logo #17のブルース


シートベルト着用のランプが点灯し、オレはようやく落ち着きを取り戻した気分で小さな窓枠から見えるJFK空港を眺めた。機内には8割方があがあと騒ぎ立てる日本人でいっぱいだったが、普段のオレだったら彼ら彼女らに悪態をついているはずであろう自分が、こんなにも満ち足りた幸せな気分で周囲を眺めていられることに少しばかり戸惑った。そしてそんな自分が恥かしくもありオレは6年ぶりに帰る日本を想って目を閉じた。

6年前オレはあまり物事を考えずにNYへやってきた。和食のレストランで働いたりしているうちにわかったのだが、NYに住み着く日本人というのは、たいがいが変な屁理屈を並べるのが好きだ。「東京に嫌気がさした」とか「ここにしか自分の居場所がない」とかそんなことを平気で言う。日本を離れて日本を知るということは誰にでもある。しかし日本を離れなくとも、気の利いたやつならもっとうまく立ち回れたようなこと、それができない人間というのはそこに理由をつける。嫌気がさすほど東京を知っているとも思えない、NYが自分の居場所であるなんて誰が決めたんだ? そういう日本人たちと知り合うたびにオレは、自分はそうじゃなかったと思う。オレは別に東京は嫌いじゃない、日本は嫌いじゃない、管理社会が嫌いじゃない。日本の女も好きだし、寿司や刺し身は世界で一番うまいと思うし、日本のデザイナーズ・ブランドの服も好きだ。しかし、オレのこういった意見は、このNYの狭い日本人コミュニティの中では浮き上がる異論の1つだった。更にオレはクリントン政権が最初に打ち出した永住権の抽選に、真っ先に当選してしまった。それが周囲の心証をますます悪くするものだった。コソコソと不法滞在をしながらレストランで安くこき使われて、何が居場所だよ、オレがそう言うと、おまえなんか今に日本の女にだって相手にされなくなるぜ、だっておまえはNYの本当の良さも悪さもわかってないもんな、と言われた。

しかしそんな周囲の心配は無用だった。オレはその頃リサというヒスパニックの女とすでに同居していた。ヒスパニックの女は陽気で朗らかで、オレたち日本人のように陰気くさく何事にもシリアスに考えがちな性格と相反して、オレはすごく救われていた。単純だが情にも厚くウラ表のないリサが大好きだったが、ちょっとのことでぎゃあぎゃあ騒ぎ立て怒って物を投げたりするのには辟易していた。それでも恋人同士の喧嘩はよくあることだし、ふたりで公園を散歩したりしていると、このままずっと一緒でもいいか、などと思うこともあった。この街は猥雑で混沌としており、いろんな音や匂いがあちこちから流れては消えて行った。知り合いは多いが、本当の友情関係とは無縁の巨大なクラブにいるような錯覚を起こした。街全体が大きなひとつのクラブだ。自由の女神はクラブのシンボルのミラー・ボールで、マンハッタンはVIP席。空港付近のキャブは玄関のクローク。ダンス・フロアは碁盤の目になっているすべてのストリート。オレはその中でリサとスロウなジャムを踊っている。終わることのない曲目をえんえんと。

そんな生活が5年も続くと、オレはやるべきことをやり尽くした気になってきた。しかし元々目的のはっきりした渡航でもないので、一体自分は何をやり尽くしたのかまったくわからなかった。そもそもオレは、生きている今の人生に大きな意味を持たせているやつらが嫌いだったから、自分の異国暮らしにも、お題目をつけたくはなかった。NYに来たかったから。ここで住みたかったから。理由なんてそれだけだ。だってそうだろう。結婚は相手が好きだからするし、離婚は相手が嫌いになったらするものだ。しかしリサには、さすがにこのナイーブな感情を表現することがなかなかできなかった。話しがややこしくなる前にオレはリサに別れたいと言った。リサは予想以上に感情的になって、カウチの上のクッションを投げ、電気スタンドを蹴った。
オレのことを大好きだったのに、裏切られた気持ちだと言った。
裏切る?オレはいつも誠意を見せてつきあってきた。他の女を探したことはなかったし、自分ができる範囲で家賃だって多めに払い、紳士的な態度をとってきた。裏切るっていうのは、気持ちを踏みにじることだろ?オレがいつおまえを失望させたかよ?
今よ。
リサはそう言って、今度は部屋を出て行った。

そうしてリサと別れたあとオレは久しぶりに日本に帰国する準備を整えていった。アパートも家具もとりあえず引き払うことにし、日本での仕事は知り合いの建設会社の現場を手伝うことになった。JALの航空券も買った。電話も止めるよう電話会社に電話しようと思ったときに電話が鳴った。
「It's me」
リサだった。別れてからすでに半年たっており、この半年間は1度もやりとりしなかったのでオレは少しうろたえた。
どうしたんだよ?元気か?
「I just want to say Hi」
こんにちわって言いたくて。これはよくアメリカ人が使う言葉だ。しかしオレはリサと一緒だった5年間こんなセリフを言われたことはなかった。そもそもが陽気なヒスパニックの女だから、だからオレはリサが好きだったのだから、こんなふうに感傷的な電話は苦手だった。
「How are you doing?」
ああ元気だ。いや、ちょっと日本に帰るつもりなんだ。オレもやっぱり日本が恋しくなっちゃってさ。この街は刺激的で楽しいけど、自分の中に残るSo what?って気持ちがぬぐえないんだよ。やっぱりComplication shakedownだよ。
「I know」
本当にわかってんだかどうか知らないが、とりあえずリサがそう言ったので、オレは案外あっさりとじゃあ、キミも元気で、と言って電話を切った。

オレはしばらく眠っていたようだ。機内の乾燥した空気に喉が渇いて目が覚めた。リサのことはなんとなく心にひっかかっている。しかし今ここでオレは日本人であることをやめるわけにはいかない。東京に住んで、東京で生きる。今度は東京をマジカル・ミステリーなクラブに仕立てあげることができるように。今度は好きな女から裏切られたなんてことを言われないように。



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