logo #4のブルース


Dear Y

お兄ちゃん、元気?こないだのDJパーティは、どうだった?いつもアナウンスしてくれるのに、行けなくてごめん。シングル・マムをやっているとなかなか夜遊びも出来なくてさ。皆はどう?元気にやっているの?メールのReply遅いって言っておいて。

うん。こちらは相変わらず。似合わないって言われているけど、まだ東京のはずれの外資のコンピュータ会社にいるよ。時々はそっちへ行って、幾つかの情報を確かめたり、音楽や文学と恋の話をしたいし、お兄ちゃんたちに教えてもらいたいこともいっぱいある。ねえ。私お兄たちと10年もあそこにいたでしょう?「すてきな奥さん」とか読んでる同年代の女のコたちと話が合わないよ。彼女たち、私が使う幾つかのワード、「ヒップ」だとか「クール」だとか、そういう単語をいちいち聞き返してきたりするの。流行の厚底ブーツはいて髪の毛染めてるくせに、まったくもってレアじゃないの。ああ私はここでも自分の居場所がないんだ、と思うよ。声高に自分の体験談話したりするくせに、何も知らないし、どんな音楽も聴いていないし、小説も読まない。うん、うん。わかってる。私は自分を見失ったりはしないから。

今だから言うけどさ、私年上の男の人たちと本音で話したりできたのは、お兄ちゃんたちが初めてだったんだよね。「生意気」だなんだと言われ続けて、誰も私の言葉に耳を貸そうとはしなかったけど、20代の初めに皆に「イモート」扱いされてすごく嬉しかったよ。まだ覚えてる。浜松町にあった当時のオフィスから、私とお兄の歓迎会に向かう道で、私はお兄とサノモトハルの話とお兄が手がけたアルバムの話をしながら歩いた。お兄は、スタカンのポール・ウェラーが着ているような白のトレンチを着ていた。そして次の日約束通り、12インチ・シングルを私にくれた。

皆で交代してお皿回すパーティもいつも楽しかった。誰かの家で自分の好きな音を競いあって自慢しているように、リラックスしながら踊ったね。お客さんが誰もいなくても、皆いつも酔っ払って音をつないだ。仕事中の昼休み、持ってきたアルバムを見せながら、今夜のスタイルを考えるのもよかった。ああ、私がお兄に売ったあのキーボード、どうしてる?あの部屋でおもむろに「Someday」弾きだしたNくん、今や立派な人気作家になっちゃったね。

私お兄たちに謝らなければいけないことがある。今日は、それを言いたくて。
5年前、私の門出を祝ってくれて、あの大騒ぎのパーティで最後にお兄たちが私にかけてくれたあの2曲。ヤノアキコの「中央線」とNくんも好きだった私にとっての大事な曲「Someday」。皆よりも年下で最後に結婚することになった私に贈ってくれたあの曲は、あの晩胸の奥まで響いて熱かった。これからいろんなことを忘れることがあっても、この日のことは忘れたくないと思った。そのまま私の大事な記憶には残ったけど、私は幸せにはなれなかった。お兄たちの前で湿っぽくなるのは嫌だし、過ぎたことは語りたくないから今まで詳しく話さなかったけど、苦しくて苦しくてやっと呼吸をしながら生きていたとき、私はあの晩のことを思った。ターンテーブルに音源を乗せなくても、私の耳の奥であの曲たちは鳴り続けていた。それはお兄たちによく「音楽なくても生きていける」などと嘘ぶいていた私に「それは違うよ。そういう人もいるけど、おまえは違うよ」と言ってくれたことを、初めて理解したんだと思う。お兄、ごめんね。皆の気持ちには応えられなかったけど、次はうまくやるよ。そしたらまたあの曲をかけて。

ねえ、また踊ってもいいでしょ?




Copyright Reserved
1999 Baby Julia / Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@t-online.de