離婚して幼い息子を抱え、このアパートメントに移ってきてからまだ紐といていない、夥しい数のアルバムの中に、その曲はある。
よくある小説風に言えば、その曲は私にとって青春、とか、あの時代、とかを感じさせてしまう郷愁、とか、夢、なんかだったりするけれど。
サノモトハルを知って20年近く、サノモトハルを聴かなくなって10年近く、気が付くと時は1999年世紀末になっていて、オフィスでY2K問題のミーティングに出席したりしていて、外は激しい雨なんか降っていて、ぼんやり保育園のお迎えのことを考えていたりして、10年働いていた広告代理店の友人から来たDJパーティのインビテーションmailのことを思い出し、現在の恋人が別れた夫について何か言っていたことが頭をよぎり、ゼブラのボールペンを指でくるくる回している日常。日常。
オフィス、息子、30代、不景気、週末のBBQパーティ、コンタクトレンズ、今日の昼メシ、ストレス…、そんなところ。
忘れてきたものと、捨ててきたもの。もう一度拾えるものと、取り返せないもの。
サノモトハルについて語りたい時と、忘れたい時。さて。
「ブルース」ってそう簡単に使ってはいけない言葉の1つだと思って生きてきたけれど、そろそろ私も「ブルース」を使える程の愛しさや悲しみを抱えて、戻ってくることが出来た。
戻ってきた?きっとその曲は私に向かって言うだろう。
おかえり、アンジェリーナ。まだ探しているの?
全然見つからないよ。だからすべてをスタートラインに戻してギアを。はじまりは、またいつもの日常から。