logo 僕はいつでもペプシ・コーラなんだ


佐野元春は知的なアーティストだ。いつもジェントルな姿勢を崩さず、質問には実に論理的に、的確に答える。だが、それにもかかわらず、人はこのアーティストの知的なインターフェイスの奥にに隠されたある種の「危うさ」のようなものに気づかずにはいられない。そしてアーティスト佐野元春の本質はまさにその「危うさ」の中にこそある。

佐野元春のインタビューから多くを読みとろうとすることは、だから危険な試みだ。そこで語られていることのほとんどは、たまたまその時の佐野元春がそう考えていたという記録のようなものに過ぎない。気まぐれ、思いつき(あるいは思いこみ)、レトリック、脚色、サービス(あるいは意地悪)、そして嘘。佐野元春のインタビューを読み説くということは、そこに幾重にも張り巡らされたそれらのトラップそのものを楽しむということであり、そのテキストから何かの首尾一貫した「答え」を得ようとするものであってはならないと思う。

もちろん、それは佐野元春がインタビューに誠実に答えていないということを意味しない。なぜならそうしたトラップの大部分に対して佐野元春自身は無自覚だからであり、その天真爛漫なアーティスト気質そのものが佐野元春の「危うさ」の本質に違いないからだ。知的に、論理的に、的確に語りながらも次の瞬間には平気で逆のことをしゃべっていそうな怖さ、同じ質問に対してまったく別の答えをしながらそのどちらをも佐野元春の発言として流通させてしまう説得力、佐野元春にインタビューを試みる者は、そんな「誠実な怪物」を相手にしているということを常に肝に銘じておく必要がある。

さて、ここに用意したのは、僕がそんな佐野元春像を想定しながら勝手に作り上げた「佐野元春架空インタビュー」である。時に考えこみ、時に手振りをまじえながら、あくまでジェントルに語る(もちろんその奥には例の「危うさ」を宿しながら)佐野元春の様子を想像しながら楽しんでもらえると嬉しい。もちろんインタビュアーは僕を想定している。(2000.12.26)





■ 佐野元春架空インタビュー 「僕はいつもペプシ・コーラなんだ」


●ロックンロールにはティーンエイジ・ミュージックとしての本質があると同時に、アーティストもリスナーも年をとるという宿命を負っています。「ロックと成熟」というテーマについてどう考えていますか。

「その問題はどのアーティストもどこかで向かい合う重要なテーマだと思う。例えばヴァン・モリソン。彼はその問題にぶち当たったときにシーンから完全に姿を消した。2年間田舎にこもって、そこから彼が出してきたのは、故郷であるアイルランドの風土に深く根ざした音楽だった。自分の成熟と向かい合うことで彼の中から出てきたのは、彼が幼い頃から親しんできたアイルランドの風土であり空気だったんだ。
でも僕たち日本のアーティストはそういうときにどこに戻ればいいんだろう。歌舞伎や雅楽みたいな伝統芸能だろうか。いや、違う。ザ・ピーナッツのような歌謡曲だろうか。それも違う。その時僕が考えたのは僕が多感な十代の頃に聴いた70年代のロック音楽だった」

●「THE BARN」ですね。あのアルバムは作品として非常にクォリティの高い名作だと思いますが、ティーンエイジ・ミュージックとしてのロックンロールを考えたときに、それとどう関わってくるのかよく見えなかったような気がします。

「あのアルバムは僕がいずれはやらなければならなかった音楽だと思うな。当時、街にはニルヴァーナ病が蔓延していた。みんなこんなふうにギターをぶら下げて、音を歪ませてジャーンとやっている。ニルヴァーナだらけだ。街中がニルヴァーナ病にかかったみたいだった。その前にはセックス・ピストルズ病というのもあったけれども、ともかく、そんな感じだった。僕はそれを見て、弟たち、君たちはまだそれしか知らないのかもしれないけど、ロックというのはもっと他にもあるんだぜ、ギターを歪ませてジャーンとやる、それだけがロックじゃないということ、そのことをお兄さんが見せてあげよう、そんな気持ちで作ったのがあの『THE BARN』というアルバムだった」

