logo 残虐行為展覧会


  The Atrocity Exhibition (1970)
  邦訳: 残虐行為展覧会 工作舎(1980)


The Atrocity Exhibition 残虐行為展覧会 (1966) 訳:法水金太郎

医師であるトラヴィスの「傷」へのオブセッションが中心的なモチーフ。それを象徴するように現れる飛行服の爆撃機パイロットと傷で歪んだ顔の若い女。トラヴィスの妻、マーガレットはこう問いかける。「わたしの夫は医者、それとも患者なのですか?」。トラヴィスと女医キャサリン・オースティンとの情事。競合するオブセッションが開く人間の身体の損傷への密かな憧憬。訳の分からないまま識閾下に刷り込まれるイメージの神殿。

The University Of Death 死の大学 (1968) 訳:法水金太郎

ここでは長編「クラッシュ」のモチーフとなる交通事故の異なった評価が明らかに語られる。「自動車事故というのは破壊的というよりは豊穣な出来事――つまり性エネルギーの解放――というふうに意識下において捉えられているのかもしれないというんだ」。登場人物の関係には不明な部分も多いが、イメージの集積が指し示すメッセージは次第に明確になって行く。オブセッションを通してのみ描かれる人物像が僕たちの深層と呼応する。

The Assassination Weapon 暗殺凶器 (1966) 訳:法水金太郎

唐突に現れるクライン、コーマ、ヅィアロというなぞの人物たち。登場人物の一部は先の2作と共通するが、発表時期はこちらの方が先で、これらの作品相互の関係はよく分からない。あるいは少しずつディテールを変えて繰り返される悪夢のようなもの。コーマという女性の名前は文字通り昏睡を思わせ、これらのイメージが僕たちの無意識とつながっていることを示唆している。JFK暗殺への執着、飛行服を着た爆撃機パイロットの降臨。

You: Coma: Marilyn Monroe あなた、コーマ、マリリン・モンロー (1966) 訳:法水金太郎

タリスとカレン・ノヴォトニーという男女を中心に語られるミニマルなイメージの連続。砂丘の中の荒涼としたプラネタリウムでの出会い、白い壁のアパートでの性的な営み。ここで言及される、人間の身体の曲線と人工物の直線との暗号めいた婚姻は交通事故への傾倒の根底に横たわる。バラードの原風景として重要な砂丘のイメージも援用される。「彼女はすでに部屋の遠近法を混乱させつつあり、部屋を狂った時計へと変容させていた」。

Notes Towards A Mental Breakdown ある精神衰弱のための覚え書 (1967) 訳:法水金太郎

トラヴィス、タルボット、トラヴァート、これらはすべて人体の損傷、人体と鉱物との交錯が作り出す性的なイメージの別称なのだろう。ここではアポロ宇宙船のカプセルの中で死んだ3人の宇宙飛行士のエピソードもそれを上書きして行く。乱舞するヘリコプター、JFKの暗殺シーンの再現。執拗に繰り返される不吉で禍々しいシーンはまさに「ある精神衰弱のための覚え書」。ここにおいては登場人物も作家も読者すらも同じ場所にいるのだ。

The Great American Nude 巨大なアメリカのヌード (1968) 訳:法水金太郎

オブセッションの名はここではタルバート。「今やセックスはますます概念的な行為に、――愛情からも生理学からも切り離された知的作業に――なりつつあるんだから、性的倒錯の明らかな利点は覚えておく必要があるね」。あらゆる結合は互いに等価であり、性交は時間や空間と同列に並べられるべきという観念のオーバーシュート。児童ポルノの摘発に血道を上げているヤツらはバラード読んで頭の中かき混ぜた方がいいんじゃないか。

The Summer Cannibals 夏の人喰い人種たち (1969) 訳:法水金太郎

「彼」と「彼女」の物語として語られる交通事故のエロティシズム。概念的な行為としてのセックスという主題の反復。結合とか角度といったものに対する過剰とも思える言及。野外映画館の歪んだスクリーンに映し出されるブリジット・バルドーの巨大な映像。性交がもはや概念的な行為であるとすれば、我々の性欲はどんな回路を通って燃焼することになるのか。それこそが自動車のメタリックな部品とそれを扱う彼女の指先の関係なのだ。

