logo #28のブルース シュガータイム


そろりそろりと電話のコードを最大限に延長した電話機を持ち出して自分の部屋に行こうとすると
「おい、また長電話かよ。聞かれたくない相手?」
と兄貴がせせら笑うようにおれに聞いてきた。
「うるせー」
おれは乱暴に答え、自分の部屋の扉を大きな音をたてて閉めた。
自宅の2階は階段を挟んで両脇におれと兄貴の部屋があるのだが、兄貴は大学生になった途端おれの行動を逐一見張るようになった気がする。大学に入ったからって年上ぶるんじゃねえよ、2つしか違わないのに、おれはやれやれと思いながら電話のジャックにコードをぶちこみ、親子電話で兄貴が盗聴していないか確認し、カセット・デッキにミュージック・テープをいれて、音量が大きすぎでも小さすぎでもないくらいの適度なBGMになりうるくらいのボリュームにセットして、大きな深呼吸をひとつした後、すっかり指が覚えたヒロコの電話番号を回す。

電話が鳴ったとき、ああリョウからの電話だとあたしはすぐにわかった。リョウはいつも同じ時間にきちんと電話してくる。まだデートは3回しかしていない。けれどリョウは見かけは不良ぶってるけど、クラスの他の男子の誰よりも誠実だということはわかっていた。
「もしもし」
2コール鳴ったところで受話器をとると、おれだけど、といつものリョウの声が聞こえてきた。
ふふふ、知ってるよ、と言うと、照れているのか咳払いをしている。でもリョウは照れているということを私に見せたくないようなので、私も敢えてそういうことを言わないようにしている。
「リョウはいつも音楽を聴いてるのね」
話を変える意味でも、私がそう訊ねると
「あ、聴こえてる?うるさいかな?やっぱ音がないとさ」
リョウは音楽とは言わずにオト、と言った。

ヒロコに知ってるよ、と言われたときは、自分の心を見透かされているのかと思って咄嗟に赤面してしてしまった。ああ、電話でよかったとおれは思った。毎日電話しているのに、電話をかける前に毎回深く深呼吸をしているとか、普段は部屋で少年漫画しか読まないのに電話するときだけ音楽をかけていかにも音楽通に見せかけるとか、そんなことがバレたらどうしようかと一瞬ひるんでしまった。あぶないところだった。兄貴には大きな態度でいられるのに、女の前だといつも卑屈になってしまう。女には計り知れないものがある、と思う。ふわふわしてて、柔らかい空気を醸し出しながら、どきっとするようなことを突然言う。おれは、正直どぎまぎしてしまう。
電話をしながら、何を聞いてくるのかヒロコの声に全神経を集中させ、できるだけさりげない答え方をするように心がける。精一杯の見栄でもはらないと、対等感が保てない。情けない。せいぜい、オトとか言うのがいっぱいいっぱいだ。「じゃあね」とヒロコが言う時は、もう終わり?もっと話をしたかったのにずいぶんあっさりだな、おれの話がつまんねえのか? 毎日そんなことをあれこれ反芻する。

リョウは私が話していても、ときどき上の空というかあまり聞いていないのかな、という時がある。でも私が何か質問すると、すごく早く反応して答えてくれる。そのスピードがあまりにも早いときは、もしかしたら私が質問することを予想して答えを用意していたんじゃないか、と思うこともある。だからときどき私はリョウが想定していないようなことを突然聞いてみたくなる。今日はリョウがオトがないとさ、と言ったあとで
「リョウに質問があるの」
と聞いてみた。
「なに?」
「今日さ、あたしのこと考えた?」
リョウはひっと喉の奥で悲鳴みたいなものを漏らし
「か、考えたよ…」 それまでより随分と声のトーンを落として静かにそう言った。
「どのくらい?」
「…たくさん」
リョウの声がますます小さくなっていくので聞き取りづらかった。でも少しはあたしについて考えてくれたことがわかって、嬉しかった。3回デートをしてもリョウはあたしに気を使ってはくれるけれど、いつもあっさりとした態度でいるので、どういうつもりなのかあたしには確信が持てなかったから。

突然ヒロコにすごいことを聞かれた。どうしてBGMの話題から、そこへ話がつながるのか、おれにはよくわからない。女のわからないところは、こういう話の流れである。うまく音楽通に見せかけた安心の直後だったので、まったくまごついてどもってしまった。最新のサーファー・カットをして波の話を嬉々として語る、クラスの人気者のグループにいるくせに、女に免疫がないとヒロコに思われたくない。彼女を大事にしたいから尊敬されたい。大きな大人に思われたい。
自分の卑小な小細工は、予想外の質問におろおろし、こういうところで露呈する。
「あたしのこと考えた?」っておれの1日はヒロコのことしか頭にない。今日は電話でこのネタを持っていこうとか、授業中にあれこれ画策しているのを彼女は知らない。だけどヒロコがどこまでおれのことを想っているのか自信がないから、おれは小細工をしながら遠く遠く核心から離れた言動や行動で、平静を保っている。でもそれにも限界がある。やっぱり明日からは遠近法を考えないとだめだ、おれは作戦を変更した。ちまちま考えたって仕方ねえよ。でも女に告白する勇気って、おれがそれまで見たことも聞いたこともない気持ちだ。びびってしまう。

リョウに今週デートして、と言ったら
「ああ、いいよ」
とまたいつものあっさりした反応だった。リョウは波の話やクラスの話になると饒舌だけど、デート中あたしが他の女子のつきあってる彼氏の話なんかをすると、途端に無口になる。
別にリョウとの関係を比べてるわけじゃないのに、リョウはぼそっと、みんなすげえなとか下を向いたりする。リョウは前にカノジョがいなかったのかな。いたのかな。いつも聞いてみたいのに、まだ聞けない。リョウもそういうこと聞いてこないし。
でも期末テストが終わったら、いつものデートじゃなくて海に連れて行ってくれる、ということを例によってものすごい早口で提案してきてれたので、そのときに聞いてみようかなとも思う。海は近場の由比ガ浜とか鎌倉がいいんだけど、おれはサザンで流行ってる海では波に乗れないんだよなあ、なんて大人みたいなことを言ってるけど、またあたしがこういう質問をしたら下を向いてしまうかもしれない。リョウはあたしより大人のような立ち振る舞いをするけれど、あたしはそういうリョウをかわいいな、なんて思ってしまう。
来年はボードの運搬が楽だから車の免許をとって、ホンダのCR-Xでも欲しいな、そしたら乗っけてやるからな、とも言い、来年なんて高3なのにそんな時間あるの?と聞くとリョウはお兄ちゃんがいるから受験勉強はお兄ちゃんが教えてくれるらしい。浪人しても1985年までには入学しないと親がぶうぶう言うからやばい、とも言っていたけど。
そしていつものように「じゃあね」と電話を切ったあと、今夜リョウはもう一度電話してきた。
「さっき言い忘れたけど」
今度はあたしがなに?と聞いた。
「ヒロコからもおれに電話くれよ」
と蚊の鳴くような声で呟いた。リョウがあたしに何か頼んできたのは初めてのような気がする。
「いいよ。いつ?」
そう答えると、リョウは思い切ったように少し上擦った声をあげながら
「今、今。今折り返し電話して。キャッチが入っても無視して。おれの電話を優先にして。そういうの、したくなった」
とまた早口でそう言った。



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