●つまり「THE BARN」を作ることこそが佐野さんにとってのロックンロールだったということですか。

「うん。まさにそうだね。中指を立てて『Fuck You!』、それも確かにロックンロールだけどそれだけじゃない。ティーンエイジャーのいらだちに寄り添うことだけがロックンロールじゃないんだ。
もう一ついうならば、僕は別にレイドバックしたアルバムを作ろうと思ってあのアルバムをレコーディングした訳ではない。僕にとってあれは佐野元春のロックンロールなんだ。ただ、多くの人、特に、ザ・バンドだとかあの頃のバンドのことを知っている人たちは、あのアルバムから当時の音楽の匂いを強く感じ取ってしまったみたいだ。それだけあのサウンドには強烈なものがあるのかもしれないね。その辺は確かにちょっと誤算だった」

●ロックとコマーシャリズムという点についてはどうでしょうか。ロックンロールはポップ・ミュージックとしてコマーシャリズムというモメントを内包していると思いますが、アーティスト佐野元春としてコマーシャリズムとはどう折り合いをつけるべきだと考えていますか。

「それは、凌駕する、ということだね。確かにロックンロールは商業音楽なんだけれども、アーティストがコマーシャリズムに迎合する訳には行かない。僕は自分の作りたいものを作る。ただ、それがコマーシャリズムを凌駕して行くことをいつも祈っている」

●コマーシャリズムに迎合するのではなく、それを凌駕する、と。

「そういうことだ」

●例えば桑田(佳祐)さんなんかは洋楽をベースにしていても、そこに必ず大衆性というか通俗性のようなものがありますね。桑田さんは桑田バンドをやったときにサザンを解散するという選択肢を持っていたけれど、そこから敢えてサザンに戻った、そのときに大衆に向かって音楽をやるということについて何か決意のようなものがあったのではないかと思います。

「そうだと思う。それは彼の作家性というか、ソングライターとしての資質の問題なのかもしれないし、それを意識してやっているのなら天才だと思う。彼が一度レコーディング・スタジオで僕に『佐野君はジョン・サイモンと一緒にやれていいなあ』って言うんだ。だから僕は『なんだ、桑田、君は自分のやりたい音楽をやってないのか』と言ってやった。でも彼の音楽は確かにポップ・ミュージックとして成功しているし、それは素晴らしいことだと思う。僕はそうは行かない。僕はいつだってペプシ・コーラなんだ(笑)」

●「SOMEDAY」で商業的な成功を得た後、佐野さんのスタイルを模倣したアーティストがたくさん出てきましたね。佐野さんはそれをどうご覧になっていましたか。

「ロック・ミュージックというのは模倣の歴史だからね」

●でも、その中にはかなり粗悪なものも含まれていたにもかかわらず、そのことをきちんと指摘した人はいませんでしたね。佐野さん自身はアーティストだからそれをどうこう言う立場にはないのかもしれないけれど、当時のロック・ジャーナリズムというものに対してはどんなふうに感じていましたか。

「うん、まあ、今の日本のロック・ジャーナリズムというのは、作品に対する批評というよりは、雑誌なんかでCDを『紹介』する、それが大部分だから。そういう商業ジャーナリズムより、例えばウェブのファン・サイトみたいな、自発的な批評に期待しているんだ」

●アーティスト佐野元春にとって、「SOMEDAY」というのはどういう曲でしょうか。

「みんながあの曲をやって欲しいと思うのなら、僕はそれを引き受けて歌おうと思う。ファンとの約束、アーティストは時としてそれが重たくなることもある。もうそれは自分としては通り過ぎたことだ、次へ行かせて欲しい、そんなふうに思うこともある。実際、ハートランドを解散したときに、昔の曲を歌うのは一切終わりにしようと思ったこともあった。でも、僕の作った『SOMEDAY』という曲をたくさんの人が大切にしてくれている、それは素晴らしい事実だ。そういう人たちがいて、佐野さん、『SOMEDAY』歌ってよ、というなら僕はそれを引き受けて歌うべきだと思う」