Tolerances Of The Human Face 人間の顔の耐久性 (1969) 訳:法水金太郎

トラヴァーズという名のオブセッション。飛行服を着た不気味な男はここではヴォーンという名前を与えられていて、長編「クラッシュ」との符号が示唆されている。トラヴァーズが少年時代について書いた文章には、終戦直後の上海の様子が描かれていて、バラード自身の原風景がそのまま焼きつけられたようだ。マルコムXからバディ・ホリーまで不慮の死を遂げた有名人のリスト。ここで描かれるセックスはもはやセックスではないかも。

You And Me And The Continuum あなたとわたしと連続体 (1966) 訳:法水金太郎

無名戦士の墓への侵入未遂事件の容疑者であり、海辺でその死体が発見された「身元不明の空軍パイロット」が残した「致命的な遺留品」の痕跡の集積。ここでは既に最低限のプロットすら放棄され、僕たちは間接的な手がかりから語られない架空の物語を構成するような、作家とのインターコースを強いられる。それは言ってみれば想像上の読書体験とでもいうべきものだ。トップギアで脳細胞が活動している時でないと渡り合えないぞ。

Plan For The Assassination Of Jacqueline Kennedy ジャクリーン・ケネディ暗殺計画 (1966) 訳:法水金太郎

JFK暗殺を背景にした自動車をめぐる性的オブセッションの記録。「ザップリューダー・フレイム二三五を夢見ていて大統領の夫人の姿にタリスはますます心を奪われた。放棄された自動車行列の車の群れのような、彼女の顔の諸平面が、広場の完全な静寂と殺人の幾何学を彼女に伝達した」。もしかしたらこの作品はバラードにおける最も危険なポルノグラフィかもしれない。これに比べればネクロフィリアですらノーマルに思えてしまう。

Love And Napalm: Export U.S.A. 愛とナパーム弾/アメリカ輸出品 (1968) 訳:法水金太郎

拷問や処刑のフィルムが喚起する性衝動、ベトナム戦争が活性化する身体活動、そのモチーフは後の長編「コカイン・ナイト」などとも通底している。残虐行為のフィルムが精神の安定を欠く子供たちに顕著な効果を及ぼすというビジョンはちょっと「時計じかけのオレンジ」を思い出した。「いわゆる平和団体の大多数にとって、ヴェトナム戦争は、抑圧された極端な性的不適応症を覆い隠す役割を果たしている」。ここは笑うところだろう。

Crash! 衝突! (1969) 訳:法水金太郎

自動車事故の性的な誘惑。「自動車事故の犠牲者の近親者たちも、性行為と健康全般の総合的レヴェルにおいて同じような上昇を示した」とか「新車を購入した家庭における性交頻度の増加と軌を一にしている」とか「新車を購入した家庭におけるノイローゼの発生率もまた著しく低い」とか、モラル無視全開で飛ばしまくるバラード。「車の衝突が破壊的というよりは豊穣な体験であると見なされているのは明らかである」。知的な快感だ。

The Generations Of America アメリカの世代 (1968) 訳:法水金太郎

ロバート・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キング、ジョン・F・ケネディらをモチーフに、彼らの妻から始まる狙撃の連鎖。それをただ、「AはBを撃った。BがCを撃った。CはDを…」と列挙して行くだけの作品。そして冒頭に掲げられた「以下がアメリカの世代である」との宣言。もちろんこれは新約聖書「マタイによる福音書」冒頭のイエス・キリストの系図を模している訳である。狙撃によって継承されるアメリカの世代。ステキだ。

Why I Want To Fuck Ronald Reagan どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか (1968) 訳:法水金太郎

この作品が書かれたのは1968年で、そのときレーガンは大統領選候補者であったが、彼はその後1981年に大統領になり2期を務めた。この時期にバラードがレーガンの「メディア」としての卓越性を見抜いていたのは恐るべきことだし、その根拠を「肛門性」に求めたのは慧眼だと言うべきだろう。81年にレーガンが狙撃されたこと、晩年のレーガンがアルツハイマー病に冒されたことで、僕たちはバラードの見立ての確かさを改めて知った。

The Assassination Of John Fitzgerald Kennedy Considered As A Downhill Motor Race
  下り坂自動車レースとみなしたJ・F・ケネディの暗殺 (1966) 訳:法水金太郎

タイトル通り、JFKの暗殺を自動車レースに見立ててもっともらしい解説を加えるといった作品。アルフレッド・ジャリの「登り坂自動車レースとみなしたキリストの磔刑」を踏襲しているらしい。本書巻末でバラードと対談している松岡正剛によれば、ジャリは「スポーツの本質とセックスの本質と機械の本質とが同質のものであることを見抜いた」作家。本書と無関係に書かれた評論でこの表現を見つけたときはちょっとショックだった。



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