鏡の前に座る私の様子を、後ろに立って髪を結うふりをしながら鏡越しに母は様子を窺っていた。母親の視線は、女同士が相手を心中をさぐるときに見せるねっとりとしたあの視線そのものだった。男を知らずに琴のお稽古に娘を邁進させてきたという自負を持っている母であるが、娘の打ち沈んだ様子は、緊張のためだけとは言いがたい何かが漂っているのを感じていたのかもしれない。私は16歳で筝曲山田流の師範免許を取得し、名取としての初舞台が今日だった。
「お琴ってどんな音がするんだろ」
そんなふうに話しかけてきたのは彼のほうだった。私の友人と同じ陸上部で三段跳びを得意としていた。陸上もやってるけど、本当はおれバンドもやってるんだ、ギター弾いてんだけどお琴の音色も聴いてみたいなあ、同じ弦楽器だしさ。彼は熱心に私のお稽古の話を聞きたがった。それまで、どうせ誰も関心を示さないと思っていたのに、お琴に興味を持ってくれているのが嬉しい、私も夢中になって語った。そのうち一緒に下校するようになり、そのうちが毎日になり、私は彼の部活の練習を窓越しに見て、彼を待った。今日は足が上がってるな、とか、昨日のほうが集中していたな、などといっぱしに彼の体調を読んだりするようにもなった。練習用のタオルをプレゼントしたり、私が欲しかったレコードをもらったりした。恋人同士だった。
「私今度、国立劇場で演奏することになったの。ちょっと遠いけど、その日見に来てもらえる?」
「行く行く。おまえ、どんな格好すんの」
「着物」
「だよな。なんかさあ着物姿なんて見たら恥かしいな」
「こっちだって」
私たちは笑った。彼には言わなかったけど、私はその日に着る着物を彼に見てもらいたかった。鮮やかなオレンジ色の総しぼりに、銀と緑の帯を結う予定だった。母の知り合いの京都の呉服屋さんで注文したものだ。彼に着物のことを言ってもわからないだろうから、当日私の晴れ姿をその目で見てもらえればいい、と私は思った。彼も私もきっと気恥ずかしい気持ちになるのはわかっていた。その気恥ずかしさを想像すると、なんとも甘酸っぱく、それでいて誇り高い気分にもなるのだった。私は色白で背も低く、16歳のもち肌にそのオレンジ色のしぼりの着物は我ながらよく似合っていた。柄は蝶だった。両手をぱんと広げると流れるようにその蝶が羽を広げる絵柄になっていて、初舞台にふさわしいあでやかさであった。
私はお稽古に励んだ。毎日毎日帰宅するなり曲目を弾いた。琴は一音を出すときは右手で弾くだけだが、半音を出すときは、琴本体に立てる琴の「じ」と呼ばれるギターでいうコードのようなものの左横を、左の指で押しながら音を出す。琴の糸は、絹かナイロン製でピンと張ってあるので「じ」を立てた状態になると張り具合が更にピンと張った状態になり、糸を指で押すには非常に指に負担がかかる。私の左指は血豆や水ぶくれのようなものがびっしり出来ていた。指の皮が何回か剥け、私の指は常に赤く熱を帯びていた。それから曲目によっては、長唄のような小唄を歌いながら弾くものもある。腹式呼吸で和歌の歌詞のついた曲を弾きながら歌うのは、かなり難しい。一つの単語をある音より半音や一音を上げたり下げたりしながら、節をつけて歌う。流派によってその節回しの上げ下げや、一拍分のリズムの取りかたが違うので、間違った節を勝手にはつけられない。伝統芸能なので自己流も認められない。しかし節回しができないと、師範の免許はもらえない。したがって師範になった者たちがずらりと一列になって連弾する曲目は、おのずと難易度の高い、歌つきの曲目になる。当日はもちろんこのタイプの曲目を演奏することになっていた。
それから大舞台になると、かっとライトが当たってかなり暑いので、弾いている最中に汗で指につけている爪がはずれてしまうこともある。これには注意しないといけない。私は当日に向けてあれこれ注意事項を自分なりに考え、緊張感を高めていた。
彼とは2日前にも電話で国立劇場への電車でのアクセスについて話した。昨晩彼から電話があるまで、私は何もかも順調に進んでいるとばかり思っていた。
「ごめん、やっぱりおまえと別れたい」
彼が切り出してきたのは別れ話だった。
「え?」
私は聞き返した。何を言ってるのか理解できなかった。
「ごめん」
「え?」
もう一度あやまられて、私はようやく状況が理解できた。
「別れるって、そんな突然…」
確か私はそう言ったと思う。相手の言葉も自分の言葉も、1日たった今となってはおぼろげな記憶にすらなっている。
「おまえのことが好きじゃなくなったとかそういうことじゃなくて。うまく言えないけど、どうもおれたち合ってないような気がする。おまえはそんなふうに思ったりしなかった?」
しなかった、と私は心の中で答えた。口には出さなかった。そんなこと考えたこともなかった。
「おれはそう思ってた」
相手の気持ちが読みきれていない自分が恥かしくなった。自分には唐突のような気がしたけどこのひとにとっては突然じゃなかったんだ。このひと、毎日毎日自分たちふたりが噛み合っていない、と違和感を抱えながら私と話していたんだ。哀しかった。あまりにもお互いが相手の気持ちに気づいていないことが。そしてこんなにきっぱり彼が言うことが。彼の中では終わっているに違いない。でも最初に話しかけてきたのは、あなたのほうじゃない。興味を持ったのは自分が最初でしょ。いつから合わないと思うようになったの?何が合わないと思うの?合わないといけないのかな? 少しぐらい合わなくたって、一緒にはいられないの?