●でも、ファンの中にも、「SOMEDAY」がなければ佐野じゃないという人と、「SOMEDAY」はもういいよ、という人がいると思います。

「それは勝負だね、アーティストとしての。歌うからには懐メロではない、今の、2000年の『SOMEDAY』としてやらなければならないし、それはアーティストとしての僕の力量の問題だ。その日のライブの中で、いかに『SOMEDAY』を必然性のある曲として演奏できるか、そこに至る流れを組み立てて盛り上げて行けるか、それは勝負だし、アーティストとしての僕の責任でもある。
でも、『SOMEDAY』というのは不思議な曲だと思う。あのシングルは80位台までしか上がらなかった。今でこそ代表曲だ、名曲だと言われるけれど、決して大ヒットした訳じゃない。『ガラスのジェネレーション』だってそうだ。100位にも入らなかった。『アンジェリーナ』? ハナも引っかけてもらえなかった。それなのに『21世紀に残したい名曲』なんかじゃ『SOMEDAY』がベストテンに入ってくる。どういう聞かれ方をしているのか、僕にとってはとても不思議な曲だ」

●それは、「広く」ではなく「深く」届いたということではないでしょうか。

「そうだね。そうかもしれない」

●では、「約束の橋」というのはどういう曲でしょうか。

「あれは『瓢箪から駒』だね」

●「瓢箪から駒」…。

「そう、アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』を作ったとき、僕はレコード会社にすべての曲を渡してこう言ったんだ、『シングルをどれにするかはすべてお任せします。いちばんいいと思う曲をシングルカットして下さい』ってね。で、彼らは『約束の橋』を選んだんだけれども、それは結局27位までしか上がらなかった。
ところが4年たって、テレビの主題歌になって再リリースしたら2位。なんだ、結局、曲のできなんて関係ないんだと思ってちょっとがっかりしたのを覚えてる。悪い曲じゃないし、特に詞は今でもとてもよくできたと思っているけど、『瓢箪から駒』、僕にとってはまさにそういう曲」

●でも、そのおかげで底辺が広がったということもあったのではないですか。

「そうだろうか。僕はそれには懐疑的だ。確かにCDは売れたかもしれない。でもそれは、ま、いわば『流行語大賞』みたいなもので、みんなCDというブツは買ってくれたかもしれないけどそれきりだ。音楽が受け入れられたということじゃないと思う。僕は、底辺というのは、例えばインターネットのサイトを見た十代や二十代の新しいファンがひとり、ふたり、ぽつぽつとメールをくれたりする、そんなふうに広がって行くもんなんじゃないかと思っている」

●インターネットでアルバムを直販したりしておられましたよね。インターネットというのはまだ決して万人に開かれた訳ではない、ある意味で特権的なメディアだと思うのですが、それを敢えてツールとして使ったのはなぜですか。

「それは、アーティストとしての自衛手段だと思って欲しい。僕は今はまだエピックというメジャーレーベルの所属アーティストとして作品を発表しているけれど、そういう後ろ盾なしに自分の作品をみんなに届けて行こうと思ったら、やはりインターネットだということになると思う。そういうチャンネルをきちんと整備しておこうと思ったんだ。でも、インターネットでどういうことができるかということはだいたい分かった」

●「GRASS」のことになりますが、アルバム・タイトルの意味を聞かせて下さい。

「このアルバムは、僕のコアなファンだけでなく、佐野の名前しか聞いたことのない人たちや、一時期は僕の音楽を聴いていたけど今はもう聞かなくなってしまった人たち、そんな人たちにも届けたいと思った。草の根、グラス・ルーツ、というのがタイトルの由来だ。
もう一つは、グラスマン、というキャラクターがいるんだけど、彼はいつも『マヒ』してフラフラしている、それが、このアルバムのキャラクターなんだ。それはこのアルバムの、ちょっとサイケデリックなところと通じている。最初は草男って呼んでたんだけども、それじゃあちょっと、ってことになって、グラスマン、『GRASS』になったんだ」

