logo #12のブルース


オハイオ州のアクロン-キャントン空港に私はまたひとり降り立った。成田からデトロイトの国際空港まで13時間、さらにデトロイトからプロペラ機に乗り換えて1時間。ようやくアクロンに着いたとき、長旅の疲れと遠くに自分を迎えに来ている彼を目の端にとらえた安心感で、私は目頭が熱くなっていた。ここにはすでに数回、同じ方法で彼に会いに来ているけれど、一度としてリラックスして辿り着いたことはなかった。どんよりとした成田を飛び立った瞬間から、これからの彼と自分との将来や、今までの彼と自分との関係などをあれこれと考え反芻し、悶々としながら機内で過ごすのが常だった。しかしそれも、小さな空港で1本の赤いバラを持って私を待っている彼の笑顔を見ると、すべてのことがとるに足らないことに思え、何も考えずにここでまた数週間彼と一緒にいる喜びにひたろう、という気持ちになるのだった。

こうして私はいつも彼との短いデートを過ごした。世間ではこういう私たちのことを「遠恋」というそうだ。遠距離恋愛をしているカップルという意味で。どう呼ばれようと構わない。私は世間のことなんてどうだっていいのだ。私がいつも考えていることはただひとつ。もっと彼と一緒にいたい、ずっと彼と一緒にいたい。そのことしか頭にないのだから。恋に恋しているとか、近くにいないと本当のことはわからないとか、いろんなことを人は言う。私はそんなこともまたどうでもいいことだと思う。なぜ世間のひとはわからないのだろう、と不思議な気持ちになる。恋をする。そこになにかディテールは必要か?それになにかエッセンスは必要か?私がしているのは「恋」であって、打算に裏付けられたなにかではないし、人に語るための味のあるおいしいストーリーではないのだ。

私が東京に戻って数日後、いつも彼から手紙が届く。私を見送って家に戻り、急いで手紙をしたためてくれるのが、いつも私達が離れている間のやりとりのスタートであった。
その日も仕事から帰ると、彼からの手紙が届いていた。私は友人と部屋で焼き肉パーティをするつもりだったので、彼女に下準備を頼んで、封を開けた。今回は普段より少し厚みがあったので、
「ねえ、もう写真焼き増ししてくれたみたい」
と友人に明るく声をかけた。わあ、見たい、友人は笑った。ごはん食べる前に今見たい。友人は手を洗いながら私に近づいてきた。30枚ほどある写真をふたりで見た。写真は私が到着した日から出発するまで順繰りに揃えてあった。一枚一枚見ていくうち、いよいよ出発するという日の写真になった。私がゲートのところで、泣き笑いをしながら彼に手を振っている写真があった。
「あ、これ覚えてる」
少し恥ずかしかったのでそう言った。友人が無言で次の写真をめくると、私がプロペラ機に乗り込む後ろ姿があった。そして次の写真は、私がシートにすわって窓の外の彼を見ている写真だった。さらに次は、離陸するところで、そのあとは離陸したあと、そのあとははるか地上から数メートル浮いたところ、その次はもう少しアップしたところ、最後はそのプロペラ機が豆粒大の大きさになっている写真で締めくくられていた。写真の裏には「She is gone.....」と一言書かれていた。私はこんな写真を彼が撮っていたことを知らなかったので
「ねえ」
と友人に話しかけた。すると驚いたことに彼女は大粒の涙を流していた。
「どうしたの?」
不意を衝かれて私の声は震えた。
「彼、本当にあなたのこと好きなんだね。最後の最後までずっと見送って写真を撮っていたんだね。すごく彼の気持ちが透明で、胸をうたれたよ」
友人はそう言った。私もなんだか泣きたくなった。
「私もねえ、空港で別れるのって毎回嫌なんだよ。もし飛行機が落ちたらこれが最後かもしれない。もし私達が別れたらこれがラスト・シーンになるかもしれない。そんな哀しいことしか思いつかなくて、いつも涙が出てくるんだ」
ああ、そうか。友人はうなづいた。
「恋ってこういうものなのに、みんな普段こういう気持ちを忘れてる」

その翌年の終わりに、私と彼とは短くて長いふたりの関係に終止符を打った。彼は私を傷つけたり悲しませることはしないはずだったのに、私はいろんなことで充分心に打撃を受けた。しかし私もまた彼を幸せな気持ちにさせてあげることはできなかった。恋がいつか終わることはわかっていた。しかし人は恋をすると、すべての苦悩が幸福へ変わるような錯覚を起こす。私は永遠に彼と恋をするつもりでいたのだ。だから彼のいない自分の人生をなかなか受け入れられず、ぼおっとして虚ろな気持ちに陥ることもしばしばあった。
そんなとき、私は古いアルバムをひっぱりだして、彼が私を撮り続けたあの飛行機の写真を見た。あの数枚の写真のうち最後の豆粒大の写真が、とくに私を惹きつけた。彼が空港内のガラス越しに私の乗った飛行機を名残り惜しんでファインダーに収めた、その事実が私を満足させた。彼と本当の恋をした。その事実だけでよかった。あのとき、私は彼と離れたくないという涙を流し、彼も私を手放したくないという気持ちでシャッターを押した。ふたりは同じ気持ちで同じラインにたって泣いていたのだ。それはやはり今もって、恋とよぶのにふさわしい。
「ジュジュ、きみがいない」
彼はそんなふうにいつも手紙を書いてきた。私も彼もお互いが必要で、そばにいることができない相手を狂おしくさがしていた。手を伸ばし、手を握り、そして手を離した。世界の終わりはきっとこんなふうに突然やってきて、ふたりにしかわからないよしなし事を、思い出せたり、消え去ってしまったりするのだろう。そして私も彼も、それぞれ別の飛行機のタラップをのぼる。今度はもう階段を踏み外さないように、ゆっくりと。




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