logo #8のブルース


会議中に煙草を吸えなくなってから随分たつなあ。
私はそんなことをぼんやり考えていた。コの字型のミーティング・ルームでは、何年か前に新卒で入社してきた若い営業の男のコが、来月予定されているクライアントへの競合プレゼンテーションへの企画を、大きな声で私達に説明している。
この頃、こうやって会議中にぼんやりすることが多くなったように思う。それを悟られないようなポーズも以前に比べてぐんとうまくなったような気もする。
入社してもう13年もたてば、ピンチの切り抜け方も若い社員に教えてあげられるくらいになるし、手の抜き方だって誰かに聞かれればいつでもレクチャーできる。

13年前に。
13年前に入社するときは、まさか自分がこの会社に13年も勤務するとは考えてもいなかった。若い頃はとかく先のことは考えないものだけれど、この私が13年間も同じ職場に継続して勤務するような社会性があるとは思えなかった。最初は小さな音楽プロダクションに就職したが、自分には不向きだと悟り、バブル景気に湧き始めた広告業界に転職した。私は今でもこうやって会議中にぼんやりしてしまうくらいだから、若い頃はもっとぼんやりと生きていた。あの頃つきあっていた恋人にも、私には「社会性が」欠落しているとか、「夢の中で生きているような」女であるとか、そんな言葉でよく怒られたような気がする。

そういえば。
あの人に本気で平手打ちされたことがあった。その恋人は北海道出身の人で、当時彼は大学生だったけれど、自分の音楽活動がいきづまっていらいらしていた。私がいつものようにサノモトハルの話しをしていると突然鬼のような形相をして、私の頬を平手打ちした。私はそれまでの人生で誰かからこれほど強く頬を叩かれたことはなかったし、私にしてみればまったく晴天の霹靂であったので、最初は何が起こったのかさえわからなかった。
彼は本気で私を叩いたのだった。それは彼のもの哀しい表情が語っていた。憎しみと慈しみが交じり合って、憐れんでいるようなそして手をあげた自分の行為に後悔しているような、哀しい表情。私は頬を押さえた。自分の恋人に憎まれたり疎まれたりすることが耐えられなかった。一瞬でも私を憎んだら、私は彼とは一緒にはいられなかった。わずかでも私を疎ましいと思うのであれば、私は去らずにはいられなかった。私はふたりでいる空間に孤独を持ち込むこを恐れた。そして自分ではそれなりに気を配って恋人と一緒にいたのに、私はまったく気がつかなかった。彼が本気で私に手をあげる瞬間がやってくるのを。そんな瞬間がこれほど早く来ること私は頬を押さえて涙を流していた。痛かった。頬も心も。

今思えば。
もともと私がぼんやりしていて、知らず知らずのうちに彼を傷つけていたのかもしれないし、特別な理由なんかなく、ただ若かったふたりがお互い寄り添って歩いて行くことが単純にできなかっただけなのかもしれない。いずれにしたって遠い昔のことだ。あのあと恋人とどういうふうに別れたのか、平手打ちされた晩どうやって家に帰ったのか、細かいディテールは何ひとつ覚えていない。たぶん忘れたかったのかもしれない。気持ちが記憶をとどめることを拒否したのだと思う。それでも痛みだけは消せなかった。私は耳頬をゆっくり右手でさすってみる。そうすると何故だか今平手打ちをされたかのように、熱いひりひりした感触が蘇ってくる。

またうっかり頭がぼんやりモードにスイッチしていた。
ここでいけない、いけないと慌てるといかにも聞いていませんでしたという素振りになるので、配布されたプリントからゆっくり目をあげ、プレゼンの前準備について熱く語る若い営業マンに顔を向ける。本当は周囲が言うほど私はぼんやりと生きてきたわけではなかった。頭で考えることと口を開くと出てくる言葉が一致しなかっただけだ。何か自分にとって必要なものを遠い位置から手を伸ばしていただけだ。それはぼんやりしていることとは違う。なんと呼べば適切か。たとえばそれはイノセントだとか人は言う。




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