●確かにこのアルバムには中期ビートルズ的な、サイケデリックな曲が多く収められていますね。「君が訪れる日」、「君を失いそうさ」、そしてストリングスの入ったライブの「サンチャイルドは僕の友達」。特に「サンチャイルド」はストリングスを入れることでまったく新しいイメージの曲になりましたね。「ストロベリー・フィールズ」や「サージェント・ペパーズ」の頃のビートルズのフレイバーを感じました。

「あるいは『I Am The Walrus』とかね。当時のビートルズの特徴は、西洋の12音階の間を滑らかにつなぐアジア的な音階だったと思う。当時ビートルズはインドで新興宗教に引っかかったりとかした訳だけれども、その結果あの『ビヨーン』といった連続的な音階の上昇をうまくポップ・ミュージックに取り入れることに成功した。それが実はあの頃のビートルズのいちばんの特徴であり功績じゃないかと思っている」

●ジョージ・ハリスンみたいにインドそのものの曲もありましたが、でも、ジョン・レノンの「I'm Only Sleepin'」とか、それをうまく消化した曲もありましたね。

「そう」

●ビートルズの影響ということで言えば、佐野さんはこれまでその影響をあからさまに曲に出すということを避けてきましたね。初期には『Wonderland』という曲もありましたが、あれはシングルのB面だしコマーシャル・ソングだからまあ、いわば例外ですよね。

「そうだね。あれは唯一CD化していない曲だしね」

●ところがアルバム「Stones and Eggs」では「君を失いそうさ」という、かなりはっきりとビートルズの影響の分かる曲を出してきた。ここへきてこれを出した意図というか、何か理由があるのでしょうか。

「かつて、ビートルズの影響を出すとどうしてもそこにはパロディ的な要素が入りこんだりとか、肩に力が入ったりということがあった。でも、今、どうだい、ビートルズはもはや『古典』だ。古今和歌集とか、そんなのと同じように。それに若いバンドがそうと知らずにビートルズと同じことをやっていたりする。時代は変わるんだ」

●今年は20周年ということでいろんなリリースがあった訳ですが、今年こそオリジナル・アルバムをリリースするべきだったのではないかという声もあります。

「正直に言って、今年はその時間がなかった。20周年というのは一度しか巡ってこないものだし、この機会にこれまでの活動をまとめておきたいという強い気持ちがあって、今年はいろんなベストだとか、ビデオ、12インチ・シングルのアンソロジー、そしてスポークン・ワーズ、そういうので大忙しだったんだ。次の機会を待ってると30周年、10年後になっちゃうからね(笑)」

●そういえば12インチ・シングルのアンソロジーには「月と専制君主」のクラブ・ミックスが入っていませんね。

「そうだったかな…。うん、確かに、全部収録した訳じゃないというのは覚えてるんだけど…」

●この12インチ・シングルのアンソロジーを、CDではなくアナログでリリースしたのはなぜですか。

「それはレコード会社の問題もあって。つまり、これをCDでリリースするなら、ウェブ・サイトでの通信販売ではなくて、公式にリリースして下さいと、そういう要請がレコード会社側からあった。だからアナログで出すことにしたんだけれども、考えてみれば12インチ・シングルというのはまさにアナログ、ターン・テーブルのカルチャーから出てきたものだから、結果としてはそれもよかったんじゃないかと思う」

●次のアルバムはどんなものになりますか。

「今まで僕はいつも直球で勝負して来たんだけれども、肩に力が入りすぎてうまくストライクが入らないことがあった。で、いろいろ考えたんだけれども、そうか、直球でダメなら変化球を投げればいいんだ、ということが分かった(笑)。だから次は変化球を投げる(笑)」

●(笑)。ところで、僕のサイトに書いてあることを見て、「Silverboy、これは違ってるよ」ということはありますか。

「もちろんある。でも作品は発表した瞬間からリスナーのものだから、好きなように書いてもらっていい」

●ありがとうございます。そうします。

「楽しかった。どうもありがとう」



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