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SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい?

1月12日、首都圏は2度めの大雪に見舞われた。

オフィスの窓から外を眺めると、雪が風に吹き上げられてゆるやかに渦を巻いているのがわかる。僕がいるオフィスは11階。下の世界はどんどん、白い色で覆われていく。僕の頭の中を、2日前に相模大野で聴いた「マナサス」が流れだした。何故かは解らない。でも、こんなふうに世界が白く染まった日にこの曲が似つかわしい気がしたんだ。間奏のギターソロが頭の中で延々とループし始める。仕事は止めだ。奴らに会いに行こう。チケットは持っていないけど、空いている席を探して潜り込もう。僕は帰路と反対方向の電車に飛び乗って市川に向かった。

電車が遅れに遅れたうえ、駅から会場へと続くタイル張りの歩道には雪がうっすらと積もり、溶けかかったシャーベットのように滑らかで危なくてダッシュもできない。開演予定時刻はもう過ぎている。でも君も知っている通り、僕はそういう時に逆に意地になるタチだ。こうなったら何が何でも「マナサス」を生で聴かずにおくものか。幸いなことにチケットも何とか入手できて、予定時刻を17〜8分過ぎたところでロビーに到達。客席のドアをあけると1曲めがちょうど終わるところだった。‥‥ということはきょうも開演が遅れたのか。いや、電車の遅れを見越してわざと遅らせたのかも知れない。

この市川のライブは素晴らしいものだった。「マナサス」も、それ以外の曲も。今までの3回のライブのなかでイチバンといってもいい。雪という障害が逆に、バンドにも観客にもすっかり火をつけてしまったのかもしれない。Silverboy、君にもぜひ見せたかったよ。

このメールをホームページで公開する時にはひとつ注意書きを付け加えてほしい。これから書く曲のことは、本当はもっともっとライブでたくさん聴いてから書こうと思っていたんだ。しかしこの日の演奏は本当に素晴らしくて、どうしても君に伝えずにはいられないから、早すぎるのを承知で書こうと思う。だからもし君のページの読者で、ショートケーキの苺を最後の最後までとっておくような性格の人がいたら、そんな人は今回のレポートは読まないようにしておいて欲しいんだ。ツアーはまだ、始まったばかりだからね。

「誰も気にしちゃいない」

最近ある雑誌に載った佐野元春のインタビューによると、この曲は最初、12番まであったのだそうだ。それを制作の過程でHKBのメンバーにひとつひとつ唄ってきかせ、全員でミーティングをして不要な部分を削り、6番まで絞り込んだらしい。不要というのは"言葉は不要"の意、つまり"そこの部分は演奏が表現しているから言葉は要らない"ということだと佐野は言っていた。そしてそれは即ち、この曲におけるHKBの演奏が、佐野が言いたかったことの半分を担うほど雄弁だということを意味する。僕らオーディエンスが本当に佐野が言いたかったことを理解しようとするならば、彼らの演奏から残りの半分を聴き出す必要があるということになる。

ライブにおけるこの曲のアレンジは基本的にはアルバムどおりだが、実は1ヵ所決定的に違っているところがある。キーが上げられているんだ。横須賀で初めて聴いた時、僕は佐野が最近一部のファンの間で懸念されている"声が出ていないのではないか"という声を払拭しようとしてわざとハイトーンに挑戦しているのかと思った。でも2回、3回とライブで聴くうち、そうじゃないと気付いた。キーを上げることが、バンド6人6様の表現の仕方をくっきりと浮かびあがらせる効果をもたらし、アルバムバージョンよりこの曲をはっきりと、真に迫ったモノにしているんだ。喩えるなら、アルバムバージョンの方は"苦い薬がオブラートにくるまって飲みやすくなっている"状態、ライブバージョンは"むき出しの苦い薬のまま与えられる"状態とでも言えばいいだろうか。

