logo #2のブルース


幼い頃から親友と呼べる友人がなかなか出来なかった私が、初めて心を開ける美しい顔をした女性と出逢ったのは16才の時だった。彼女と私は同じ血液型で、同じような環境に育ち、同じように未来に何かを夢見ていた。アルバイトのこと、進学のこと、ボーイフレンドのこと、どこにでもいるような高校のクラスメイトとして他愛のないことから真面目な悩みまで、時には長電話、時には海岸で、時には深夜のファミリーレストランで、語り合った。
その頃の私はFMラジオから流れてくる佐野元春というデビュー間もないアーティストに並々ならぬ関心を抱いていて、すでに彼のアルバムを購入し、彼女に彼の音楽に触れるよう熱心に薦めている状況だった。
彼女は私の熱意にほだされて、私が佐野元春の放つ何かを感じ取ったように、彼の音楽に触発されかけていた。
私たちは彼の音楽を通じて自分たちの置かれている状況を考えた。「自由」という言葉に自由を求めた。「Street」という単語に街を歩いた。16才だった。大人と呼べる程成熟しておらず、子供という程短絡的なわけではなかった。
あの頃確かに私たちはあそこにいた。どこにでもいるようなありふれた10代のふたりだった。制服を脱ぎ捨て東京中のコンサートホールを回った。大学生に混ざって学園祭にも顔を出した。開演のベルが鳴ると椅子から立ち上がり、今夜も両手で自分たちの確かなものを手に入れようと、ジャケットを脱いだ。

やがて私たちは同じ高校を卒業し、別々の大学へ進学した。短期大学の卒業まであと半年を残す頃、私は佐野元春のオフィシャル・ファンクラブのエディターとして青山のオフィスに通うことになった。すでに一流企業への就職が決まり、恋人との結婚への期待に胸をはずませていた彼女は手放しで喜んでくれ、私のことをいつも支援するサイドに回った。
私たちはそれぞれ何人か近しい友人も持ち、別々の人生を歩き始めていた。それでも私たちは時間を遣り繰りしながらコンサートホールへは足を伸ばし、今までと同じようにシャツの腕を捲くり、大きな声で一緒に歌った。アーティストに対し真摯なファンでありたかった。彼の放つ言葉、メロディー、行動に心のアンテナを張り詰めて彼を知ろうとする態度でありたかった。何かが私たちを駆り立てていた。それに向かって私たちは突き進んでいた。遠い昔のこと。でもそうであったとしか言えない。そこに嘘はまったくなかったから。
そして彼女は結婚し、子供を出産した。私は広告代理店に就職し忙しい毎日を送っていた。すでに私たちは知り合ってから10年たっており、つまらない大人になりたくないというフレーズを、あらゆる角度から検証できる年齢になっていた。もう以前ほど頻繁に会うことも少なくなってきた。お互いの日常に忙殺されていた。26才の秋。
彼女は突然逝った。

私には一体何が起こったのかわからなかった。友情は普遍的なものだと信じていた。
20代で親友が忽然といなくなる恐怖を想像したしたことがなかった。自分にこういう形で試練が舞い込むことも予想すらしなかった。どんなに泣き叫んでもただの1秒も過去に戻ることは出来なかった。ただあとたった10秒でも時計が逆に進んだら、私は彼女の声を聞くことができたかもしれない。それを求めて彼女と私が愛した佐野元春をターンテーブルに乗せた。何度も何度も。一晩中。赤ワインが身体中の涙と入れ替わるまで、何度も、何度も。
その後コンサートホールへ行く時は、彼女の写真をポケットにしのばせた。それを確認すると私は安心できた。しかし当然のことながらそこに彼女はいなかった。あの時は確かにあそこにいたのに。
それから私は今度は何かの呪縛から逃れるように、以前から愛聴していたジャズやソウルのナンバーを取り分け好んで聴くようになった。私の魂を癒してくれたのはビートの利いたアップテンポのナンバーでなく、グルーブのあるサキソフォンや甘い歌声のそれらだった。

たぶん、今なら私にはわかる。私の孤独感は誰からにも埋められなかったし、私の喪失感は何からかも慰めにはならなかった。では彼女が私にくれたものは何か。
真実。彼女がこの世に生きてきたことの真実。彼女が残していったものの真実。彼女を通して見えたことの真実。彼女がいなくなったことの真実。彼女のすべて。
彼女が逝ってしまってから来年で10年になる。それでも私はいまだに彼女を想って涙することが多々ある。それは決してセンチメンタルなことではないと思う。私が彼女の分も生きていくうえでの必要な気持ち、そんなふうに言ってみたい。それをブルースを呼ばせてもらえるなら。




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