HAYABUSA JET II3月にリリースした「HAYABUSA JET I」に続く、過去のレパートリーをコヨーテ・バンドとともに新たにレコーディングし直したアルバムの第二弾。1982年発表の『Happy Man』(本作では『吠える』と改題)から2004年の『太陽』まで、前作よりはやや新しい曲を中心にリテイクしている。11月に先行シングルとしてリリースされた『レイン・ガール』を収録。 前作に続き本作でも数曲で改題が行われている。『君を想えば』は『イノセント』、『吠える』は『Happy Man』、『新しい世界』は『NEW AGE』の改題。クレジットによれば『訪問者たち』『新しい世界』『誰かが君のドアを叩いている』の3曲は2024年2月から5月にかけてレコーディングされ「HAYABUSA JET I」に収録されなかったもの。他の曲は2025年3月から6月にかけて新たに録音されたもののようだ。 『新しい航海』『レイン・ガール』『誰かが君のドアを叩いている』『新しい世界』は直近の「45TH ANNIVERSARY TOUR」でも披露されていたライブ・アレンジのままで収録されている。 なお、「I」では各曲に英字タイトルが付記されていたが、本作では記載がない。アルバムの事前告知のフライヤーなどでは英字タイトルの表示があり、英字タイトルは曲順に『Innocent』『New Voyage』『The Sun』『New Shirts』『Rain Girl』『Visitors』『Shame』『Happy Man』『Someone is knocking on your door』『New Age』となっている。いずれかの時点で英字タイトルを出さない方針に変更されたのだろう。 前作を「I」と称したのは佐野の諧謔かと思っていたので、本当に「II」が出たのは意外だった。それだけ佐野がこのアクションに本気で取り組んでいることであり、いったい佐野がなぜこの時期に、こうした過去のレパートリーの再定義をやろうとしたのかということをあらためて考えないわけには行かない。 アルバムを聴き始めて最初に飛び出してくるのはまず『君を想えば』のイントロの割れたギターのリフである。これだけで今からなにか常ならぬことが始まるはずだという期待が高まる。佐野のレパートリーのなかでもレア・トラックとなっている『イノセント』を下敷きにしながら、このギターの、70年代ロックを思わせるゴリッとした硬質の手ざわりが、このアルバムが一筋縄で行かないこと、ただのセルフ・カバー・アルバムではないことの予感を伝える。 次に驚かされるのは『太陽』だ。もともとアルバム「THE SUN」の最後に置かれたこの曲は、オリジナルではミドル・テンポの大ぶりなバラードであった。しかし、ここではテンポをあげたうえハネた16ビートが大胆に導入され、その印象はオリジナルとは大きく異なるものになった。 個として生き延びる力が問われる現代にあって、この曲の「ここにいる力をもっと」というメッセージが、願いが、今どのように再生され、どのように力を持ち得るのか、この曲はそれを僕たちにより鋭角的に突きつける、このアルバムのキー・トラックだといっていい。「I」でいえば『欲望』にあたる位置づけだが、曲中でスロー・ダウンする構成だけが残念。前半のビート感のままつっきってほしかった。 オリジナルからの大胆なリアレンジという意味では『吠える』も重要だ。代表曲のひとつでもある『Happy Man』を、原型をとどめないまでに換骨奪胎し、カントリー調に仕立てたこのトラックは、佐野の表現のひとつの原型になっているバッド・ボーイ的なシティ・ライフ観が現在でもきちんとそこに息づいていることをあらためて認識させてくれる。 この曲のオリジナルの表現にしびれて佐野にハマったファンも少なくないはずだが、それを敢えてバラバラに解体し組み立て直して見せた佐野は、きっと「どうだ、これもカッコいいだろう」と言わんばかりのドヤ顔をキメているだろう。歌詞の再構築もいい。これはオリジナルではどう歌ってたんだっけ、と頭のなかで歌って比べてみたのは僕だけではないはず。 こうした、原曲を大きくリアレンジした曲がある一方で、今回のアルバムでは敢えてオリジナルに比較的忠実なアレンジで演奏したと思われる曲も多い。特にアルバム「VISITORS」からそのままの並びで収録された『訪問者たち』と『君を汚したのは誰』は特徴的だ。 もちろん、それはオリジナルをそのままなぞっただけではない。『訪問者たち』ではオリジナルほぼそのままの演奏であるにもかかわらず、一本調子に感じられたオリジナルに比べて、コヨーテ・バンドはこのハード・エッジな曲のなかにはるかに豊かなニュアンスをブッこんできた。「これは君自身の話なのだ」というこの曲のメッセージをより当事者的に伝えているのは、オリジナルよりもこのコヨーテ・バンドの演奏である。 基本的には展開の乏しいむずかしい曲だが、佐野はコヨーテ・バンドのツイン・ギターを武器にこの曲のなかに眠っていたポテンシャルを引っ張りだしたと言っていい。この曲はアレンジがオリジナルに忠実であればあるほどスゴみが増すようにすら思われる。 一方で『君を汚したのは誰』のほうでは、オリジナルの力強いピアノ・ストロークが、佐野が弾くウーリッツァーの柔らかくパーソナルな響きに置き換えられ、より個から個へのメッセージとして僕たちの近くで歌われている印象を与える。オリジナルでは「I'm angry」と歌われていた箇所が、40年を経てこのアルバムでは「君が愛しい 君がとても愛しい」と歌われたことの意味を僕たちは考えなければならない。 アレンジ自体には大きな変更はなくても、コヨーテ・バンドが演奏するだけでそこに新しいニュアンスが生まれ、メッセージが更新されてこの2025年という時代に新たに生まれ出る。本作ではそうした意味での再定義が(「I」に比べても)より自由で自然なかたちでひとつの作品にまとまったように感じる。そこにもまた、佐野を含めたバンドの成長を感じた。 直近のオリジナル・アルバムである「今、何処」は、深刻な分断と知性の失速という現代社会の抱えた難題に果敢に取り組んだ傑作として高い評価を受けた。しかし、それだけに、その制作にあたって佐野が表現上のリソースを洗いざらい吐き出したであろうことは想像に難くない。 傑作アルバムをものし、激しく消耗した状態で、佐野は自分の表現の歴史に立ち戻り、それを現代の危機感、焦燥感、スピード感のさなかに再投入してかき混ぜた。その作業のなかに佐野は再生への希望をさがし、「今、何処」から次の場所に新しい橋を架ける準備を始めた。佐野がこのタイミングで、アルバム2枚分の労力を費やして「再定義」に取り組んだ理由を敢えてさがすとすればそんなことになるのではないかと僕は思っている。 そして佐野が架けようとしているのが、どこに向かうどのような橋になるのか、そのヒントはこの2枚のアルバムにひそかに忍ばされているのかもしれない。 2025 Silverboy & Co. |