佐野のヴォーカルはキーが上がることによって必然的に緊張感を増し、その結果としてアルバムの独りごとをつぶやくような表現から、僕らの目の前に問題意識を鷲掴みにして突きつけてみせるような毅然とした表現へと変化している。佐橋は、キーが上がったことで柔らかい中にも意思力のあるスチールを自然な形で曲の中に組み込むことに成功している。その佐橋のギターにぴったり寄り添って全体の流れをつくるのが西本のハモンド。KYONのピアノは珍しくやや控えめだが、ここぞという時には脇からバーン、と出てきて全体にメリハリを与えている。

そして特筆すべきはリズムセクションだ。この曲における小田原のドラムは強い。一見この曲調に不釣り合いに感じられるほど、めちゃくちゃ強くて激しい。だが、その激しさがこの曲の輪郭をより強いものにし、余計な装飾をとっぱらって曲の本質を浮き上がらせる効果を放っているように僕は思う。それと対照的に、スツールに腰かけ、上半身を左右に大きく揺らしながら弾く井上のベースはめちゃくちゃ優しいんだ。曲調からいったらウッドベースを持ってきそうな曲なのに("FRUITS"だったら九分九厘そうなっていただろう)、彼はこの曲で明らかに意図的にフレットレス・ベースを使っている。誰の発案なのかは解らないがこの選択は成功だと思う。フレットレスの柔らかい音色が、小田原のつくった頑丈な輪郭の中を隙間なく埋め、メロディー楽器と佐野のヴォーカルがはっきりとした感情表現をするための土台をつくっているように僕には感じられる。

この曲のサビの言葉は「せつない、ただせつない」で止められている。そして、その向こうにあるものは自分たちで見つけなければならない。HKBの演奏から僕に何が見えたか。僕に見えたのは「前に向かおうとする力」。

かつて佐野がAct Against Aidsをプロデュースした時「僕らは現在に生きている以上、この厄介な病気とどうにかこうにか折り合いをつけてやっていかなくちゃいけないんだ」というようなコメントを出したのを聞いて、すごいなと思ったことがある。厄介な病気と闘うとか、それを撲滅するとかじゃなくて、折り合いをつけてやっていくというところが凄いと思ったんだ。今は90年代。闘ったり糾弾したりするだけでは問題は解決しない。ましてや嘆いているだけでは何にも起こらない。不毛な世界だけど、それでも僕らは毎日を生きなくちゃならないんだ。佐野が「せつない、ただせつない」と唄うたび、僕にはその向こうに「それでもやっていかなきゃ」という何かを僕は感じ取らずにはいられない。

この曲がファンの間でもいろいろな物議をかもしているのはよく知っている。そして、君がこの曲に君なりの持論とこだわりを持っているのも知っている。だから、この曲のことを書く時には半端な気持ちでは書けないと思っていた。だからこそ、本当はもっともっと聴き込んでから、ライブをたくさん体験してから書こうと思っていたんだ。だがこの日のこの曲、特に佐野の「ここはサーカス小屋じゃないんだよ、ママ」というひと声は震えがくるほどすごくて、僕はどうしても君に伝えずにはいられなかった。それでまだまだ聴き込みが足りないのを、持論が固まり切っていないのを承知の上で書かせてもらった。これからツアーが進んでいくにつれ、この曲からはもっといろいろなことが見えてくるんだと思う。そうしたらまたその時に続編を書くよ。きょうのところはこの程度のことしか書けないけど、気持ちだけ汲み取っておいて欲しいと思う。きっと君は解ってくれると思うけれど。

未熟な文章を書いてしまったお詫び‥といっては何だが、この日起こったサイコーのハプニングをもうひとつ教えるよ。

アンコールが終わると、いつものようにメンバー全員がステージに並ぶ。佐野はまず中央に進みでて挨拶し声援に応えると、左の方へ大股に歩きながら左腕をあげ、腕時計をみる仕種をした。慌てて僕も時計を見る。時刻は21時19分。もし21時30分がタイムリミットならば、もう1曲演れる計算だ。観客はみんなそのことに気付いてる。どんどん大きくなる声援。佐野はその場でメンバーを集め、二言三言何かを言い含めると再びマイクに向かった。「お年玉ロックンロールだ。もう1曲いこう。」

