J.D.サリンジャー 全作品レビュー ここではアメリカの作家J.D.サリンジャーが生前に発表した作品のレビューを掲載する。サリンジャーとその作品については下の「コーナー開設時前書き」を参照してほしい。さらに詳しく知りたい場合は文春新書「翻訳夜話2 サリンジャー戦記(村上春樹・柴田元幸:著)」をお勧めする。 サリンジャーが生前に刊行を許したのは以下に示す通りわずか4冊に過ぎない。代表作とされる長編「ライ麦畑でつかまえて」の他、短編集である「ナイン・ストーリーズ」、そして中編を合わせた「フラニーとゾーイー」「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア−序章−」。これらは比較的容易に手に入れることができる。 実際にはこれら以外にも第二次世界大戦以前から雑誌に発表された短編、中編が相当数ある。これらは本国では出版が許されていないのだが、我が国ではどういう版権のマジックか、こうした短編もまた短編集として刊行されていたりする。以下には直近に刊行された短編集を示しているが、そこに含まれていないその他の初期短編も過去には翻訳が出版されており、探せば読むことはできるだろう。 人がいかに生き、いかに傷つき、いかに損なわれ、しかしそれでもなおいかに生きたか、そのよすがとはなにか。その答えは全部サリンジャーが書き遺している。(2023.6) コーナー開設時前書き 2009年10月J.D.サリンジャー(ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー)は決して「同時代の」とは言い難い作家である。おそらくはこれを書いている2009年10月の時点では存命のはずで(下記囲み記事参照)、そうであれば90歳になっている勘定になるのだが、彼が最後に自作を発表したのは1965年6月のことであり、それ以降は自宅に閉じこもったきり作品を発表することはおろか、人前に姿を現すことさえないという極端な隠遁生活を送っているのだそうだ。 したがってここでレビューするすべての彼の作品は、1940年から1965年までの25年の間(「最新作」の『Hapworth 16, 1924』を除けば1959年までの約20年の間)に書かれたものであり、僕が1965年10月に生まれたときには、今日読むことのできるサリンジャーのすべての作品は既に世の中に産み落とされていた訳である。サリンジャーの経歴については文春新書「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(村上春樹・柴田元幸)に掲載された村上春樹による解説に詳しいのでそちらに譲るが、何にしてもちょっと風変わりで気むずかしい人であることは間違いがないようだ。 おそらくそれは彼の強すぎる感受性と戦争(第二次世界大戦)で受けた深い心の傷によるものではないかと思われるのだが、そのことをここで論じる気はない。僕たちに与えられたのは彼がこれまでに公にした長短36編の小説であり、僕はそれをひとつひとつ読んでは、なるだけ素朴な感想を書きたいと思っているだけだ。なぜなら、彼の作品にはある種の真実、ある種の無垢さへの灼けるような(そして決して成就することのない)強い憧れがあり、またその裏返しとしてそうしたものが損なわれることへのほとんど病的なまでの恐怖、怒り、軽蔑、諦め、哀しみ、そして絶望といったくっきりとした感情があり、それらは半世紀以上を隔てても変わることのない重要な価値を持ち続けているからだ。 サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』の作者として知られている。もちろん『ライ麦畑』は彼の代表作であり、彼の文学的傾向の大きな部分がそこに表れている訳だが、それ以外の作品、つまり「グラス家もの」と呼ばれる一連の作品や、それに先立つ短編小説群もまた、僕たちの中に沈殿してふだんは姿を現すことのない感情や意識を直接ビートする力に満ちた作品である。初期の短編の中には習作と言わざるを得ないものも当然混在してはいるが、そうした作品が次第にある一点に向けて収束し、その結果としていくつかの優れた作品において明確な像を結ぶさま(そしてそれが次第にまた拡散に向かおうとするさま)はスリリングであり、そのプロセス自体を僕は読んでみたいと思う訳だ。 尚、サリンジャーの初期短編は現在本国のアメリカでは手に入らない。それらは1940年代に雑誌に発表された後、アンソロジーなどにまとめられることもなくそのままにされている。今日、サリンジャーの作品として公に発刊されているのは、短編の中でも比較的後期(といっても1940年代終わりから1950年代初めにかけて、だが)に書かれ後に短編集『ナイン・ストーリーズ』に収録されたた9編と『ライ麦畑』、そして4編の「グラス家もの」(『フラニーとゾーイー』と『大工よ、屋根の梁を高く上げよ / シーモア―序章―』に収録)のみである。「グラス家もの」の中で最後に発表された『Hapworth 16, 1924』もまた雑誌に掲載されたまま、単行本としては刊行されない状態になっている。 ところが、幸いなことにというべきか、ここ日本では事情が異なる。我が国では荒地出版社という会社から「サリンジャー選集」という5巻組の選集が出ている。このうち第2巻と第3巻が初期短編集、別巻となっている第5巻が『Hapworth 16, 1924』となっており、これらと上述の単行本を合わせればサリンジャーがこれまでに発表した作品のすべてを読むことができる。このことは僕も今回サリンジャー作品の全編読破を企てるまで知らなかった。初期短編をいわば封印しているのはサリンジャー自身の意思によるものであり、本国でそのように扱われている作品が、この極東の国で、しかも日本語訳で読めるというのは奇妙な話ではあるのだが、いずれにしてもこのレビューでは初期短編についてこの「選集」を有り難く底本とした。 2009年10月 サリンジャー死亡時コメント 2010年1月2010年1月27日、サリンジャーが91歳で亡くなった。老衰だと言われる。僕は会社に向かう電車の中で携帯電話からツイッターを覗いているときに訃報を知ったが、もう一方の手に握られていたのは実に「フラニーとゾーイー」の文庫本であった。このサイトで作品のレビューをちょうど進めていたことも合わせ、奇妙な縁を感じる。 彼にとって少年期のイノセンスは、成長とともにタフな現実認識へと昇華されるべきものではなく、あくまで真空パックのようにフレッシュなままそこになければならないものであり、それゆえ、彼自身が社会から遠ざかり、住居の周りに壁を巡らすしか方法はなかった。 一説によればサリンジャーは隠遁生活に入ってからも小説を書き続けており、少なくとも2編が完成して自宅に金庫に保管されているとか、もっとたくさんあるはずだとか、都市伝説にも近いような情報が取り沙汰されている。だが、僕は、生前のサリンジャーが公表を望まなかったものであれば、敢えて人前に持ち出す必要もないように思う。 公刊された最後の数編の作品を見れば、その後の作品がかなり難解かつ独特のものになるであろうことは容易に想像され、もはやそれが「読者」を措定して書かれたものかどうかも疑問だ。それよりはむしろ、生前に発表された作品をきちんとした形で総括することの方が必要ではないだろうか(日本では必要ないかもしれないが)。 1965年を最後に作品を発表していなかった作家とはいえ、その死は残念だ。冥福を祈る。
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