クリスマスを二日ばかり過ぎた頃、アメリカから今年もポスト・カードが届いた。
元オットの母からのものだ。今ディナーを食べ終えて、私と息子のことを想い祈りながら、これを書いています、とそのカードの書き出しは始まっていた。彼女の近況報告を読みながら、私が元オットの婚約者だったり妻だったりした時を思い出し、胸が熱くなった。私が再婚を決めたときに、彼女はもし今度のあなたのダンナさんがいいというなら、今まで通り手紙のやりとりをしていきたいのだけど、という申し出をしてきた。私は一瞬躊躇をしたけれど、私の息子の実の祖母という事実は揺るぎないものだし、と思い、その申し出を受け入れ、再婚相手にも承諾をもらった。最後に彼女と会ったのはもう6年くらい前だろう。息子を身ごもったときから、私と元オットの中はこじれ、最終的に息子が1歳3ヶ月のときに、私たちは別々の人生を生きる決断をした。その報告を義母にする作業は、私にはとても辛いものだった。息子が誕生したとき、いつか義母の処に息子を連れて会いに行くという希望は永遠に絶たれたからだ。義母もわかっていると思う。自分の実の孫と、もしかしたら永遠に会うことはないかもしれないという現実を。先日私は、10年以上ぶりになる友人と再会を果たした。
待ち合わせの改札口で友人は私を見つけて「こんにちわ」と言った。
最後に会ったのは10年以上前だったのに、彼は私を見つけた。
私も「こんにちわ」と笑顔を返した。
「どう?東京は。ドイツに比べたらそんなに寒くないでしょ?」
「まあね」
私たちは雑踏の中に紛れてそんな会話をした。ランチをとるために店にはいり、しばらくとりとめのない話をしたあと、私は忘れないうちに彼に渡そうと思っていた古い7インチのシングル・レコード を取り出した。
「これ」
「あ」
彼は戸惑ったようだった。
「私は持っていても、もう聴かないし。大事にしてくれる人のところにあったほうがいいから」
「でも、いいの?」
友人はそれを手にとると、かすかに関西訛りが残る言い方で
「ありがとう。大事にします」
と言った。そのレコードには私は思い入れがあった。サノモトハルのファンクラブ誌の編集をやっていたときに、特別にもらった市販されていないサンプル盤だった。大好きな曲だった。毎年クリスマスが近づくと、自分なりのクリスマス・ソング集を編集していたのだが、この曲は必ず最初か最後に録音していた。サノモトハルがこの曲を発表したとき、セサミ・ストリートの中で子供たちが末永く歌えるようなクリスマス・ソングを作りたかったと言っていた。クリスマス・ソングをずっと作りたかったけど、そういう曲になるまで時間がかかったとも言っていた。
そのとき、サノモトハルはこうは言っていなかったか。「クリスマスには何をするかではなくて、誰とどこで過ごすかが大事なんだ」とか。或いはその逆だったかもしれない。逆だと意味はまったく違ってくる。10年前だったら、私はサノモトハルの放った発言をうろ覚えにしておくなんてことはあり得なかった。彼の答える一字一句を頭にインプットしていたような気がする。こんなふうにサノの言ったことをよく覚えていないなんて、それはファンとは言えない、なんて思っていた。しかし今はそれは違うということを知っている。表層的な部分ではある意味ファンでないかもしれないが、しかし世の中って、そんなふうにわりきって生きていくものじゃない。そんなふうにしか物事を捉えられないとこのあと何回クリスマスを体験するかわからないが、とてもじゃないけど50回以上は無理だろう。50回以上クリスマスを迎えていきたいなら、生きていくというのは、杓子定規では語れない、その意味が、どれほど身にしみてわかっているかに関わってくるだろう。
その友人と私は冬の早い日暮れを、ビルディングの良く磨かれた透明な窓から眺めた。
「最後に会ったのが10年以上前だから、次はいつ会うかわからないね」
そう言って私たちはまた笑った。よく笑って話をした日だった。
別に私たちはきのう食べたランチの話や、家族の悩みなどを話すわけではない。ありふれた日常のささいなことをメールしたりする間柄ではない。だからといって、本音を話していないわけではない。解り合ったりする関係というものは、何かを飲み込んで何かを尊重しあう、そういうものだと思う。その日、私たちはまた雑踏の中手を振って別れたけれど、私は彼がどんなクリスマスを過ごしたのか知らない。彼も私のクリスマスの様子は知らないし聞かない。それでいいと思う。私は彼に大事にしていたシングル・レコードをあげた。「クリスマス・タイム・イン・ブルー」という曲だ。私は彼が絶対にその曲を聴くだろうと思ったのだ。実際に聴いてはいないかもしれない。でも彼がそのレコードを持っている間、彼は何度かその曲を聴くだろう。それは私が保存しているよりも聴く回数は多いはずだと思った。だから私は彼に渡した。20世紀の最後のクリスマスが来る前に。元義母からのクリスマス・カードは、いつものように「私の分まで私の愛すべき孫にビッグ・キスとビッグ・ハグを!」という言葉で締めくくられていた。やさしい人だった。私が元オットのことで悩み苦しんでいるとき、自分の本当の息子の愚行を嫁の口から聞かされても、私を励まし続けてくれた人だった。その後も、幼い子供を抱え、仕事にあぶれ泣きながら筆をとる私を、常に勇気づけてくれてきた人だった。私はカードを手にしながら、やはり息子を連れて会いに行く、という気持ちは捨てないようにしようと思い直した。遅くなってしまったけれど、私もカードを書かなければ。
大事な人に「メリー・クリスマス」と言うために。