場内はSweet Surpriseに沸きかえっている。僕もジャンプしてしまったよ。「アンコールっていうくらいだからリプリーズしようと思う。"THE BARN"からの曲をもう1回唄いたいんだ。」バンドが配置につく。ピアノの前に西本明。ということはSilverboy、もう君にも判るだろ。ここで何が演奏されたのか。

電気が一斉に灯され、明るい光に満ち溢れた場内。「SOMEDAY」の定番だったこの照明方法が、今夜は新しい"モトハル・クラシック"となるべき曲のために使われる。そしてその中央に立って嬉しそうに、少し誇らしげに佐野は唄う。

完璧だろ。完璧なエンディングだ。僕はそう思ったよ。でも、本当のどんでん返しはこの後だったんだ。

間奏、佐野がハーモニカを吹き始める。するとそれまでオルガンを弾いていたKYONがすっくと立ち上がり、ステージの袖に向かって一目散に駈けおりていく。待ち受けるスタッフの手には小さな弦楽器。KYONは大急ぎで肩紐に腕を通し、ステージ前方へと向かう。そしてハーモニカソロを終えようとする瞬間、佐野はコールした。

「Dr.KYON!!」

やられた。そうなんだ、この6人は同じステージで同じドラマを2度やってみせるほど単純じゃないってこと、僕は忘れていたんだ。奴らはいともあっさりと西本のピアノソロを切り捨ててKYONのマンドリンソロを持ってきた。西本を持ち上げたらその次はKYONをフィーチャーする。よく考えてみれば当たり前のことじゃないか。僕はHKBの6人から順番にデコピンを喰らったような気がしたよ。お前もまだまだだなって。全くそのとおり、僕はまだまだ修行が足りないみたいだよ。

君に話したことがあったかどうか憶えていないけど、僕の給料日は15日なんだ。実は市川に向かった時、僕の財布の中には\8,000ぐらいしか残っていなくて、そこからチケット代と交通費をねん出したら財布はほとんど空っぽに近くなってしまった。おかげで翌13日は買いおいてあったファイバードリンクとコーンの缶詰めで過ごす羽目になってしまったが、それでも僕は行ってよかったと思ってる。それほどよかったんだよ。この市川のライブは。

次は今度こそ府中だ。行ってきたらまた報告するよ。
それじゃ。また今度。


親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。

キミのメールを読むたびにライブに行きたくなる気持ちがつのる。ライブ・レポートを書けなんて勧めた僕が間違っていたのかもしれない。まあそれは冗談だとしても、キミのレポートは本当に的確で、僕の知りたいことが書かれている。

「誰も気にしちゃいない」。キミが書いてくれたように、この曲はアルバム「THE BARN」でも僕のモスト・フェイバリットだ。この曲を佐野元春がさらに高いキーで歌ったということ、僕は我が意を得たりといったような気持ちになった。「ここはサーカス小屋じゃないんだよ」というのは、毎日伝えられるニュースが決して面白おかしい「架空のゲーム」ではなく、まさに僕たちが関わっている日常の地続きにある出来事だということ、言いかえれば僕たちはみんな当事者で、多かれ少なかれ主体的な責任があるということなのだと僕は思っている。もう何度か書いたことだけれども。

ともかく雪の中ご苦労様だった。我がSilverboy Clubのコレスポンデントには、残念ながら手当は出ないけど、その代わり僕からの最大級の賛辞と敬意を財布にしのばせておいて欲しい。まああまり現実的な役には立たないかもしれないが。

ではまた
Silverboy



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