3月も半ばだというのに、小雪が舞い散る朝だった。その日会社に向かうプラット・ホームで今日の昼成田を出発するという友人のことを考えた。「見送りには来なくていい」ということだったし、自分の有給休暇も残り少ないので「わかったよ」とだけ私は言って、昨晩受話器を置いた。彼女と私はなんとなく相反する部分が多いような気がしていた私は、日本を発つ最後の晩に彼女から電話があったことに意外な気がした。外国人の夫を持つくせに外国に居住経験のない私は、彼女のことを日本を離れるという感傷のような気持ちなのかな、とそう思うことにした。
そのふた月ほど前にやはり彼女から電話があったときも、同じように意外な気がした。彼女は私とは同じ年で、仕事を通じて知り合ったのだが、独身で親と同居し自らを「もう完全にパラサイト・シングルってやつよ。寄生虫だから。あはは」などと称す彼女を私はあまり好きではなかった。彼女が半年に一度アメリカにいる友人を訪ね、帰国する際に私に買ってきてくれるお土産のコスメッティック用品も私にはあまり関心のないものだった。これはシワを目立たなくする、とかこの乳液は肌にいいとか、ブランド用のバッグをさりげなく持つ工夫とか、そんな薄っぺらいマテリアル・パーソンは私は好きではなかった。
「私はね、結婚なんてどうでもいいのよ」
彼女はお酒を飲むといつもそんなことを言った。
「別にあなたがどうのこうのって言ってるんじゃないのよ。でも結婚が人生のゴールのような生き方はしたくない」
そうとも言った。
「私は別に人生のゴールだなんて思ったことないよ」
「でも結婚したらその生活に安泰して身だしなみとかに気をつけなくなるじゃない?」
「それは個人差があるんじゃない?」
「そうかなあ。大抵の女のひとは魅力的ではない」
「あのね」
私は彼女に向き合った。
「そうやって自分の中でカテゴライズするのはよくないよ。結婚してるひとが100人いたら100通りの結婚生活があるんだから」
「私にお説教するわけ?」
「そうじゃない」
「あーやだやだ。結婚するとこうやって結婚生活が一番みたいな言い方になるんだよねえ、みんな」
彼女は大袈裟にため息すらついた。
「結婚しようがしまいがそれはそのひとの生き方でしょう?どうでもいいって思ってるならそういう言い方っておかしいんじゃないの」
私と彼女はいつもそんなふうに不毛な討論になった。30代。結婚。仕事。子育て。住まい。私たちは迷っていた。
「あ、今日はね、報告があるの」
彼女は唐突に言った。
「やっぱり私ニューヨークへ行くことにしました」
「行くって住むの?」
「そう」
「どうして」
「日本にいても私のやりたいことはないし、やっぱり世界の中心はあの街だからね」
世界の中心だからってそこで何をするかが問題なんじゃないの、という言葉を私は飲み込んだ。そのかわり
「そう。頑張って」
そう言った。私がどれだけ自分の意見を述べても結局彼女は当てこすりを言う気がしたし、何かを決意した人には「頑張って」というエールを送ることのほうがふさわしいと思ったからだ、たとえ気が合わなくても。通勤電車に揺れながら、私は彼女とのそういったやりとりをとりとめもなく思い出していた。あのひと大丈夫かしら?と一瞬思ったものの、子供じゃあるまいし自分の人生をどういうふうに描くか絵筆を握ってるのは結局自分なんだから、そう思い直した。
駅についたところで、携帯の電話が鳴った。
彼女からだった。
「おはよう」
雑音に紛れて彼女の声が不機嫌そうに聞こえた。
「今忙しい?」
「これから仕事なんだけど」
「そっか。じゃあ行ってくるから」
私は気が合わないと思ってきたが、彼女はそういうふうに思っていなかったのかもしれない。
自分がこれから日本を離れるっていうことを、どうしても誰かに知らせたい。その相手がどうやら私のようなのだから。
「気をつけてね」
私は携帯電話を耳にぴったりくっつけながら言った。あんまり好きじゃなかったけど、でもこれで会話を終わらすのも通りいっぺんすぎるような気がした。
「私の好きなフレーズを言うね。つめたい夜にさよなら、争ってばかりじゃひとは悲しすぎる」
「……」
「元気で」
私は足早に改札口を出た。