「別れる理由って、合わないからっていうこと?」
「うん」
「そんなのよくわかんないよ」
「だからうまく言えないんだけど…」
「合うとか合わないとか、自分で勝手に思ってるだけじゃない」
「ごめん」
「あやまられても…」
私にあやまるということは、彼は私に後ろめたい気持ちでいるということだ。私に悪いことをしたと思っているということだ。自分がかわいそうだと思われているらしい。耐えられない。哀れみを受けるようなつきあいなんかじゃなかったはずだ。いろんな話をしてきたと思ってた。いろんなことをわかりあえていると思ってた。でも、こんなの思いやりなんかないじゃないの。せめて彼が戸惑っているようなサインを出してくれればよかったのに。いきなりふられるのって、落とし穴を覗いていたら急に突き飛ばされて穴に落ちてしまう気持ちだ。
でも。
どうしても私はこれだけは言いたかった。
「なんで今日なの?どうして明日が終わってから言ってくれなかったの」
私はあの着物を彼に見てもらいたかった。彼に私の演奏を聴いて欲しかった。彼の感想が聞きたかった。苦しい練習を頑張ってきた。彼が走っている姿と同じように、私も軽やかに明日跳んでみせたかった。
「今日言わないと、言えなくなりそうだったから」
「そういうのを残酷って言うのよ」
かろうじて震えを押えながら私は言った。告白するタイミングまで考えていたんだと思った。
そして、もういいよ、さようなら、私は電話を切って楽譜を投げた。譜面台も投げた。
譜面台は、がつんという音をたてて壁にぶつかった。その音が聞こえた瞬間、私はぼろぼろと涙を流した。
恋がだめになったのはこれが最初ではなかった。しかし、大事な日の前日に、目がつぶれるほど泣くのは初めてだった。彼をそこまで好きだったのか、もうわからなかった。何が哀しくて自分が泣くのかはわからなかった。ひたすら涙を流して泣いていると、頭がぼおっとして泣いている理由すら曖昧になってくる。ふられたのが哀しいのか、解り合えなかったのが悔しいのか、演奏を見てもらえなかったのが残念なのか、プレゼントしたタオルに込めた想いがつらいのか、考えてもわからなかった。張り詰めていた自分の中の空気がはじけてしまったような気分だった。
こんなに哀しいのに、誰にも言えない状況というのは初めてだった。明日は学校の友達がいるわけではない。周囲はベテランの年配のひとたちばかりで、私は最年少師範として舞台に立つのだ。男にふられて泣いていました、なんて泣き言を言ってる場面ではなかった。自分の気の迷いが演奏に影響してはいけない。家元と一緒に弾ける機会なんて、私のこれからおくるであろう長い人生の中でも滅多にないことだ。邪念を振り払う、その言葉を呪文のように繰り返す。
「もう楽屋に行ったほうがいいわ」
客席のうしろで私の肩をたたいて母が言う。
「お客さんはあんたが16歳だろうが何歳だろうが関係ないんだからね。ただの演奏者だと思って見ているんだよ。だから年齢を言い訳にはしないこと」
16歳だろうが何歳だろうが関係ない。
はっとした。
私はここでは年齢も昨日あったことも何も関係ないのだ。舞台にたって立派に弾く。注文を受けた料理人のように、毎回最高の出来ばえを見せて当たり前なのだ。師範、とはそういうものだ。
もしかしたら。
私と一緒に演奏する他のひとたちも、昨日哀しいことがあったかもしれない。私のように涙を流すようなことがあったのかもしれない。その思いつきは、自分がいかに世界の中で一番不幸だと思い込んでいた恥かしさを認めた。とても哀しい。とても嬉しい。どんなことがあっても、みんな今、目の前にあることを一つ一つこなしていかなければいけないのか。私だけが一番つらいのではなかった。みんなつらくて、みんな涙を抱えて、そしてみんな次の一歩を踏み出すのだ。私が今やらなければいけないことは、誰もが認めてくれるような演奏をすることだ、と私は思った。彼には見てもらえなかったけれど、どのみち彼は私が6歳から始めたお稽古の一部始終を知っているわけではない。彼が見たところで彼は感想なんて言えるわけがないんだ。元々私は彼だけのために練習してきたわけではないもの。爪音をうんと強くして弾いてみよう。彼が知らないところで、彼が見ていないところで。私は彼より高く跳んでみせる。
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