logo 2003/11/15 In motion 2003 「増幅」 鎌倉芸術館


前回のサックスに代わりバイオリンの金子飛鳥をフィーチャーした「In Motion」の2年ぶりの公演は、前回と同じく「ポップチルドレン」で始まった。2001年にはまだドイツにいた僕にとっては初めてのスポークン・ワーズのライブだ。サブ・タイトルは「増幅」。

今回披露された曲は、井上鑑のピアノ・インプロビゼーションを別にすればおそらく10曲(配布されたパンフレットによれば)。これまで発表されたオリジナル・アルバムの中からの曲は冒頭の「ポップチルドレン」と「廃墟の街」だけで、残りの大半は散文詩「エーテルのための序章」からのテキストだった。前回「ふたりの理由」や「ブルーの見解」といった既発表アルバムからの曲や「Sleep」、「リアルな現実 本気の現実」あるいは「Dovanna」といった『エレクトリック・ガーデン』からの曲などが多く披露されていたのに比べると、今回はよりオリジナルなテキストでこの公演のために練り上げられた曲が中心的な位置を占めている印象を受けた。

しかし、「エーテルのための序章」は決してハッピーなテキストではない。それはむしろ、佐野の中に澱のようにたまったネガティブな感情が吐き出された禍々しい言葉の洪水だ。演奏もそうしたテキストに呼応して、高い緊張感を孕んだものだった。リズムは張りつめたビートを刻み、バイオリンが切り裂くように甲高い音色を奏でる。テンションは高まり続け、僕たちは思わず息をするのも忘れそうになるくらい、激しいストレスの中に引きずりこまれる。そのテンションが極限まで高まった後、最後にそれは一気に解放されて終わる訳だが、聴き手としては激しい神経的消耗を強いられるのだ。

それは我々がふだん聴いているロックンロールのテンションとはまた別種のものだ。ビートと言葉の幸福な婚姻が志向されるロックンロールとは異なり、ここではビートと言葉が拮抗し、互いに激しく異化しあい、その結果僕たちの脳裏には言葉の描き出すイメージが増幅されて投影される。そうしたスポークン・ワーズの特性は今回のライブでより純化された形で提示されていたと思う。もちろんその分、僕たちオーディエンス自身も、佐野が身を切るようにしてたたきつけてくるひとつひとつの言葉にどう対峙するかという厳しい問いかけを受け止めなければならない訳で、ライブが終わる頃には僕はぐったりと疲れてしまった。もちろんそれは快い疲れではあった訳だけど。

一つ気になったのは、今回のライブの演奏が僕の予想以上にかっちりと練り上げられたものだったことだ。僕としてはもっと即興的な、スポンテイニアスな演奏が、佐野の言葉に触発されて、変幻自在に転げ回るようなものを想像していたのだが、演奏は曲ごとにきちんと組み立てられ、かなりポップミュージックの文脈で解釈が可能なフォーマットに仕上げられていたと思う。もちろんインプロビゼーション的な部分もないではなかったが、通算3公演ということを考えても、ぶつかり合いの中から思いがけないハプニングを期待するというよりは、綿密に用意された演奏と佐野の言葉との関係を楽しむといった色合いの濃いライブだった。僕としてはもう少し音楽と言葉の「切り結び」とか「渡り合い」を見たかったような気がする。

とはいえ総じて非常にスリリングな公演であったことは間違いがない。また、ミュージシャンの顔ぶれを見れば言わずもがなのことではあるが、演奏が素晴らしかったことにも触れておかなければならないだろう。特に山木秀夫のドラムは秀逸。ふだんCDのスリーブでしか名前を目にすることのない山木、金子、美久月千晴、そして井上といった日本を代表するミュージシャンの生演奏を聴けるのはそれだけでも贅沢で幸福な体験だ。メインストリームの活動とこうした「課外活動」を自由に往復し、それぞれの水脈から違う味の水を飲み干しながら、佐野の音楽は全体に少しずつ豊かに、大きくなって行くのだと僕は思っているし、そのような試みとしてのスポークン・ワーズのライブにはこれからも期待したい。



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