logo #16のブルース


入学式が終わってクラスの発表があり、出席順に席に着くと私は彼の1列後ろになった。自分の町から少し離れたこの高校を選んでよかったと思ったくらい、彼は私好みの長身で甘いマスクをしていた。自分の制服姿が少し野暮ったく思えた。彼は華やかな笑顔を振り撒いて周囲に話し掛けていた。
「おい」
突然彼に話し掛けられて私はギョっとした。
「なに?」
「おまえさ、結構かわいい顔してんのに、なんかダサイよな」
そう言って彼は私たちの周囲を笑わせた。私はひどく傷ついた。なんて失礼なひとだろう。さっきは格好いいと思ったけど前言撤回。
「バカみたい」
「え?」
「だからバカみたいって言ったのよ、あんたのこと」
野暮ったくてもダサくてもいい、もうかわいこぶるのはやめたかんね。
上等だよ。オレはうじうじしてる女は嫌いだかんな。

私と彼の始まりは、そんなふうにどこの高校の教室にでもある春の1日だった。3年間の高校生活の間、私と彼は目が合えば憎まれ口をたたく、そんな関係だった。時々放課後の下駄箱のところでバッタリ会うと、彼は私を自転車の後ろに乗せ駅まで送ってくれた。周囲はそんな私たちを仲がいいのか悪いのかわからないきょうだいみたい、だと言って笑った。卒業するとき、私は都内の短大へ進学を決め、彼は1年浪人生活をすることになった。私たちは笑いながら別れ、彼が1年後進学が決まったらまた会うことにした。
そして1年後、希望の大学の進学は実らなかったが彼は第2志望の学校の入学を決め、私たちはふたりで乾杯をした。時々は会っていたけれど、会うたびに彼は大人びて見えた。私のほうが先に学生生活を楽しんでいたが、彼がしんみりしたり柔らかい物腰になると私はなんだか取り残されたような気がした。彼には私のことを相棒のような態度で接してもらいたかった。彼が私をよぶ「おまえ」という響きは、いつでも私を安心させた。

そうして私の短大生活は終わり、私はバタバタと就職を決めた。彼は私より3年遅く卒業した。卒業する直前、彼はアルバイトをして貯めたお金でヨーロッパを回る旅行をすると言った。
「アメリカじゃないの?」
「何言ってんだよ、おまえ」
彼はふんっと鼻先で私をあしらった。
「だって英語得意だからさ」
「オレはねえ、単に遊びに行くんじゃないんだぜ?歴史を見に行くんだから。アメリカじゃ歴史は見れないだろう?」
「どのくらい行くの?」
「1ヶ月だな」
「そう」
ふいに私は寂しくなった。私はすでに社会人として3年も働いていたが、自分の収入ではとてもヨーロッパ周遊の余裕はない。毎晩上司や同僚と飲みに行ったりすることを覚え、「つきあいだから」などというセリフを言える自分が大人になったような気がしていた。同じふうに同じ時間を過ごしてきたのに、私の見ていた外の世界と、彼が見つめてきた外の世界が違うように思った。私はヨーロッパに行くことなんて、今の自分の生活から考えたこともなかった。
「ま、お土産買ってくるからよ」
「でも貧乏旅行でしょ」
「なんだかなあ。女ってすぐそういう夢のない言い方をする」
「ヨーロッパってどこを回るの?」
「今の予定では、ドイツ、イタリア、スペイン、そんなとこだな」
「あのさ、今思いついたんだけどお土産はいらないから、行く先々でカードを送って」
「エア・メールか」
「うん。スペインでは絶対にバルセロナから送って」
「おまえ、ガウディに興味でもあんの?」
「まさか」
「なんで」
「私の好きな歌があるの。サノモトハルの『バルセロナの夜』っていうんだけど」
彼は興味がなさそうに私の話を聞いていた。その晩別れるときにも、私は念入りにカードを送ってくれるよう伝えた。

私は1ヶ月の間、カードをひたすら待つことに専念した。彼が自分より大きな世界を見る、自分より早く大きな世界に触れても、その先々で私にカードを送ってくれたら、彼と自分は同じ世界を共有できるような気がした。彼が感動したり戸惑ったりすることを、どうしても一緒に体験したかった。長い間私は彼に恋をしていたのだった。彼が好きだった。だから彼がどこにいようとも私を思い出して欲しかった。
カードは最初ドイツのフランクフルトから届いた。アウトバーンを飛ばしながら走っている、という走り書きを読んで、自分もドイツ産の車に同乗していることを想像した。つまらなそうに聞いていた私の話を彼はちゃんと覚えていた。そういうひとだった。私と一緒にいるときはぞんざいな口調で私をたしなめたり、からかったりすることが多かったけれど、そういう振る舞いは16歳の時から変わっていない、それが私には嬉しかった。今度バルセロナから本当に彼がカードを送ってくれたら、私は自分の気持ちに素直になるつもりだった。ずいぶん時間がかかったけれどここで私が何も告げないままだったら、私と彼は永遠の悪友で終わる気がした。
私はじりじりしながら、カードを待った。ドイツからのカードは彼が出発してから間もなく届いたので、2通め3通目と他のカードもすぐさま来るものだと私は思い込んでいた。が、2通目はなかなか届かなかった。いつ届くかもわからないたった1通のカードのために、私は残業もそこそこに毎晩早く帰途についた。そして自分の部屋で私は『バルセロナの夜』を聴いた。サノモトハルは、この曲をあんまり好きじゃないみたいだけれど、この曲が今の私の支えだった。1つの曲と1通のカード。他人にとってはとるに足らないことが、自分にとってはすべて、だった。
彼は1ヶ月と言っていたから、もうそろそろタイム・リミットだった。半分あきらめていたある晩、カードは届いた。バルセロナからだった。疲れきって寝る前に書いたようで、もうすぐ帰る、スペインは最高だ、としか書いていなかった。毎晩毎晩ああでもない、こうでもないと悩みながら待ち暮らしていたのは、この2行に満たないそっけない言葉だった。けれど私はどんな甘い言葉が書かれているよりも、このそっけなさのほうが胸を衝いた。彼らしく、私らしく、それは私たちふたりがわかればいいことだ。野暮ったくてもダサくても私は私だかんね。涙があふれ出た。涙はカードの宛名の上に落ち、小さなシミになった。そのシミがじわじわと広がるのを見つめながら、ああやっぱり私は彼が大好きだと思った。



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